「そっか、なるほどね。だからなのね」
いったい、なにを納得したというのだろう。わからない、だが、なんとなくわかる。おれ自身が意味不明な困惑の
「あまり焼けてないんだね」
おれは無意識につぶやいていた。完全無欠の白さではないけれど、ややカフェオレ色の素肌。観察しているわけではないが、おれの
「うん」すうっと隣に来て耳元で声が静かに反響する「日焼け止め塗ってるから」
ちょっとだけ、目と目で通じ合うテレパシーめいてしまった。けど錯覚だね。追い出される気配は、まるでない。ただしそれは彼女がおれに手を出さないということでしかなく、もしもボディガードがいてタイミングを見計らっているのだとしたら、そろそろか。ぐいっと
なあんだ、もしや、これが本音だったりするのか。
見逃してくれよ、助けてほしいだなんて。
わがままな子供と変わりないじゃないか。もっとも、おれは子供の頃そんなにワガママ言えていないけどね。いや、それが良くなかった。いまでは反省している。子供は子供としての振る舞いをしていたほうが、保護者である親にとっても実は嬉しいのではないだろうかと。あまりにも手のかからない、聞き分けのいい子なんていうのは都合のいい存在にすぎない。ちゃんと親に「しっかりしなさい、もう」とか「何度言えばわかるのよ」と怒らせてあげたほうが、そのほうが。
『うわべだけのいい子を演じるよりも、よっぽど親孝行だったかもしれないな』
「ん」するとまるで脳内ひとりごとを聴いていたみたいに「そういうもの?」と彼女が言った。
そういうものって、どういうもののことなんだよ。問い詰めたいけれど黙っておく。なにが起きているのかまだわからないんだ、軽々しい質問は制御しよう。この期に及んで、おれは助かるかもしれないと思い始めていた。
「まあね?」おれの前に出る彼女は「そういうものかもしれないよね」と言いながら背中から腰のあたりうしろ手で腕をつかみ、一歩、さらに一歩と、ゆっくり歩いた。
って、はだしかよ。
「なあ、痛くない?」ていうか危なくないのか、ここ「サンダルとか、はかないの?」おれは
「むし嫌い?」くるっと首、こっちを顔、その視線ドキッとさせられるのは矢でも放たれそうな殺気がするからか。むし嫌い。どうだろ、
「そんなことないけど」フナムシは苦手だな、あの動き、その存在感そのもの「得意ってほどじゃない」
「わたしはね?」また視線を向こうにして彼女が言う「案外平気というか、むしろ好きかもしれない」
「セミは好きだよ」おれは言い放つ「とらないけれど、そこにいて鳴いてくれているとホッとする」
「ホッとするの?」彼女が振り向いた。さっきよりもまたひとまわり、
「いつもその格好なのかい」
どれくらい時間があいてから答が来るだろう、そう思って秒単位で数えるつもりだったが、
「ええ」
あっさりしたものだった。ほぼ瞬時、だが思考時間はあっただろう。わずかながらの
でも不思議。不自然さを自然に受け入れている自分がいて、こんなおれのままを自然に受け入れながら対応している、この子。
どこかで会っている…みたいなんだけど、正直よくわからない。久しぶり?
人違いされているのかもしれない。そうだ名前。それで判明する。きっと名前を言えば初対面だと判明するだろう。なあんだ簡単じゃないか、そんなのさっさと立証しておいたほうが。
と思ったのと、ほぼ同時に。
「あきら、って呼んでもいい?」
え。うそ。たまたま同じ名前なだけ?
それとも。
「昔は、さ? くんとか、ちゃんとか、自然に言えたんだけど。なんかこう、ね?」
その平坦な口調は冷ややかで淡く
いや、まさかだよね、その格好だし、おれが出現しても慌てる様子ひとつもなかったわけだし。むしろその殺気が気になるし、その名前、
「ああ?」おれは返事をしながら返事をせずに「気楽にいこうよ」と言いながら自分で自分に言い聞かせている感覚になった「ちゃんづけがいやなら、なんて呼ばれたい?」逆に問う。
即答されると思ったけれど、ためらわれた。ほう?
たまたまおれの名前が一致しただけで、別人だと気づいたのかな。別人だと気づかれてしまったほうが危険だと思うが、もう手遅れだ。いまさら彼女の知り合いを演じる心の余裕はないし、いまさらセリフを考えるなんて無茶な話。
セリフを考え…まさか。
「じゃあね、お言葉に甘えるね?」
くるっと回転、その視線はどこか斜め下のほうを向いていたので、おれは遠慮なく目のやり場を楽しませていただくことにする、見える、その
「アキラ、でお願い」
親しすぎるほどではないが、なにも知らないわけではない間柄…か。いったいどれほどの時間が経過しているだろう。わからない。わからないけれど、久しぶりなのはわかる。
彼女の発音は、おれの発音と微妙にニュアンスが異なる。おそらく、彼女の発した「アキラ」は家族や友人たちからそう呼ばれているであろうイントネーションで、おれを呼んだ「あきら」は女子が男子に向けて発するイントネーションだ。手書き文字の丸みと、手書きゆえの達筆な清涼感、そんなちがいが浮かびあがる。
さらに不思議なことに、彼女の発した言葉が視覚的に出現したように感じられた。いや、見えている。エメラルドグリーンの文字、コーラルピンクの言葉。もしかしたらこの世界はコミックの中で、会話すべてがふきだしになっているのではないだろうか。いままで
いやまさか、おれが気づかなかっただけなのだろうか。
だとすると、
どうして彼女がそのように、
「アキラ!」ちょっぴり声を抑えて、けれども元気に弾んだふうを
くちびる閉じたまま、それと反して躍動的に弾む控えめながらもやわらかそうな突起とした乳房と、ちゃんと見えるわけないはずなのに見えていると錯覚できてしまっているハーブ農園の
おれは、こんなにも
えへ。
と言われたような気がした。いや、その照れくさそうな表情。おれは別の角度から射抜かれてしまう。手を伸ばせば、その
「そっか。だからか」アキラがつぶやく「なるほどね。わかった」
なにがわかったんだい。そう
なにがわかったんだい。そう
「あきらもわたしとおなじ、ね」
ああ。そうさ。名前の話じゃないことが、わかる。でもそれ以上は、よしてくれ。
「もう、この世界にいないっていう存在なんだね」
彼女はそう言って、
聞こえるはずのない心の声に反応するかのように「うん」
アキラが首も頭もまったく動かさずにうなづいた。