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(37)突きつけられる現実

 真奈美は自分の部屋のベッドに顔をうずめていた。泣きはらした赤い顔には白衣のボタンの跡がつき、その白衣も涙で濡れている。文面を読み返すこともできず、ただただ自分が小さかったころの博士の話を思い起こしていた。


「真奈美、学校で何かあったの?」

「なんかね、みんな、変なんだ。みんないい子で、最初は真奈美の方が変わっているのかな、と思ったんだけど、なんかみんな、おかしいと思うんだ」


「どんなところかな?」

「なんていうか……みんな大人というか、子供じゃないみたいな……」


「女学院は楽しくないかい?」

「そんなことはないけど……でも男の子とも遊びたいとは思うかな」


「前は男の子たちは乱暴だし、考えていることが幼稚って言ってたじゃない?」

「それはそうなんだけどね。仮想の学校って、あんまりなじめないんだよね」


「それはやっぱり真奈美が女の子である証拠だね」

「どうして?」


「男に生まれるとわからないことって、あるんだよ。真奈美が今感じていることは、おそらく正しいことだと思うよ。私も昔、真奈美のおばあちゃんが言っていたことがあんまりわからなかったけど、今になって考えると、そうだったんだな、と思うことがあってね。人間なんて元々おかしなものなんだよ」


「おじいちゃんとおばあちゃんってさ、子供の時があったの?」

「そりゃあったさ。若い時があったんだよ。私にも、おばあちゃんにも」




「植物は人間の言葉がわかるんだよ」

「おじいちゃん、そんなこというんだ。植物には耳はないよ」


「確かに耳はないけど、心はあるんだよ。気持ちは伝わるんだ。真奈美が世話をするときに、『綺麗な花を咲かせてね』って声をかけてあげると、植物も綺麗な花を咲かせようと頑張ってくれるんだよ」


「わかった。お世話頑張るね!」



 思い出すたびに真奈美の目から涙があふれる。優しかったおじいちゃんはもうこの世にいない、その現実を突きつけられるのが嫌で過去を思い返すが、そのたびに悲しみは募るのだった。床には博士からの手紙が転がっていた。



 ◆◇◆



 一階の応接間では、真奈美以外の五人が、暗い顔でソファに座っていた。


 結局、何もわからなかった。


 何が起きたのか、なぜ博士が消えたのか、説明がつかない。真奈美を自室に連れて行ったあと、みんなで部屋の中をくまなく調べたが、何も見つからなかった。あの時の閃光、衝撃、爆発音を考えればなんらかの爆発が起きたのかもしれないが、その理由すらわからない。ヘッドセットに問題があったのか? それとも博士が自ら爆死を選んだ? いやそんなはずはない。そもそも何も残っていないのだ。あの状況で人間一人を完全に消し去る力が生まれるとは、雅也には考えられなかった。ケーブルの先の熱以外、部屋に変化したところはなく、手がかりも得られず、いつも通りの静謐せいひつさが逆に恐ろしく感じられるほどで、その場にいられなくなった五人は一階に下りた。


 唯一残された手がかりの手紙。その意味もわからなかった。謎しかなかった。最終的に落ち着いた結論は、脳波解析によるものである、ということ。そして、犠牲になったのは自分たちではなく、博士であったという事実が、残された全員に重くのしかかっていた。



「もう一度聞くが、あの中で何があった?」


 良助に問いただされた。


「わからないんだ、本当に」


 雅也が手で顔を覆う。

 正常な判断ができなくなっていた。


 陰鬱いんうつな雰囲気があたりを包みこむ。



「普通に考えると、いくつも矛盾することがある」


「なんだ?」


 玲の言葉に良助が顔を向けた。


「演算は途中まで正常に進んでいた。サーバーの表示から、ブレーカーが落ちるまで博士がヘッドセットを装着していたのは間違いない。そしてあの部屋は完全な密室だった。人一人が物理的に消えられる要素はない。どんなトリックがあるのかがまったくわからない。しかもあの手紙――」


「手紙の話、今はやめておきましょう。まなみんに聞こえたら……」


 即座に霞がさえぎる。


「じゃあ、どうする?」


 全員無言。



「僕の……せいだ」


 沈黙に耐えられなくなった雅也が口を開いた。


 全員の視線が集中する。


「僕がこんなことをする、なんて言い出さなければ――」


「雅也くん」

 たしなめるように霞が言った。


「僕が大学からソフトなんて借りてこなければ――」


「雅也くん!」


「だいたいこんな研究なんてしなければ――」


 ――パシッ!


 霞の平手打ちが飛んだ。


「いい加減にしなさい! 男の子でしょ?」


 ぶたれた頬に手をやり、茫然ぼうぜんとする雅也を、肩を震わせながら叱咤した。


「あなたいつも、結局は自分のことばかりじゃない!」


「霞……さん」


「『自分が悪い』なんて言って、結局現実から逃げようとしているだけじゃない!」


「だけど、僕がこんなこと考えなければ、博士はまだ生きて――」


「……違う」


 突然声を出した涼音に全員の視線が移る。


「……雅也くん……じゃない」


 涼音の目は大きく見開かれていた。


「どういうこと、なのかしら?」


「……博士……言ってた」


「…………」


「……いつか……会えるから……って」


「い……いつだ? いや、いつ言っていた?」


 良助の額に汗がにじむ。


「……面接の……時」


「え? 研究室の?」


 霞の言葉に涼音がうなずき、続ける。


「……私……思ってる」


 全員が涼音の次の言葉を待った。


「……博士……生きてる……って」


 みんなが涼音に何かを言おうとして、やめた。


「なんとなく」という言葉を聞きたくなかったのかもしれない。


 しばらくして、みんなを眺めていた霞が切り出した。


「わたしたち、一度考えを整理しないといけないと思うの。最終的には警察に連絡する必要があると思うけど、まなみんのこと放っておけないし、誰かが残らなきゃ」


「それができるのは霞さんしかいないと思います。女性だし、まなみんのケアを考えたら――」


「いえ、雅也くんにお願いしてもいいかしら?」


「えっ?」


「現実に向き合いなさい。責任を感じるくらいなら、前に出て取り返しなさい」


 そう言って霞は玲の方を向いた。


「ああ、俺もそれがいいと思う」


「……わかった」


 玲の視線に雅也がうなずく。


「ケーブルとメディアカードは持って行くぞ」


 雅也を残してみんなが立ち上がると、そう玲が言い残し、部屋を出て行った。


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