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第174話 演技派でいこう

「おまえ、ずいぶん帰りが遅くないか?」

ふいに問われて答えられず

おれは父の顔を見る

「な?」

それは毎朝いつもの笑顔とともに

おれを闇へ突き落とした


いいが絶対に正直に答えるなよ

ほんとうのことを言えば誰が傷つく

誰が得をする?

ちゃんと考えてから答えるんだ

少なくとも

おまえが自分で自分を傷つけるのは勝手だけど


おれは視線を食卓に戻す

音を立てないように深呼吸

ええと

父の真意は?

父の意図は?

父の狙いは

いったいなんだ

ただの好奇心か

ほんの心配事か

いいやちがう

どれもちがう


「まあ、いいんだけどな? ただ、あんまり遅くなると心配だ」

そう語る父に悪意は感じられない

いや父が語るとき悪意があるほうが珍しいだろう


『だからまんまと、してやられるんだよ』


そうだった


「遅いかな?」

おれは自然を装い自然に受け流そうと試みて言うことにした

「いつものように、いつもの授業で、ときどき帰り際に質問したり」

おれは不自然にならないように話すことにしたけれど

考えれば考えるほど違和感が

「質問したりすると時計」

嘘発見器バレバレ

親の直感ピリピリ

おれ、追い込まれてばかりだな

「つい、つい、その時計つい見ないから」

なに言ってんだ、おれ


「まあそうだろな」父が言う、

「勉強してるとき、そんなもんだ。

 夢中になる。

 夢中なら、そんなもんだ。

 つまり、」


おれは耳をすます

なんだ

なにを言われる

なにか

間違えたりしてない?

なぜか

自分に自信を持てない

なんだ

このはげしい鼓動


息が苦しくなる


「真剣、ってことだな?」

そう言って父が笑った

ゆっくりその笑顔を確認する

ゆっくり視線を移動させながら

その声

その顔

その眉

ひげそり前の顎


苦しい

息が苦しくて


「でもがんばってるよ」

やっと言えたのは

それだけ


そうか

とても小さな声が聞こえたけれど

もうそれ以上どうにも父と視線を合わせられなくなって

おれは


「うん」


声になったか ならないか

はっきりわかった

しっかり感じる

おれは自信を持ちたい

自分に自信を持ちたい


まだだ


まだ


まだだから


まだ油断するな


ほんとうのことほど

誰かを傷つけてしまう


そうか

だから嘘なら

傷つけずに済むとでも?


少なくとも

自分たちはそうなのかもしれない


少なくとも

「嘘をつきなさい噓も方便だ」

と命じているうちは

あなたは傷つかないのでしょうから


まだ


まだだ


まだだよ


まだ油断するな


嘘はバレルから

嘘を混ぜずに

真実だけを切り貼りして語れ

嘘発見器がギリギリ

針を揺らしても

ちゃんと抑えがきく範囲


さあ

演技派でいこう




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