「えっ? なんで?」
「あなたの望み通りでしょ? 良助は先に帰ってて」
そう言って霞が良助から離れ、中学生に近づいたとき、
「いや、オレも行く。ここまで言われて、黙ってられねー」
「え?」
「相手は三人だろ? オレがかすみんを守ってやる」
「ダメだよ。あんたには危険だよ」
霞は拒絶したが、良助は首を振った。
「さっきこの兄ちゃんに言われて、目が覚めた。それに道場じゃないんだろ? 兄ちゃん、連れてってくれよ」
「あ、ああ」
結局霞は良助を止めきれないまま、中学生とともに空き家に向かった。
◆◇◆
「相手は本当に三人だけなのね?」
「ああ……」
元々弱気なのか、中学生は霞におずおずと答える。
「だけどあなたは今村の方につくんでしょ?」
「いや……見てて、いいかな?」
そう言った彼の顔からは汗が噴き出していた。
「いいけど、何があっても大人を呼びに行かないでね」
「えっ? お前……本気で今村に勝つつもりなの?」
霞はその質問には答えず空き家の中の様子をうかがう。確かに人の気配があった。
(防音壁はしっかりしてるし、中の通信状態も問題ないわね)
ざっと周囲の状況を確認すると、霞は中学生を
――ガラッ
「……連れてきたぞ」
玄関のドアを開けた中学生が言うと、とたんに中から騒がしい声が聞こえてきた。
「えっ、マジか!」
「どうやって口説いてきたんだよ、佐伯」
佐伯と呼ばれた中学生は土足のまま黙って奥に入って行く。
霞と良助も彼の後ろをついて行った。
「おじゃましまーす」
か細い声で挨拶しながら霞が部屋の中に入ると、佐伯の言う通り、三人の中学生がくだを巻いていた。
「かわいい子じゃん!」
「暴れたりしそうには見えないんだが?」
中学生二人が色めきたつ。
「ヌード写真撮ってもらえるって聞いて、わたしなんかでいいのかなって」
かわいいという言葉をかけられたのは霞にとっては意外だったが、流れに乗って恥じらいながら言ってみた。この二人の奥に座っているのが今村だろう。こちらをにらみつけてくるが、霞は気づかないフリをして端末で情報を確認する。間違いなく奴だ。そのまま端末をこっそり録画モードに切り替える。
「マジ?」
「そんなにやる気なのかよ! 佐伯、どう言って口説いたんだ?」
「い、いや……」
佐伯がうろたえて振り向いた瞬間、霞が前に出て来て言った。
「わたしの裸の写真を撮るって本気だったのね? あなたたち、中学生だよね? 青少年保護条例違反だってわかっているわよね? お二人が越野さんと古田さんかしら?」
「え……なんでそんなこと知ってんの?」
「き、君、小学生だよ……ね?」
「そしてあなたが今村道明さん?」
二人には答えず、奥に目を向ける。
「そうだ」
答えた今村は、胸元からナイフを取り出して立ち上がった。それまで反応のなかった霞の腕の端末の『悪意センサー』が警告振動を伝える。
しかし、フルネームで呼ばれた彼の表情は突然の展開に慌てているように霞には見て取れた。
「お、おい、よせよ……」
他の中学生三人の目に動揺が走る。
「ガキ相手に騒ぐな。こいつら二人とも逃がすなよ!」
大柄な今村が近づきながら声を張り上げ、霞の悪意センサーが強烈なシグナルを発した。
「どうやら本気だったようね? この三人には暗示でもかけたのかしら? ロリコン趣味の今村さん?」
「…………」
言われて今村の足が止まった。他の中学生は唖然として状況を見守っている。言葉の上では霞が完全に優勢だ。
「あんたも単に魔がさしただけなんでしょ? ここでやめておけば罪は軽いわよ?」
平然と言ってのける霞。しかしその言葉とは裏腹に、こいつは暴発すると霞は
その予測通り、ナイフを脇の下に握りしめた今村が霞に襲い掛かる。
想定外のことが起きたのはその時だった。
「……ぐうっ!」
「良助っ‼」
今村が突き出したナイフが霞の前に飛び込んで来た良助の右足の
カウンターを狙っていた霞は、突然間に割って入ってきた良助の動きまでは予測できていなかったのだ。
だがそれは相手も同様だった。
自らの手に伝わる赤い体液を見た今村の顔から血の気が引く。ナイフから離した手を思わず引っ込め、彼は後ずさっていた。
「はっ!」
一瞬で相手の懐まで踏み込んだ霞は、隙だらけの今村のみぞおちに
「ぐふっ、が……」
膝をついて倒れこむ今村の頭にすかさず回し蹴りを叩きこむ。吹っ飛んだ今村は壁に顔面を打ち付け、絶叫した。鼻からの出血の度合いを見たところ、骨が折れたようだ。
霞は一つ息をつき、左手の端末を開ける。
「警察さんですか? 人家で喧嘩です。一名ナイフで右太腿を刺されて重傷。場所のデータと状況を転送します」
そう言って目の前の状況を端末ビデオに収録する。
勝負がついたことを知ったほかの中学生三人はその場にへたり込み、今村の上には良助がのしかかって取り押さえていた。
「良助、痛いだろうけどナイフは抜かずに我慢して」
冷淡に言いながらも、霞は良助のことが気が気ではなかった。
ところが良助は平然と答えた。
「それが不思議と痛くないんだな、これが」
「えっ?」
「緊張感のせいで感覚がマヒしちまってるみてえだ。だから大丈夫だ」
「良助……なんで?」
霞は良助がなぜあんな真似をしたのか、まったく理解できなかった。
空手の道場ではやられっぱなしだった良助が、なぜ自分を守ろうとしたのか?
ふいに霞の脳裏にあの日の記憶がよみがえった。トレーニング中に自分がバランスを崩したあの瞬間にスイッチを切り替えた良助の反応速度、記録には残っていないが確実に異常値だった。直前まで迫っていたブロックは、自分にぶつかることなく、視界から消えたのだ。よくよく考えれば、脳波とはいえ、あんな対応スピードが出せるなんて信じられない。でもなぜ?
そう思いながら霞が目をやると、良助は自分の傷など気にせず、不安そうにこちらを見ていた。
(記憶を失っても、良助はやっぱり、良助だったんだ……)
しばらくするとパトカーが到着し、ロボットが家の中に入ってきた。
警察官が状況を確認し、そこにいた六人全員が連行される。
霞と良助がほかの四人と別のパトカーに乗ると、霞は撮影データをロボットに手渡した。
その手際の良さを良助は不思議そうに
◆◇◆
「よかった。そんなに傷が深くなくて」
カムチャッカ内の診療所で治療を受ける良助に付き添いながら、霞が言った。
「ごめん」
謝る良助がなぜかかわいく感じられ、霞は笑った。
「あんなことする必要、なかったのに」
「それが、オレもよくわからねーんだ。体が勝手に動いたっていうか――」
そのとき、呼び出しブザーが鳴った。署長からだ。
「ちょっと行ってくるね」
そう言って診療所の外に出た霞は思った。
(ひょっとすると、良助の記憶は元に戻るかもしれない)
◆◇◆
「――以上です」
霞が署長へ今回の状況を報告した。
「うまくまとめたな」
「いえ、やはり良助を連れて行くべきではありませんでした」
「……そうだな」
「失礼します」
こうして捜査官 高橋霞は最初の任務を終えた。