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第17話 異なる旋律

 潮の香りは種類が豊富だ。

 おなじ海岸、いつもの桟橋、ちょっとズレた時刻。

 いやがおうにも気づかされる。

 自分で自分の性格を変えるのは、難しいって感じてる。

 でも、気づかないうちに変えられてしまっている?

 おそらく、潮。

 塩加減で味が変わる料理のように。

 調理者で仕上がりに格差ができる。

 結果を喜ぶか、嘆くか。

 おれは自分でできないことだからと割り切り、


 潮の香りに身をまかせた。



    ぁ ぁ ぁ 



 「いいんだよ?」

 とアキラがおれに言う「それでいい、いいのよそれで」


 彼女の指先が濡れている。

 「これ、なめたらどんな味だろうね?」

 海水かな。


 「あれ?」おれは急に自覚した。

 なんだろう、アキラから刺された目元がヒリヒリする。

 ったく、つめのせいか?

 そう思って自分で自分の目元をさわると濡れている?

 え。

 なにこれ、おまえがつけたのかよコレその海水?

 そう思った次の瞬間、

 「まさか」

 おれは無自覚に声に出していた、

 「ないてる!?」


 ふふふ。瞳ものすぐく全力全開で瞳孔どうこうに虹を架けながらアキラがつぶやいた、

 「さっきからずっとよ、ずっと。あきらってば、泣きっぱなし」

 「んなわけあるかよ!」

 おれは反論する。当然だ、おれはいてないしいてないし、いてもいない。それよりいったい、なんなんだこの液体。あれっ、あれれ、あれ?

 あまりにもおかしくて、おれは右手に続いて左手でも、頬をおさえ。


 これ涙なの?


 いつから。

 「さっきから」

 うそつけ。

 「ずっとだよ?」

 でもこの量。

 彼女が指先で海水をつけただけにしては、多すぎる。濡れている面積も広すぎる。首のほうまで?

 まさか。

 おれは自分の胸元に視線を落とした。

 そのとき、汗ポタリ。


        ぁ 


 乾いた色つきの砂に黒く広がる水滴、すぐに灰色に薄まって吸い込まれて乾いていく。

 いやちがう汗じゃない。額に手をあてたが、ほどかわいている。


                ぁ


 その瞬間またポタリ。

 視界がにじんだ。

 うそだろ?


             ぁ 

                  ぁ

                      あ?



 「よかった」とアキラが語り始める「あきらは、ちゃんと生きてるね゜~」

 無表情なくせに感情的な声、それは白壁を陽射しが染める色のよう。続けて、

 「ね゜~ね゜~ね゜~」

 とうたうようにうたうような重層ハーモニック回廊コリドーみたいに、「あきらって、評判どおりの嘘つきだったけど、めちゃくちゃ素直で正直ものだよね?」いきなりおれの評論を始めやがった。批判なら聞くし、言葉であればどんなに攻撃的でもかまわないよ?

 でもさ、でもな?

 まずはこの現実に起きている現象を解明しておきたい。

 なにが、いったい?


 「あきらのいいところ。いつもいつもカッコつけてるところです」

 ひとさし指をたて、静かな講義が始まった。

 うん。おれは黙って、うなづく。

 「カッコつけやがってるから、見る人によっては鼻につきます」

 ああ…まあ、そぅな?

 「けどちゃんと理由がありました。あきらのカッコつけは、思いやりなんです」

 うん?

 「ただのカッコつけしいじゃありません」

 はぁ。

 「自分で自分を制御していて、相手への配慮があります」

 うん?

 「わかる人には、わかるの。伝わるの。やさしいな、って」

 それはどうだろうね?

 「やさしさにはホンモノとニセモノがあるよね゜~」

 「贋物にせもの?」と思わず聞き返してしまう。

 「うん。やさしいは、やさしいけど、優柔不断で弱くて弱々しく見えて卑怯ひきょうなの」

 「秘境ひきょう」と思わずオウム返しで声にする。

 おれは再び彼女の恥丘ちきゅうから見え隠れする渓谷けいこくを見つめた。なるほど、秘境ねぇ?

 「ホンモノは表裏一体ひょうりいったいよ。でしょ?」

 「表裏一体ひょうりいったい?」

 「そ」

 「もしかして、優しさと厳しさの話?」おれがくと、


 「ぴぃ゜~ん、ぽぉん゜」


 音階のある声でうたった。 

 それは魔法をとなえて、精一杯の祝福を贈る姿。

 さらにまた、

 「せ~ぃぃ?かぃ!!っ」

 その声に吊りあげられるように視線を急速旋回上昇する。すると、両手それぞれを耳の上あたりにそえてピョンした。ピョン。着地したら手だけパタパタ。

 「ぉぅ」おれは声を、いや、これが自分の声おれの声なのかと疑ってしまうような蚊の鳴く声。

 「んふ」とアキラが笑う?「ふ。ふっ。んふ」とアキラそれ笑ってるの、笑ってる…んだよな?

 おれの疑問に返答はなかったけれど、


 「ぴくって」とアキラが言った「ぴくってした」

 ピクッ?

 ダンスが決まったという意味か?

 「ほらまた」とアキラが言う、首も手も足も静止した状態で「またぴくっ」

 きみが機嫌よさそうでなによりだよ?

 おれは聞き流してこのまま返事をするでもなく歩こうとした、すると、

 「やっぱり、あきらは素直」

 そう言われた。

 ぽかんとしてしまう。もしいま、鏡を見たらとてつもなく間抜けな不思議顔だろうと思う。

 「しかも正直」

 アキラの批評が続く。

 「ほら」

 なにか話が見えてこないなと思って、彼女の視線の先。なにかを見ている?

 「ぴくっ」

 ニヤアっと、アキラの口元がひらいた。

 え。

 おれを見ている?

 でもアキラは、うつむきかげん。視線は下のほう。下のほう、下の…ほう?

 おれはもう一度、彼女の目を見る。

 「ちゃんと反応してるね

 アキラの無表情に火が灯って、ちょっとづつ炎になっていくのがわかる。キャンプファイヤのまきを燃やすときみたいに。なかなかつかない火種ひだね、ついても広がらない火花ひばな、なんだか期待はずれで全然だなあと油断した矢先の炎。

 理解するスピードより少しだけ早く推測が生まれたのがわかった。

 「いいなあ、それ。ほんと、うらやましいな」

 しみじみと、岩にしみていく雨粒のようにアキラが語る、

 「いかにも生きてますって表情だよね?無言だけど主張してるしね。なんていうか理想的」

 なんのことなんだよとこうとしたおれの視界で、たしかになにかがピクリと動くのが見えた。まさか。

 「ぃぃなぁ、ぃぃなぁ、ぅらゃましぃ!」

 まっしろな肌が紅潮していくのが、見ているおれにもわかった。

 目と目が合っているとき、自分から目をそらしたらいけない。そんなことしたら負ける。でも。

 おれは呼吸を整えた。彼女と目と目とを合わせたまま、まずあごをひく、空より砂浜のほうが広くなって、水平線よりもこちらのほう近くで白浪しらなみラインダンス、ややひらきぎみのくちびる、さっきよりもだらしなく見える踊る黒髪、

 まさか、

 「あ」

 おれは見た。


 「あ?」とアキラが繰り返す、そのオウム返しに続いて小首をかしげ。

 「お」

 おれは確認する。


 しおれていたと思った朝顔が、あげた井戸水を吸ってピンとシャンするみたいに。

 おれの茎が動いた。ぴくってこれか、このことか。


     「お?」

      アキラの声が、心なしか甘め。


 まさかいくらなんでも、こんなに眩しい陽射しのなかで、こんな姿を見せてしまうなるとは。

 まさかと再び思う、アキラが何度かくちにした『そんな格好』の『そんな』って、まさか。

 まさかだよな?


 わかったところで、どうしようもない。おれは、おれ。

 おれが視線をあげると、待ち構えていましたって顔で目と目が合う。

 その目、その瞳孔、その虹さすきらめきの、またその奥の網膜。水晶体が鏡として機能するならば、おれの全身が正反対に映っているだろう。でもそれは、かなわぬ想像。


 すっ。

 彼女、ひとさし指を、くちびる。の手前、そっと、立てた。


 球根が隠れたがり、反して茎は宇宙へ屹立きつりつする。おれは理解した。おれのあれ、席を立って自己紹介を始める入学希望者のように。おれは、なにかを言おうと試みる。

 知っている言葉を駆使して説明をしようか。

 知っている物語に例えて、弁解にしようか。

 知っているはずの、なにもかもが書棚で背を向けてしまっている。

 いざというとき役立つはずの防災グッズも、収納庫に格納されたままだった。


 「あ」

 さっきまでのとも、ちがう。あきらかに体温が高くなったような声をアキラが出す。

 その息、おれの全身を包む。あきらかに、さっきまでとも、いままでとも異なる旋律が聴こえはじめた。


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