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(14)リケジョと大学生物学部

 玲と真奈美が生物学部に来ると、入口の周りにはたくさんの虫の標本が並んでいた。


 壁にも机にも所せましと展示され、生物の進化の過程に沿って枝分かれした細い道が奥へと続いている。


「うわー、すごい!」

 真奈美が目を輝かせた。


「お前も雅也と一緒じゃねーか‼」

「いいじゃん、ちょっとくらい。あ、サナダムシだ!」


 真奈美の目は数メートルもあるミミズのような標本に釘づけになっていた。


「かわいい! 人体に寄生するのよねー。脳内に入ってきちゃう別種もいるけどー」

「グロいんですけどっ! お前こういうのが好きなのか?」


「いや、好きと言うわけじゃないけどさ。お尻の穴からこんにちは、とか嫌だし」

「そんな話、聞きたくなかった!」


「じゃあこっちは? ってすごい! アレクサンドラトリバネアゲハだ!」

「うわっ、でか!」


 玲は30cm近い大きさにビックリしたが、サナダムシの標本を見た後のせいか、割と平然としていた。


「大きい方がメスで、小さくて綺麗な方がオスよ」

「チョウ……だよな? ガじゃないよな?」


「そうよ。ハイビスカスの蜜を吸うの」

「…………」


「綺麗でしょ? 大きくて」

「……そうだな」


 玲が答えると真奈美は両手を前に出して10cmくらいの間隔を示す。


「幼虫はこれくらいの大きさの芋虫なんだってさ。トゲトゲが凄いの」

「だからそういうのはちょっと――」


「あれ? あっちに動物園があるみたい。行ってみよ!」

「おい、こら待て!」



 ◆◇◆



 真奈美に引っ張られて動物園に来た玲。ドアをくぐると突然、これまでにない湿気を感じ、目の前に広がるジャングルのような光景にしばし呆然とした。


 しかし、少し歩くと突然サンショウウオの水槽があらわれ、ゾッとする。


「いきなり両生類、爬虫類かよ!」

「あら、かわいいじゃない?」


「いや、俺はちょっと……」

「あれ? 男の子って恐竜とかに興味あるんじゃないの?」


「それはまあ、そうだが」

「じゃあ、こんなのは?」


 真奈美が水槽の中のカラフルで小さなカエルを指さした。蛍光ピンクの体と青い後ろ足が目立っている。


「そりゃこれくらいなら問題ないさ。かわいいし」

「でしょ? ジーパンを履いているみたいだからブルージーンって言うのよ」


「おしゃれじゃねーか!」

「でね、子育てするのよ。この子たち」


「は? っていうか、カエルの子はオタマジャクシだろ?」

「そうよ。でもね、陸の落ち葉の下に卵を産むの」


「なんでだ?」


「この子たち、熱帯雨林に住んでるの。そんなところで卵を水辺に産んじゃったら、スコールであっという間に流されちゃうじゃない?」


何気なにげに科学的なんだな」


「だから卵がかえってオタマジャクシになってから、メスが背中におんぶして水辺まで連れて行ってあげるのよ」


「何気に涙ぐましいな」


「それだけじゃないの。メスはね、オタマジャクシの周りをまわって、無精卵を産み続けるの。で、オタマジャクシたちはそれを食べて成長するわけ」


「……お前そういう話気にしないのな。でもこんな小さいのにいろいろ大変だな」


「あら、小さいからってバカにしないほうがいいわよ。あんたより全然強いから」

「は?」


「毒持ってるからね。一般名はイチゴヤドクガエルっていうの。昔の人はこの毒を狩りに使ってたんだって。矢に塗る毒だから矢毒蛙。なんか苺矢毒蛙……って四字熟語みたいね」


「…………」


「ま……まあ、ここのは人工餌飼育だろうから毒抜きされていると思うけど、触ってみる? もし毒が抜かれてなかったら、あんた死んじゃうけど」

「ムリムリ!」


「じゃあ、あれはどう?」

「は? なんだありゃ? どうなってんだ?」


 玲の眼には巨大水槽の水面を30cmくらいのトカゲが走っているように見えた。


「バシリスクが走ってるのよ」

「どうやって!」


「どうやってって、見たまんまよ。水の上を走ってるだけよ」

「いやいや、そこそこサイズあるよな? 物理的に可能なのか?」


「簡単よ。人間だってできるわ」

「無茶言うな!」


「右足から入って右足が沈む前に左足を出し、その左足が沈む前に右足を出し――」

「そんなんできたら空飛べるわ!」



 ◆◇◆



 そのまま歩き続け、いつの間にか水族館に入っていた二人。


「海の大きな魚やクジラもいいけど、どっちかっていうと、淡水魚が好きなのよね」

「また奇妙なやつか? ウナギか? ナマズか?」


「違うわよ! これよ」


 そう言って指さした渓流魚の水槽の中にヤマメやイワナ、ニジマスがいた。


「これって、サケとかマスとかの種類だろ?」


「そう。海に降りない陸封型ね。綺麗でしょ?」

「まあ……確かに」


 ライトアップされた澄んだ流れの中、縦長の楕円や虹色の帯に彩られた魚体が確かに輝いていた。


「なんていうか、自然の神秘っていうかさ、氷河期時代からの生き残りだって思うと、ロマンあるじゃない?」


「ん? なんでだ?」


「氷河期時代の川には餌になるものが少なかったから、彼らは生まれてすぐに海に降りていたのね。けど地球の温暖化が進んで、川にも生態系が形成されるようになると、彼らの一部は水が綺麗で餌の豊富な渓流を安住の地としたの。あたしたちが食料を求めて外出する必要がなくなったのと同じイメージかな?」


「だが、それ以外のサケやマスは海に降りるんだろ?」


「それがね、ほとんどの種に陸封型がいるのよ。しかも海に降りない理由が結構気まぐれなの。多様化しなければ、環境の変化で種を残すことができなくなると思ったのかもね。DNAの変遷があってもなくても子孫を残す意志は脈々と受け継がれているというか」


「なるほど……確かに、そうかもな」


「そんなことを思いながらいつも塩焼きにしてるの。おいしいのよ!」

「お前がこいつらの天敵だったのか!」



 ◆◇◆



「でもあたしはやっぱ植物が一番好きなのよね~」


(じゃあ今までの前フリはなんだったんだよ……)


 そう思いながら玲が横目で見ると、真奈美はきょろきょろしていた。


「お前、何考えてんだ?」


「ううん、なにも。あ、見てよあれ」

「ん?」


 真奈美が指さす方に、奇妙な形の植物がいくつか連なっている。


「え⁉」


「ウツボカズラよ。あの中に蜜のような液体が入ってるの。酸っぱいんだって」


 その形を見て何かを連想した玲は、股間が縮み上がって気まずい顔をしたが、気付かない真奈美はそのまま歩いて行く。その先に砂から生まれた化け物のような植物があった。


「あれはウェルウィッチアね。百歳蘭とも言うんだけど、実際は千年以上生きるんだって」


(結局どれもグロいじゃねーか!)


 玲が顔をしかめたとき、


「やっぱりあった!」


 その真奈美の先の池に、丸いオオオニバスの葉がいくつも浮かんでいた。


 岸辺近くの大きな葉に駆け寄ると、葉の直径は玲の背丈ほどもある。


「……でかいな」

「これこれ! 一度乗ってみたかったの!」


 真奈美は近くに立てかけてあった木の板を、水に浮かぶ葉の上に乗せた。


「おい、マジで乗るのか?」

「これぐらい大きかったら平気じゃない? 手伝って」


 そう言って右手を差し出す。玲がその手を握ると真奈美はそっと板の上に足を乗せた。そして反対の足をあげる。葉はびくともしない。


 真奈美は両足で板の上に乗った。

 玲の手を離し、その場で小さく飛び跳ねてみる。葉はゆらゆらと波紋を浮かべるだけで、沈む気配はない。


「すごいな……」


「写真撮ってよ」

「わかった」


 言われて玲が端末で撮影する。


「ありがとう」


 真奈美が笑顔のまま、右手を玲に向けた。

 その手を掴んだ瞬間、


「あんたも乗る?」


「いや、いい。危ないから」


「大丈夫よ。怖がらないで来なさいよ」

 そのまま真奈美は玲の手を引っ張った。


「ちょ、待って!」


 あわてて踏み出した右足が板の上に。だが葉は少し揺れただけで沈みそうにない。

 そっと左足を持ち上げ、板の上に立ってみる。

 水面に小さな波紋が二つ広がり、その上で手をつなぐ二人。


(え? 俺、葉っぱに乗ってるの? まなみんと? 二人で?)


「えへへ、二人の世界」

「ば、ばか!」


 笑う真奈美から目をそらしながら、玲が固まる。


「あ、あれ? 確か……」

「ん? どうした?」


 横目で見ると、真奈美の表情が真顔になっていた。


「なにか思い出したような気がするの」

「ん?」


「あたし昔、近所の男の子とこんな感じで遊んでたなって……」


 そのとき、温室の中に誰かが入ってくる音が聞こえた。


「そ、そろそろ行こっか」

「あ、ああ、そうだな……」


 玲の手を握った真奈美が岸に向かって飛ぶ。その後玲も飛び降りた。


 そのまま二人が温室を出ると、真奈美がにこにこしながら言った。


「やっぱリアルっていいね」


「そりゃ、な……というかお前、生物オタクっていうか、よく知ってるし、わかりやすく教えてくれるが、どうやって勉強したんだ?」


「仮想博物館よ」


「なんだそりゃ?」


「あれ? 知らないの? 仮想世界でも動物園や水族館なんかは子供でも入れるのよ」


「そうなのか?」


「だけど、レアものはあんまり扱われていないの。特に人間に害のある毒物の管理って厳しいし、ヤドクガエルをリアルで見る機会なんてまずないから今日はつい、熱くなっちゃって」


(そうだったのか)


 そう思いながらふと玲が真奈美の顔を見ると、彼女はいつになく真剣な表情で前を見据えていた。


「あたし絶対ここに来る。研究員として」

「……そうだな」



 ◆◇◆



「そういえば雅也、なにしてんのかな。連絡もつながんないし」

 工学部の受付ロビーに戻ってきたところで真奈美が思い出した。


「もう一度聞いてみるか」


 二人で受付ホログラムに向かう。


『誰かお探しですか?』


「すみません、臨時パスの田中雅也の場所を調べてもらえますか?」


『かしこまりました……出力研究所にいらっしゃるようです』


「は? またあそこに戻ってるの?」



 ◆◇◆



 出力研究所に二人が着くと、雅也が先ほどのレーザー照射機をいじっていた。


「雅也! なにしてんの? もう帰るよ!」


「あ、ちょっと待って、あと少しで直るから」


「直るって……あんた、直してんの?」


「そうだよ。許可取ったし」


 そう言いながら真剣な表情で手にした工具を照射機に当てている。


(雅也って、こんな顔……するんだ)

 真奈美がそう思った時、


「よし、できた! はい」

 雅也が玲と真奈美にサングラスを渡した。


「おい待て! また撃つのか?」

「念のために確認しとかないと」


 そう言って雅也が照射機のスイッチを押す。


 ――ウィーン……


 次の瞬間、極太のレーザー光線が轟音とともに照射され、壁を破壊すると、さらに三部屋分ぶち抜いた。


「よし、直った!」

「……次は壁を直してね」


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