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第18話 擬音照射も跳ねる

 ドキュンて本当に聞こえるんだな?

 コミックの世界の擬音だと思っていたよ。

 いや、そんな例え話ができるほどコミックを読み込んでいない。もっと同級生たちから借りて読んでおくべきだった。そんなに勉強ばかりして、と嫌味いやみたらたら批判にさらされてきたように感じていたけれど、ちがう勉強不足だったんだ。

 たぶん、学習参考書のコーナーに匹敵する膨大な情報が、同級生ひとりひとりの部屋にあるのだろう。いままで知っていたのに、気づかなかった。

 こんなとき、どうするんだっけ。

 いや、聞いてないし、見てもいない。不勉強を嘆いても、始まらない。

 おれは精一杯おれが知り得る見識で立ち向かっていかなければ。

 覚悟を決めるのに躊躇ちゅうちょはいらない。肺に残る汚気おきすべてを吐き出せばいいだけだ。あれじゃない、具体的に腹筋に意識を集中しろ。

 「アキラ」

 やっと言えたのは、それだけ。

 かろうじて相手の名前。それだけ。

 「あきら」

 聞こえたのは、それだけ。

 おれのことだよな、おれの名前でいいんだよな。

 じわり、じわる。名前を呼ばれることが、こんなにも、こんなだなんて!

 おれのこの感覚が、おれ個人だけの個人的すぎる感想に過ぎないのだとしても、知りたくなったきたくなった、仮に共感できるとしたらそれはそれで、ひょっとすると?


 「アキラ!」

 おれは呼びかける、もう一度。

        視界の下のほうで、茎ぴくり。

 目と目を合わせたままなのに、まるで彼女この茎の動きを見たような表情で、


 「あ、き、ら!」

 はっきりと声にしてきた。


 その滑舌かつぜつは、りしはるりしに耳にした彼女の発声そのもの。そんな気がして、そう気づいたとたん、みぶるいする。

 世界なんて一瞬で変わってしまうんだな。いつものように、いつもどおり、そのまんまで豹変ひょうへんする。いや、そもそも「変わってしまう」ことが錯覚なのかもしれない。変わる変わったが錯覚なら、おなじも幻覚かもしれない。

 いつもと変わらない平凡な日々なんていうのは、真実を直視できないゆえの妄言なのだろう。

 変わらない、変わった、表裏一体。優しさと厳しさの関係みたいに。

 なによりも、おれは自分に驚いている。

 なんで、あんなに痩せこけてみすぼらしく見えてしまっていたのだろう。華奢きゃしゃ気高けだかく姿勢のいい乙女が、いまも変わらず目の前にいるというのに。いつまで少女しょうじょで、いつから淑女しゅくじょ。知ったかぶりの処女しょじょも、波乱万丈を乗り越えて魔女まじょめく淑女しゅくじょも、泉のほとりでつぼを持ちあげれば同じ乙女おとめがお

 そのほほは、血液循環の正常さのあらわれだ。


 だからおれの茎も、血液循環の正常さのあかし。水源の場所を探り読みあてる銀の棒みたいに、うるわしくうるお鍾乳洞しょうにゅうどうを言い当てるのさ。


 「ぁ」

 アキラが、声をらす、なんて精細せんさい旋律せんりつだろう、それと同時このおよんで未知なる発見をしたみたいに。


 「あ?」おれが、なにげなく聞き返すと、


 「ぴゅ?」

 下のほうを見ないまま、あてずっぽうのような言い方。


 その音階は五線譜ごせんふからコースアウトしたままのシャウトだよ?

 おれは思わず、

 「は?」

 と聞き返す。答えを求めない質問事項の連続。しばし潮の香りさえ忘れてしまった。けれども素肌は優秀な防御服、しっかり伝えてきたよ。そろそろ陽射しをけようぜと。

 日焼けの実感はなかったけれど、すでに紫外線が肉食メニューに点火したようだ。草食動物は獰猛どうもうであるがゆえに、百獣の王が君臨する現世げんせにおいても跋扈ばっこする。


 アキラは純粋な好奇心で関心を寄せているような顔で、しかし耳年増みみどしま興味津々きょうみしんしんさを肩から胸にかけて躍動させながら、

 「なにか出てますよ」

 と胸ふるわせて房をおどらせた。

 おれは彼女の肩から胸かさらに腹を見つめながら、

 「ああそれはたぶん球腺液きゅうせんえきですよ」と答える。

 「ふうん?」

 「アルカリ性の塩水って感じかな?」余計な解説を加えてみる。

 「あ、そぉなの?」

 「たぶん」おれは答えながら「なにぶん、ちゃんと勉強してないから、ちがったらごめん」

 保健体育の授業は好きだったが、コマ数が少なかったし、教科書の情報量は極端に少なかった気がする。副読書サブテキストはイラストが豊富で具体的だったけれど、現実的に想像するのは容易ではなかった。だから実際は、異性の友だちを実際に観察することから始めないといけなかった。当然ながら協力してもらうには、こちらも提供する必要がある。求めるのも求められるのも個別に成立できそうだけれど、習ったことのない直感が好奇心にブレーキをかけることがある。教わった記憶がなくても、原始人が遺伝子に石器せっきで刻んでくれたのかもしれない。なにも知らないのに、なんでも知っているのは、そのせいさ。


 「さわっても大丈夫?」と、

 アキラは無表情に戻った。


 「大丈夫だと思うけど、かぶれるかもよ?」

 おれは、くちから出まかせ。


 「まさか?」彼女も疑問符ぎもんふを浮かべている。

 「まさかだよな?」おれは疑問符ぎもんふを連呼しながら、「さ。もう少し、あのあたりまでいってみようぜ」と右手を…

 差し出して相手の手を取りエスコートの流れにする手筈てはずだった。


 無言で無圧力な眼差しの彼女。

 声を漏らしてしまったのは、おれのほう。

 ふさの弾力が、おれの右手みぎてこうに反動圧力をもたらした。反射的に「あ」


 なおも無言で彼女は「ふんぬ!」と、おれの手を取った。勢いつきすぎて、そのまま胸に押しつけられてしまう格好になる。どこで反転したのか、おれの深層心理が現実を改変してしまったのか、おれのてのひらがその片房かたふさつつんでいる。

 「つかまえた」アキラが言う「もう、はなさないからね?」

 それはそれはとても無力で無抵抗に非暴力的な革命戦士の悲痛な絶叫ぜっきょうのような、つぶやきだった。


 つかまったか。わるくないな。

 もう、はなさない?

 それはそれは、それは。

 おれは、いまどんな顔をしているのだろう。

 おれは自覚も想像もできなかったけれど、彼女なら読み取れるかもしれないと思った。けれども彼女の目は、いや顔が、そもそも頭そのものが、おれの胸骨きょうこつあたりグイッと押しつけられて、あしぺしっ。られた。

 なにすんだよ、いてぇよ。痛くないけど。

 むしろ、手のひらが、柔らかく弾む生命体の鼓動と伸縮を味わい始めていて、その密着感が心地よすぎて眠りそうになる勢いで、おれの目をあらためてめさせた。

 文字化けした擬音が、夏空に浮かびあがる。入道雲を錯覚しただけのことだろうけど、本当に目覚めの気分になってきた。幻の文字をおれの視線が照射する。太陽ほど強くないけれど、黒点よりも上手に踊れるぜ?

 意味不明に誇らしくなってきて、無意味な生命力を実感する。

 これは、おれの?

 ちがう。彼女の、彼女からの微粒子の放出だ。

 それほど遠くない場所で魚が跳ねるのが、一瞬だけ見えた。飛び魚かと再確認したかったけれど、ほんとうに一瞬だけだった。



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