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第135話 漆黒

とつぜんですが、

「親が使っている言葉、そのまんまつい使っちゃうことって、ない?」

どうってことのない質問だけれど

おれは勇気をふりしぼって声にした

マヨネーズ思いきり握ってしぼるイメージだよ

「あるかも」彼女が即答した「気をつけないと、とんでもないのとか」

「とんでもない?」おれのオウム返し

「うん」答えにくいというよりウッカリ応えてしまったふうに「言ってから焦る」

「そっか」

「でもなんで」

「おれ、そういうの多いんだよ。うちでは、あたりまえ。いつもの言葉。けど世間では…っていうやつ」

「たとえば?」

「たとえば」おれは説明する。



階段をおりていくだけなのに、登っているような感覚もあった。

不思議。どんどん、あかるくなっていく。

入口こそ暗くて、その仄暗さは不気味だったというのに。

絶対に、おりない。

そう思った。思ってた。だから彼女にも、おれはそういう態度をとってしまった。

それが、いまや率先して階段をおりていく。

すぐ背後に彼女の気配、その空気感の圧たるや。


「駅の裏とか」おれが言うと、

「いまさらだけど、駅の表と裏って、どっちがどっち」と聞き返された。

「改札があってバス停ずらっと商店街に続く、のが表」

「はあ」

「改札ないし、ぐるっとおおきくまわらないといけないのが裏」

「まあ、そうね。そのまんま。ごもっとも?」

「でも冷静に考えたら表も裏もないんだよね」

「うん?」

「都会じゃ改札たくさんあるらしいよ」

「都会じゃなくても、あるとこ、あるよ?」

「え。そうなの?」

「そうだよ?」そう言ってから彼女は「線路で街がわかれるところは東口と西口あるでしょ」

「あるっけ!?」

「いったいどこの話?」

「いや」おれは一瞬だけ考えた、まあたしかに、そこまで深く考えたことなどないが「このへん」と

しばらく沈黙が続いてから笑いをこらえているような波動が伝わってきて「このへんてどのへん」と笑われた


よかった、笑ってくれて。楽しんでくれてる、って解釈していいんだよな?

聞きたくても聞けないし、むしろ聞けても聞かない質問フレーズだ。

もともと近かったように思うけれど、もっと近くで耳元に息遣いを感じられる気がした。

「どのへん?」と繰り返す彼女。階段の途中で足を止めた。手をつないでいたけれど、すっと腕をからめとられる。動くに動けない、いや動いてイイと思うけれど。あるいは、なにか伝えようとしてきているのだろうか。おれは鈍感だからさ、そのあたりの微妙な機微を感じ取れないことがあるんだよ。すまないね、と思うけれどこれもまた声にしない。いちいち謝ってばかりもいられないしな。それよりさっきみたいに笑ってもらえるようなフレーズ。いや、フレーズだったっけ?


「うちでは、このあたりは駅の裏とか裏手の路地とか言われてるんだよ」

「そのとおりだと思うし、なにも間違ってないんじゃないの?」

「でも、ほら。このあたりにも住んでいるひとがいるわけだし。なのに裏呼ばわり?

 それって失礼なんじゃと思うんだよ」

「社会の授業で」彼女が言う「そういう表現あったよね?」

「そう。それそれ。あんな感じの」おれは意味が通じて、嬉しくなる。

「うん。なら、わかるわ。わかる。表は、ともかく、裏はたしかに…ねぇ?」

「まあ気にしてないかもしれないし、こういう気にしかたのほうが失礼になるかもだけど」

「あきらってさ」彼女が言葉を止めた、ふぅ、スーっ、息遣い呼吸ひとつひとつが耳や首にかかる気がした、あきらってさなんだよ早く言えよコノヤローと感情をこめて彼女の目を見ると、

「けっこう意外となんていうのか繊細?」

そうかぁ?

「いや、ちがうな」

どっちだよ?

「うん、ちがう。繊細じゃない、むしろ大雑把だわ」

なんだかすごい飛躍してる気がしないでもない。

「大雑把なんだけど、そっか、なんか気を遣ってる感じだ。ちゃんと気遣いできる子」

ほめてるの、けなしてるの、なんなのそれ。

「だけど~?」

だけどなに。おれは黙ったまま次の言葉を促すように視線に意志を込めてみた。目と目ですべてが通じ合うわけではないだろうけれど、意外と通じ合えることも多い気がする。

「それって、疲れない?」

純粋な好奇心というより研究熱心ゆえの関心を寄せられているみたいだった。

それって、疲れない。どういう意味。疲れないけど。いや、疲れたかどうかなんて気にしないし。

疲れないそれって。それってどれ。繊細とか表現してた部分かな。どの部分?

「あのさ」おれは話をぶっちぎることにした「友達と親友のちがいって、ある?」

質問されている立場でありながら質問してしまった。

しかも、まったくの飛躍。話が続いていない。相手を困惑させるだけだろうと理解しつつも、やってしまった。

「友達は友達。そのまんま。友達だと思うし、それでいいんじゃないのかな」

「だね」おれは言う「おれも同感だよ。友達は友達。うん。それ以上でもそれ以下でもない」

「親友は」彼女は言葉を声に載せながら休符を打つ、ピアノの演奏途中で全休符されるみたいに、「なんでも言い合える関係ていうのかな」

「おー」

「どうなの?」と逆に聞き返されたので答えることにした、

「なんでも言い合える…それはそれで魅力的だし、いいな、って思う。

 でも、おれの場合はね、友達と仲良くなって親しくなればなるほど、むしろ気遣いが増えていくこともあるんじゃないのかなって思うんだ。だって、知り合えば知り合うほど、相手の好みもわかってくる。なにが嫌いで、どんなことが嫌で、って具体的にわかる、ってことはだよ?」

「うん。ってことはなに?」

「相手が嫌がることはしないようにするし、相手を困らせたいときはわざと嫌いなことをしたりできる。でも、喧嘩にならなずに済むというか」

「あーわかるーわかる気がするぅーん、うんうんうん?」

「だからどれだけ気遣いしても気疲れしないでいられる関係それが親友かな」

「気遣いしても気疲れしない…関係」

「ああ」おれは意味もなく得意気だ「気遣いしあわないで、言いたいこと言いまくっても成立するのは親友とは次元が異なる気がするんだよ」

「次元とか来たか」

「苦手なタイプと議論めいた白熱トーク炸裂させて言いたいこと言いまくれるし、だからっておれにとっては親友とならないし、やっぱり無遠慮に無鉄砲にぶっぱなしてくるやつは苦手だよ…でもそれが親友だと言われるなら返しようがないけど」

「そっか。言いたいこと言ってるようで、ちゃんと遠慮も働いてるってことか」

「かな?」どうだろ。自分で話しておいて自分の言葉がわからなくなりかけている。

「そっか」彼女は、なにかに納得しているようだ「ちゃんと急所を外して狙ってくれる、そういう気遣い?」

「攻撃前提なの?」

「グゥッて攻められてもツボだから痛くても気持ちいい、むしろ痛気持ちいいっていう…それか!」

「まあ、たたかれてムカつくんじゃなくて、ムカつかないで済む範囲を知っていてくれるがゆえの絶妙な暴力…?」

「それだ!」

「どれだ?」

「親友とは、あばれるエネルギーを共有できるの。いってぇよバカじゃなくて、なにすんのよエッチみたいな!」

「どこがですか」おれは尋問したくなった、いったいどこがどうなったらそういう展開になるんだよ。いや、どういう展開かもわかんないけど、でも、

「うん」おれも納得してきた「ちゃんと、がするんだよな」

「だね」彼女が言う「ゆえのフィーリングだフィーリング。うん、それ」


 地下というより地階。

 一階たしかに、おりた・けれども、どこですかココは、まるで、むしろ二階のような窓景色が見えてきた。そよぐ風にあわせて揺れている常緑性の植物たち。決して高いわけではなさそうだけど、それなりに伸びて高く細くて、ゆらゆら、ゆら~り。

 床に着地する、その最後の段から足が浮いてからの足裏の感覚が無重力めいた。だから意識して、ふんばる。どっこい、よろめかんぞ!

 誰かがいたわけでもないのに、気構えしてしまった。

 腕をからめとられた状態で歩きにくかったはずなのに、すでにもう筋肉が再構成されて動きやすくなっている。この変化、この柔軟性。柔軟性?

 おれは自分の腕の様子を確認するために、ちょいと振り返るみたいに視線を斜めに落としてみた。視線の先には、曲げた肘がすでに彼女の乳房のあたりにあって、ニヤアという目でキラッキラの新緑みたいな視線を返される。待ち受けされていたような視線返しに、思わずのけぞりそうになった。まさかとは思うが、そんなおれの動揺を察知したみたいな無表情でグッと腕を肘ごと彼女に埋められてしまった。

 いや、いや、いや、まておい、それ…「痛くない?」

 これ、もしもしおれからのアクションだったら完全に肘鉄だぞ。おぃ。


 「いたくないよ」

 その微笑には『おまえなんかに、このよさがわかるのか? わっかんねぇだろうなぁ』という意識の高い挑発が感じ取れる。うろたえるなよ、ツッパレおれ。ふん、やってくれるじゃねえか。おれの理性は感情を支配したりなんかしない、ただ共闘し共鳴し相互利益となるように最適解を導いてくれるはず。

 「ありか、おまえってさ」

 彼女の横顔に、採光性バッチリの窓から陽射しが降り注ぐ。

 なんの演出だよと思ったけれども、こういうのも天からの恵みなのかもしれないな。

 ゴクリと世界を震撼させそうなノドの響きも、絶大に静かな環境音楽に溶けて消えてしまう。おれの一瞬の躊躇も、わずか刹那の躍動も、フラットに生まれ変えられてしまう。

 ある種の興奮状態でした、けれどもかつてないほどに冷静だったのもたしかです。続けて言ったよ、

 「肌きれい、カワイイな」

 あっけにとられたような表情で視線が凍結される、しかし解除コードがわからないので、なすすべもなく、おれはこのまま彼女そのまま、ゆっくり、ゆっくりといちだんと、ゆっくりと採光性高いデザインの窓が燦燦と輝いて屋内の影を漆黒にしてしまった。

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