「真奈美の場合は特別でしょうが」
「そんなことないわよ」
答えながらお盆をテーブルに置き、女の子が博士の横に座る。
博士は二人に向き直ると、説明を始めた。
「はい。君たちのクラス、南区小学校6年3組の
「じゃ、じゃあ大輔も敏行も『架空の存在』……ってこと?」
「そうです。女子も全員」
「あんたたちのような天才がわんさかいたら、たまったもんじゃないわ」
湯飲みを手に取りながら、真奈美が口をはさむ。
「天才? 僕らが?」
思わず自分を指さして聞き返した。玲はともかく、自分まで評価される理由がわからない。
「君たちのクラスの進行速度は圧倒的ですから。すでに大学後期の内容に入っていますし、年内にはスカンディナビアが用意できるカリキュラムは全て終了すると思いますよ」
補足するように博士が答える。だがそう言われても雅也にはまるで実感がなかった。他の学校、他のクラスのことなど今まで考えたこともなかったし、自分たちのことしか知らない、いや、自分たちのことだってまったくわかっていなかったのだ。
「えっと……にわかには信じられないんですけど」
「いや待て、まだ納得いかないんだが。なぜ俺と雅也以外の生徒がいる? あのホログラムは何のために存在するんだ?」
博士に鋭い眼を向け、玲が問いただす。
「簡単に言うと、あのホロたちは君たちの学力をできる限り伸ばすためのペースメーカーなんです。もし君たちが通常の学力の子供たちと、一般レベルのカリキュラムをあてがわれていたとしたら、授業のペースが遅すぎて、相当退屈だったと思いますよ」
「ということは、だ。俺たちはこの六年間、架空の生徒と
「はい。そうです」
「教育システムの『検証用モルモット』として扱われていたってことじゃないのか?」
玲の声と目に怒りがにじむ。
「そういうことよ」
真奈美が冷淡に言った。
「ふざけるなよ!」
「待てよ玲! 落ち着け……っていうかさっきのサイタニウム、あれって僕を疑って試してたの?」
「ん? ああ、あれか? お前が本当に人間らしい反応を見せるか確かめてみたんだ。もちろんお前の事は信用していたけどな」
「ははは……そうだよね……」
落ち着きを取り戻した玲にあっさりと言われ、雅也は力なく笑うしかなかった。
「まあまあ、お二人とも、これからの話の方がもっと大事ですよ」
「これから、ですか?」
向き直って聞き返すと、博士はゆっくりとうなずいた。
「そう。今後、中学に進学したらどうなると思います?」
「中学だと? 現時点でカリキュラムが頭打ちなら、やることはもう、ないんじゃないのか?」
腕を組んだ玲が、挑発的に見据える。
しかし博士は意に介さないようにうなずいた。
「そう。そうなんです。ただ『
「「蓋?」」
「13歳になったら
「なら今後、俺たちにどうしろと?」
「玲くん自身は将来どうしたいのですか?」
「特に何も考えていないが。ただ、自分がシステムにいいように使われていたことには腹が立つ。少なくとも明日から授業を受ける気はないな。バカらしすぎる」
吐き捨てるように言って玲は横を向いてしまった。
「先に誤解を解いておきましょう。君たちが実験台にされていた、と怒る気持ちもわかります。実際、調査の側面があることは否定しません。ただね、これは今のスカンディナビア関連の学校はすべてそうなんです」
「そうなん、ですか?」
へそを曲げる玲をよそに雅也が聞き返した。
「はい。君たちだけを特別扱いする理由もないですから。現在どの学校、どのクラスにもホログラムが存在すると思ってもらって結構です。バーチャルの教室の中でホロを模範生として行動させることで、クラスのモラルを保ち、学級崩壊を避けるのに効果的なんです」
「じゃあ僕らのクラスだけカリキュラムの進行が早いのはなぜですか?」
「クラスに君たち二人しかおらず、かつ二人ともテストの基準点を越え続けたため、指導スピードが極端に上がってしまったのでしょうね。クラス単位で全員が授業についていくことが可能なのであれば、カリキュラムをどんどん先に進めるのが今のスカンディナビアの方針なので」
「ん? 俺や雅也と同じレベルの生徒って、どのくらいいるんだ?」
それまで横を向いていた玲が博士に顔を向けた。
「一般的には全体の2.5%と言われています」
「あれ? 結構いますね。1クラス30人換算で5クラスあるとすれば、1学年に3人くらいはいるわけですよね?」
「そうです。ただ知的専門性を伸ばすべきタイミングは個人個人で差がありますし、クラス全員のテストの基準点でカリキュラムの進度が決まるので、才能があるからといって必ずしも君たちのように実力に見合った授業が受けられる、というわけではないんです」
「俺たちは恵まれていた、ということか?」
「はい。もっとも君たちの爆発的な成長力は人工知能にとっても想定外だったとは思いますがね。過去にも前例がない」
「だけど他にも同じような子供はいるってことですよね? 僕らだけじゃない」
「あたしがそうよ」
それまでお茶を飲みながら聞いていた真奈美が答えた。
「えっと……真奈美ちゃんって、3年生? 4年生?」
「……これでもあんたたちと同学年なんだけど」
心外そうなジト目を向けられる。
「え、そうなの?」
「ちょ、ちょっと自分たちがデカいからってバカにしないでよねっ!」
顔を真っ赤にして怒られた。
「だがおかしいよな? 俺たちの学力を伸ばすことに何か意味があるのか?」
玲が博士に根本的な疑問をぶつけた。
「優秀な生徒に期待されていることは、さらなる科学の発展への貢献にほかなりません。一通り教育期間が終われば、その専門性を生かして研究職に
「なぜだ?」
「君たちくらいのレベルの子供なら自分の才能を試す機会が欲しい、と考えるのが普通じゃないですか? 仮想世界に入り浸る一生が送りたいのであれば別ですが、他人に踊らされることは嫌なんでしょう?」
見透かしたように博士が聞き返す。玲は答えず、テーブルの上に目を落とした。
「えっと、仮想世界に生きることは、他人に踊らされることになるんですか?」
「『大人の仮想世界』をどう捉えるかですね。一般的な大人たちが日常的に楽しんでいる今の仮想世界におけるアトラクションやイベントは、ユーザーの発言や行動結果から、その人の欲求、要求を人工知能が測定し、企画として具体化し、コントロールすることで成り立っています。『我々のセンスで居心地の良い、魅力的な世界を作り上げている』と言えば聞こえは良いですが、結局は人工知能の管理下で活動していることに変わりはないですから」
言い終えると博士はお茶をすする。実際に仮想世界の住人である両親の無気力な姿を思い浮かべ、雅也はかぶりを振った。
「だがこれ以上の科学の発展ってなんだ? 人工知能が勝手に発展させているんじゃないのか? 人間なんか不要だろ?」
玲が核心をついたそのときだった。
「人類の滅亡が目に見えている状況だとしても、そう言えますか?」
「何?」
聞き返す玲に対し、博士は真剣な表情で告げた。
「人類滅亡へのカウントダウンが始まっているんです。実際に」
「どういうことですか? 人工知能が暴走するとか?」
「いえ、人類が自滅するんです。詳しい話はあらためますが、人工知能は本当の意味で人間の感情を理解することはできません。そのため解決できないのです」
「自滅……だと?」
「はい」
うなずいた博士を前に玲が考え込むが、雅也は『人工知能が人間の感情を理解できない』という話については納得できる気がした。自分がこれまで作ったロボットに人間の感情を求める中で、上手くいった試しがなかったからだ。
「人間の問題は人間でしか解決できない。そのために研究者が求められているんです」
湯飲みを置いた博士が言う横で、真奈美は黙って話を聞いている。
「……面白い。どうすれば研究職に就ける?」
再び博士の方を向き、玲がたずねた。
「研究職採用試験に合格すれば、来年からでも研究課程への道が開かれますよ」
「それに俺と雅也が受かればいいわけだな?」
「え? 僕も?」
「お前、もの作るの好きだろ? 一緒に作るぞ」
既定路線のように玲が言い放つ。
「っていうか、試験って簡単なの? 僕、勉強しないからわかんないんだけど」
「は? なにそれ?」
黙って聞いていた真奈美の目が点になった。
「こいつバカなように見えて実は天才なんだよ」
「お前が言うなよ」
玲に皮肉られ、横目でにらんだ。
「試験は難しいですよ。大学卒業レベルの知識と思考力が問われます。それに合格者は研究員として『ノバスコシア』という大学研究システムに所属することになりますが、専攻が物理学、化学、生物学、地理地学、心理学に分かれ、何人かのチームで研究を進めるため、相当なコミュニケーション能力が求められます」
「ん? 結局はシステムに管理されるということか?」
「管理されるのが気に入らなければ、自らが根本的にシステムを作り替えれば良いだけです。システムはあくまでも人類のために作られ、働いているわけですから」
「…………」
「それに研究職に就くのと仮想世界に入り浸るのとでは人生180度違いますからね」
「なぜですか?」
「逆に聞きたいのですが、君たちのご両親は今、幸せそうに見えますか?」