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〈11〉良助の変貌

 翌日、霞が良助の部屋を訪ねると、彼は一人で楽器の練習をしていた。


「何してるの?」

「バイオリン。息抜きだよ」


「あなた、思い立ったらなんでも始めちゃうのね」


「でも面白いぜ。人に聴かせられるようになるにはまだ時間がかかるけどな。で、突然どうした?」


「来年、わたしとあなたで研究職のテスト受けるから、その対策を考えようと思って」


 あえて既定路線のように言ってみた。


「研究職のテスト? かすみん研究者になるのか? っていうかオレも?」


「わたしはなるわ。あなたはならなくてもいいけど、つき合ってよ。どうせ勉強してるんでしょ? 賢いんだからわたしが合格するならあなたも大丈夫よ」


 しっかりと嘘をつく霞。


「そりゃ、まあ……いいけどさ」

「何か断る理由でもあるの?」


 そう言われて良助が黙った。霞がジト目で返事をうながす。


「いやさ、オレだけ受かって、かすみんが落ちたら、嫌だなって」


「言ってくれるわねー。じゃあわたしに教えてよ。絶対合格できるように」


「どんな内容なんだ?」


「一次試験は高等数学と、社会学と、選択科目らしいの。わたしは選択を地理地学って決めてる。でないと来年に間に合わないから」


 良助にデータを転送して説明を始める。


「来年に間に合わなければダメなのか?」


「そう。絶対に」


「でもかすみん、中学生になったばっかじゃね? 何研究すんの?」


「それは勉強してから考える」


「はあ? 順序逆じゃね? ほかに理由でもあるのか?」


「まあ、あるけど――」


「なんだよ、教えろよ」


「…………」


 いつになく強気な良助に霞はたじたじになった。


「ひょっとして……研究員の中に、いい男がいる、とかか?」


「……実は」


「マジか……」


「……うん」


 もうどうにでもなれ、と霞は開き直った。


「……わかった。つき合うぜ」


「あ、ありがとう」


 良助の考えていることがわからなかったが、とりあえずなんとかなった、と霞は思った。


 だが良助の機嫌は相変わらず悪そうだ。


「でね、高等数学の範囲はこんな感じ」


「なんだこれ? こんなのさっぱりわかんねーよ」


「わたしもよ。でもね、これ解いちゃう小学生がいるんだって、5年生で」


「マジか? どこに?」


「南区小学校……らしい」


 しまった! 口に出して霞は後悔した。良助が興味を持ってしまったら、彼らに会いに行きかねない。


「マジか……オレも頑張るしかねーな」


「そ、そうね。で、社会学だけど、こんな感じ」


 あわてて話題を変えながら社会学のカリキュラムを見せる。


「オレ、こんなの習ったことねーよ」


「大丈夫。わたしが授業で習ったことをそのまま伝えるから」


「何点くらいとれば合格するんだ?」


「それぞれ100点満点、計300点のうち、6割取れたら受かるらしいよ」


「え、そうなの? じゃあ大丈夫か」


「そ、そうね……(なんなの、その自信は?)」


「で、地理地学ってどんなの?」


「こんな感じ」


 霞がざっと内容を見せる。


「…………」


「どう? 面白そうでしょ?」


「オレ……やっぱやめとくわ」


「えっ?」


「興味わかねー」


「良助……」


 霞は良助の変貌へんぼうぶりに戸惑った。


 自分に対して若干いらだっているようにも見える。


「ちょっと教えてほしいんだけどさ、今日のあなた、なんか変じゃない?」


「どこが?」


 良助は口ではそう言ったが顔を背けた。


「なんか、これまでと違うというか……」


「…………」


 無理矢理目を合わせると、良助は黙った。何か理由があることだと霞は直感した。


「……嫌なんだよ」


 そう言って良助が目をそむける。


「何が?」


「……かすみんが……オレのことを……男として見てくれないことが」


「えっ?」


「なんていうか、オレはかすみんのことを姉貴だと思ってるよ。だけどかすみん、オレのこと、自分の子供みたいに扱うよな?」


「……ごめん、そういうつもりじゃなかったんだけど」


「ずっと見下されてるみたいで、嫌なんだよ……本当は力になってやりたい、やりたいんだけど――」


 良助を見ていた霞の目に涙が浮かんだ。


「え? かすみん……ひょっとして……泣いてるのか?」


「あ、あれ……なんだろな……」


 思わず顔をそむける。


「いや、そんなきついことを言ったつもりはなかったんだけど、ただ、対等でいたいと思っただけなんだよ、オレ」


「……わかってる」


 涙をぬぐいながら霞が続ける。


「ごめん、良助……それ、悪いのは完全にわたしなんだ」


「えっ?」


「ほら……あなた、天才じゃない。わたしのこと、あっという間に追い越していくしさ」


「…………」


「あなたが遠いところに行っちゃう気がしてさ……」


「…………」


「わたしの中で、姉として、バランスを取りたかったんだと思う。むしろわたしのほうが下だと思われたくなかったんだよ。それだけなんだよ……」


 霞の本心だった。

 良助の顔が赤くなる。


「かすみん……オレのこと、好きなのか?」


「……それって、恋愛対象ってこと?」


「……ああ」


「それは絶対ない」


 霞は振り向いて無表情ではっきり言い切った。


「そ、そうか……そうだよな、姉貴だしな」


「……うん」


 そう言いながらうつむく霞は、内心「やってしまったー」と動揺していた。


「試験のこと、ちょっと考えとくわ……」


 気まずそうに良助が言った。


「うん」


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