まむしが出るから気をつけなさい
と
言われた
まむしには気をつけなさい
へんだ
ヤバい
そう思ったらすぐ逃げなさい
かまわないからね
なりふりかまわずで
とにかく
まむしには気をつけなさい
白蛇は縁起がいい
神様のお使いだよ
そう教えられていたので
まむしって
なんだろう
わからないけれど
コワイ
と感じた
本当は母のことが怖かったのだけれど
そんな母がこれまた怖そうに語るから
余計に怖かった
あるときのこと
いつものように幼稚園から帰ってきて
幼なじみと遊んでいると
「ちょっと ちょっと」
と私の母が手招きした
「おれ?」
ちがった
「わたし?」
と幼なじみが自分で自分を指さすと
うんうんうん 母がうなづき
「こっちこっち、こっち来て」
なんだって?
と
私が幼なじみにたずねると
「それが」と言葉を濁してから
「ちゃんと、はかなきゃダメよって」
え?
「はいてないことバレた。ポケットにしまっておいたの怒られた」
私は知っている
彼女のお母さんが服を汚すと怒ること
とくに
『なんでこんなに泥だらけにしちゃうの』
と怒っていたときは一緒にいたから覚えている
「だから遊ぶときは脱いでおく。こうしとけば汚さないし、怒られる心配もない」
そう言って帰る直前になってポケットから取り出して
はいていたのも覚えている
幼なじみを家まで送るとき
さっきの話なんだかひっかかっていて
のどに刺さった小魚の骨みたいで
取れない
取りたい
と
口に出さずに考えていると
「まむしって知ってる?」
と彼女が
「まむし。聞いたことある」
「うん」
「そのことで?」
「そう」
それきり黙ってしまった幼なじみは
「じゃあね」と手を振らずにバイバイする
ぎいっと彼女の家の
「バイバイ」と手を振らずに答えると
玄関扉の錠ガチっ
ゆっくりあいた
見ていた背中
くるりと顔こっち向いて
「じゃあね」と手を振ってきた
私は黙って手を振った
ばたん!
その夜のことだ
母と姉と
「いいこと? あなたがしっかりしないといけないのよ!」
「いい? わかった? わかったら返事‼」
「ハイは、どうした。ハイでしょ、ハイっ」
理由よりも先に
とにかく叩き込まれた感じだ
従姉妹たちは母に『おいしいケーキあるよ』と呼び出されたらしい
ついでに
私への説教に参加されたようだが
すでに食卓の前に事前協議が済まされていて
彼女たちの息はピッタリだった
いまでも鮮烈に覚えている
幼なじみは
「下着が泥で汚れるのは遊んでいるからじゃない。はいているからだ」
と考えたようで
親に怒られないように
私と遊ぶときは脱いでポケットにしまっておいたらしい
その話は本人から聞いているし知っている
問題は
そこ
「知っててどうして、ほっておく」
「あぶないでしょ、わかってるの?」
「わかんないんなら、わかるように教えたげる」
たたみかけるように説教された
でも
まっしろなケーキに真っ赤な実がのっていて
とてもとても美味しそうな食卓だった
「まむしに狙われたら最悪なの。
やつらはね、穴をねらってくる。
穴につっこんできて、はなれない。
しかも毒を持ってるから。
穴の中で噛みついてきて毒を吐いてきて。
痛いのったら痛いの、苦しいの、そしたらもう、なおんないの」
「パンツをはいていれば、狙われたとしても助かる確率あがる。
時間稼ぎできるでしょ?
そのすきに逃げるのよ全力で」
「あなたがそばにいたって、まむしに狙われたらどうしようもないの。
だからなの。わかる? わかんないの? どうなの、どっち‼」
ついに言葉を返せなくなり
ひとりひとり相手の顔を見るしかなくて
その
でもわかった
よくわかった
わからないや
すると
「わかった。説明する。わからなくてもいいから、よく聞け」
父は新聞広告の白い裏にボールペンで絵を描きながら説明する
「こう」
「こうなって」
「こうだ」
「で」
「これがだな」
私は話を聞いている
しっかり聞いている
もしかしたら理解が追いつかなかったかもしれないが
ちゃんと幼いながらも理解できた…と思う
締めくくりに父が蛇の絵を描いて
「こうやって穴にもぐりこみ、なかでエラを広げるんだ。これでもう抜けなくなってしまう」
その説明を聞いたとたんなぜか
私は戻してしまった
あんなに美味しかった赤い実も白いケーキも
単純に胃から戻るだけではおさまらず
鼻に行かせてしまうというオマケがついて
息も苦しい
くちはゆすげたけれど
鼻のなかは洗えなくて
ずいぶん長いこと
とんでもなく とんでもないことになって
とんでもなかった
翌朝
母は背を向けたまま「さっさと食べなさい」
食器を洗い始めている
姉は髪を何度も何度も
玄関には白蛇の陶器が飾られたまま
幼稚園の制服に着替え終わると
父は私の肩をポンてしてから
「大丈夫、おまえならできる。ちゃんと守れる。
なんてったって、おまえはおれの息子だ。
がんばらなくていい、がんばれ」
いつもと同じように
でも いつもよりすごく
笑顔だった