いや、これはあまりにもあんまりだ。
ぬるぬるコンクリートを注意深く歩いていく。わずか、ほんのわずかな距離、いや距離とさえ呼ぶ必要のない、すぐ、そこ。そこまで簡単にたどりつけない。
「よ」
なのにアキラは、ちょんとつま先、ぺたり足ふまず、ぬめっと素肌、なんなのその動き。冷静に理性的かつ躍動的だが無言。一瞬よりも短く追い抜かれた。呼び止めるまでもなく、取り残されつつ前進を試みる。
うわ。ぬるだって、ぬるっ。
「おい、大丈夫? 早く
なんだよそっちこそ、むしろ、そっちこそなにか「
「わたしは
無表情のまま誇らしげな達成者。
『
この洞窟のような建物は、いったい…
誰がどのような目的で造ったのだろう。なんとか越境を果たして内部に
「どうぞご遠慮なく」
すでに敷かれていた不思議な板が、ぬめりけもろとも水分を吸収してくれた。石板?
「これって」おれは質問する「玄関マットみたいなもの?」
「そう」アキラは「むしろバスマットかな」と、そっぽむいたまま答えてくれた。なるほど、それなら実用的かつ衛生的かもしれないと思った。あんなに濡れていた足裏が、いまこの瞬間きれいサッパリ乾いている。どこからどう見ても、湿気ばかりの空間のようだが、そうでもないらしい。
「あがって?」
そう手招きされて近づけば、扉のない区切り。段差もなく、安心して歩ける。誰かの部屋というより研究施設のような空間で、想像していたよりもモノであふれている。蛇口らしいものもも見えるが、水が出るのだろうか。水道が敷かれている感じがしないのだけれど、まさか浜辺の井戸。いや、そこから出てくるのは海水かもしれない。飲料でなければ海水でも役に立てられることもあるだろう。
「よかったら、こちらにどうぞ?」
丁寧に案内されたのは手軽に持ち運べるタイプの金庫…のようなもの。いくつか積んである。
「貴重品を入れておくのに?」と
「時計とか定期券とか鍵とか財布とか?」と
ひとつひとつの箱は独立していて、小さくても重く、そおっと指で押しただけだはピクリともしない、ひんやりしただけだ。鍵穴が見える。汚れていない、サビらしき色もなく、
もう一度ひょいと指で押すと、ガチャっ金属音で引き出しが飛び出した。うおっと、思わず声に出そうになったが体が緊張しているのか声にならない。
「そこにいれたらあとは、こっちね」とアキラが言う、おいでおいで、そんな手振りで「自由に使ってね」と。
細長くて廊下のような、ウォークインクローゼットみたいな空間。その向こうは大きな窓があり、空が見えた。海ではないのか。どういう高さなんだ、ここ。
ぐるっと見まわしたが服がなくてハンガーばかりだ。わかった、服はここに掛けておけと。うん。
「ありがとう」おれは振り返って礼を言う「でも水着ないんだけどね」
「どういたしまして、そんなに気をつかわないで。それに」アキラが近づいてくる。潮の香りとは別の、どこか果樹園の蜜めいた
わたしと同じ。同じ? なにがどう同じだって?
おれが問いたいのを言葉に置き換えようと理性的に試みようとした次の瞬間に、
「きっと、あきらも気にいると思う」と笑顔それも満面の笑顔それはそれはもう「服なんてじゃまなだけだしね」どこにも策略は感じ取れないし悪意が込められているようにも思えない、ひたすら偶発的な善意を言語化したかのようだ。いちおう、もう一度、彼女の
脱げってことでいいですか。
「あの」おれは問う「いちおう言っておくけど」わかっていると思うけれど念のため、万が一というよりも時間稼ぎのために質問する「おれ男ですよ」そりゃあ、知ってるだろうし、いま見てもわかるだろうし、わざわざ説明するのは
「ええ」と反応、ちょっとだけ指で鼻先なのか、くちびるか、なにかの暗号を伝えるような
「まあ、そこがいいとこなんだけど」
とアキラが笑う。無表情ではなくて、ずいぶん整った決めポーズのようでもあり自然な。いや、急に自然すぎて不自然だな。
おれは察する。水着がないよ、つまり、それは、きみと同じ格好になるよってことだよ?
おれの誤解を含めて、是正が必要ならばいつでもいくらでも訂正しよう。覚悟するまでもなく。おれはシャツを、ひらく。ハンガーは樹脂製のようだった。ベルトゆるめてデニムをおろせば、さてこいつはどれに、どのように掛けるべきか。すると察してくれたのか、
「これ」と手渡そうとしてくる、まさに手渡される直前に「こう」と使いかた、なるほど。
おれは砂まじりのジーンズを