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(59)視覚記憶とあま~いお菓子

「ここか。なんとか間に合ったな」


 大学病院の正面玄関をくぐった雅也と良助。表情に緊張感が漂う。


「前来た時と、まったく変わってない。地震の影響を受けていないみたいだ。大学と同じ」


「けが人も避難者もあまりいないようだな。病院なのに」


 話しながら廊下を進み、受付に向かう。


『いらっしゃいませ。診療でしょうか?』


「木村敦研究室の田中と篠原と申します。脳神経科の草吹先生に11時にお約束させていただいているのですが」


『伺っております。12階の会議室までお越しください』


 頭を下げる女性ホログラムの対応を受けつつ、雅也は大学のホログラムにさほど違いがないと感じた。前回来た時もそうだったので違和感があるわけではないが、もし大学病院が本当にリアルホロを開発しているのであれば、こういった受付プログラムにもなんらかの影響があってもおかしくはない、そう考えていたのでやや期待外れに思った。


 院内は前回と比べて人通りが多少増えているとはいえ、それでも患者は少なかった。地震での負傷者らしき人もほとんど見かけない。


 二人はエレベーターに乗ると、12階のボタンを押す。他に乗ってくる者はいなかった。


「大きな建物のわりに人の気配がねーな」


「診察も治療もロボットが行う時代だからね。人間の医師は研究だけに専念しているみたいだし」



 ◆◇◆



 会議室に到着した二人が椅子に座って待っていると、


 ――コンコン ガチャ


 ノックの音に続き、草吹が入ってきた。


「どうも、遅くなりました」


「こちらこそ、地震の最中さなかお邪魔してすみません」


「木村敦研究室の篠原です。本日はお忙しい中ありがとうございます」


「どうぞ、おかけください」


 草吹にうながされ、二人が座りなおす。さっそく雅也が始めた。


「実は先生の研究されている脳波と記憶について、もう一度伺いたくて、まいりました」


「なんでしょうか?」


「ホログラムって、見る側の脳の錯覚だと思うのですが、それが視覚記憶に残ることってありますか?」


「具体的に何か事例があるんですか? おっしゃる通り、基本的にはないと思いますが」


 良助は、草吹が雅也の説明をはっきり理解しているように感じた。


「実はあの日お借りしたソフトで僕たちの記憶を調べてみたのですが、小学校時代の記憶のホログラムが鮮明に映っていて、疑問に思ったんです」


「ああ、そういうことですか。あれは特別なんです」


「特別、ですか?」


教育機関スカンディナビアのホログラムは仮想世界と同じ技術を使っていますから。できるだけリアルに忠実に作らなければ、子供たちにリアリティを感じさせられない、子供の目はごまかせない、ということで、相当手の込んだ作りになっているみたいですよ」


「そうなんですか? ということは、仮想世界のホログラムはすべて視覚記憶に残るってことですか?」


「はい。小学校時代の記憶ということであれば、人物だけではなく、背景もすべてヘッドセットを介したものですよね?」


「はい、確かに」


「現実世界のホログラムは視覚記憶には残りませんが仮想世界のものは残ります。現在では一様にホロと呼ばれていますが、昔ARとかⅤRとか言われていたものから派生しておりまして、技術的にはそれぞれ別物なんですよ」


「なるほど、よくわかりました。それともう一つ。例えばですが、そういった現実世界のホログラムを実体化することって可能でしょうか?」


「……と言いますと?」


「ロボットとはまた違うのですが、例えばこちらの病院の受付ホログラムが仮想世界のように普通に町を歩いているようなイメージです」


「投影機もなしで、ですか?」


「仮にホログラムに物理的な実体が構築できれば、投影機もそこに組み込むことができて、独り歩きすることもできるようになる、そんなイメージなのですが。リアルホロ、というか」


「うーん……リアルホロ、ねえ」

「何か心当たりありませんか?」


「仮想世界のホログラムが日常生活でも同じように歩く。会話も食事も普通にできる、とか?」


「まさにそうです。ヘッドセット・・・・・・だってかぶれる・・・・・・・


「うーん……聞いたことありませんね。そういった研究自体も」


「そうですか」


「むしろ大学側でそういった研究をされてらっしゃるのではないですか? 工学系で」


「いえ、研究履歴には特にそれらしきものは見当たりませんでした」


「じゃあ、ないんじゃないですか? といいますか――」


「はい」


「それって、ほとんど、人間……ってことですよね?」


「どういうことですか?」


「人間の機能をほぼ兼ね備えているわけですよね?」


「まあ、そうですかね」


「であれば、医学的にはむしろ理想の人間ですよ、それ」


「ですよね。なのでひょっとしたらこちらで研究されてたりしないかなー、と思いまして」


「うーん、わからないですね」

「そうですか」


「私の方でもその可能性、考えてみますよ」


「ありがとうございます。では失礼します」


 雅也と良助、草吹は席を立ち、握手を交わして別れた。



 ◆◇◆



 大学の第3演算室。玲が考えこんでいると、真奈美の端末が鳴った。


「あ、雅也? 大丈夫だった?」

『大丈夫だよ。聞きたいことは聞けた』

「そう、よかった。あたしたち第3か第4演算室にいるから。道中余震に気をつけて帰ってきてね」


 連絡を切ると、真奈美はみんなに言った。


「二人とも無事だってさ」


「よかった……」

 心配していた霞が胸をなでおろす。



「ところで玲ちゃん、どうすんのよ?」

「ん?」


「しらばっくれてんじゃないわよ。準備してるんでしょ?」


「準備って、何を?」

 霞が聞く。


「昨日約束した、お菓子の件よ」


「ああ、そうだな」


 真奈美にそう答えると、玲は演算室を出ていった。


「え? 玲、何か作ってきたってこと?」


「うん。研究室の冷蔵庫になにか入れてたから、冷凍菓子だと思うよ」


「……やった!」

 涼音の表情がとろける。


「気づかなかった……。今何か、暗黒の世界に一筋の光が差したような気がした」


「そうね。お菓子ってあんまり種類ないもんね。フードデリバリーでも」


「だけど期待できるのかしら?」


「あいつのことよ。大当たりか大外れかのどっちかだと思うわ」


 そうこうしているうちに玲が演算室に戻ってきた。そして持ってきた包みをテーブルに置く。


 涼音がものすごい勢いで包みを開けた。


 中には6つに切り分けられたシャルロット。


「なにこれ! 予想外にかわいいんだけど!」

「……綺麗」

「なんていうお菓子なのかしら?」


 口々に感想を述べる女子たち。


「桃のシャルロットだ。ただ、あり合わせで作ったのであまり期待しないでくれ」


 そう言いながら玲が取り分け、一人一切れずつ食べる。


(味は、まあまあね。あたしは嫌いじゃないけど……)

(……ちょっと……甘い……かな?)


 真奈美と涼音が霞の表情をうかがう。


「これ、今朝作ったの?」


 霞が玲の顔をじっと見て聞いた。


「ああ。といっても冷蔵庫で寝かしていただけだが」


「…………」


「どう、かな?」


「あなたのこと……やっぱり、天才だと思った」


 満面の笑顔で霞が答えた。


「え? そ、そうか? ありがとう」


(かすみんって……)

(……超……甘党……なのかな?)


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