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第3話


 ガロという狼男が住んでいるのは、古く丈夫な二階建ての住居の二階だった。一階と二階にそれぞれ部屋が三つずつある。周囲には似た建物が並び、異形の住人たちが闊歩していた。

 ガロは用心棒として生計を立てているのだと、一階に住む住人が教えてくれた。チヅという名の、ひょろ長い逆さまの箒のような身体をした化け物だった。わさわさと緑の髪が茂る穂の部分に目と鼻と口、柄に手足をくっつけた見た目をしている。

「このところ、とかく物騒だからねえ」

「物騒って?」

 外に出したたらいで洗濯をするシオは、腕で汗をぬぐいつつチヅを見上げる。この化け物はとかく話好きだった。

「あら、知らないのかい」

 言い出したくせに勿体ぶった言い方をする。だが、話好きなこの化け物には忍耐力がなく、すぐに話の続きを口にした。

「ときおり、街に変な格好をしたやつらがいるだろう。妙なものものしい服着てさ」

「ぼくは、よく知らないけど」

 チヅが言うには、それは列車の車掌を思わせるピシッとした制服姿に、表情をうかがわせない白い頭の異形らしい。顔の部分には、切れ込みのような細い目と口だけがついているそうだ。

「あいつらは、人狩りだよ」

「ひとかりって?」

「あらら、シオはなんにも知らないねえ」すぐに答えを口にしてくれる。「たまあに、人間が迷い込むことがあるだろう」

 シオはぎくりとしたが、それを誤魔化すように手を動かし洗濯を再開した。鈍い化け物は、シオの動揺に気付いていない様子だ。

「やつらは人間を集めてるのさ」

「なんで、そんなことをするの」

「さあ。よく知らないけど、人間は弱いくせに頭が切れるらしいからねえ。食べる以外にも使い道があるんじゃないの」

 箒の化け物は、ひひひと不気味な声で笑った。シオは嫌な気分になりながら、シャツを絞った。


 街には電気が通っていなかった。灯りの源は、シオには信じ難い「灯り虫」という虫だった。蛍の光より遥かに明るく、それでいてこの虫はずっと長い寿命を持っていた。夜しかない街で日数を数えることは困難だったが、シオの体感での一週間を草一本で生き延びた。街には無数にこの虫が生息していて容易に捕獲できたし、虫を扱っている店もあった。

 シオが困ったのは、食事の方だった。食材や料理の多くはその外見で食欲を奪う。どう見ても丸焼きにされたムカデや紫色のスープを当たり前に住民たちは口にしていて、それはガロも同じだった。だが、腹を括れば大抵のものは食べられる自信があったから、文句を言わずシオはそれらを口にした。味は悪くなく、むしろ大半が美味いと感じられるのが救いだった。しばらくすると、シオも抵抗なく食事ができるようになった。

 部屋には椅子が一脚増えた。シオはそこに座り、ガロは正面に腰掛け、テーブルで食事をする。今日も帰ってきたガロと額を付き合わせて食事を摂っていた。料理や掃除といった家事はシオの役目で、テーブルにはパンとスープにサラダ、そして作ったおかずを並べていた。名も知らない硬く肉厚の葉を柔らかくなるまで煮込み、肉屋で買った肉と混ぜて団子にし、巾着状の鳥皮に入れて焼いたものだ。ガロの部屋をよく探すと埃をかぶった料理本を一冊だけ発見した。使った形跡のないその本から、近い食材を購入して見よう見まねで作ったものだった。「なんだこりゃ」と言ったガロは褒めも貶しもしなかったが、皿に取り分けた分を残さず食べた。

「ねえ、ガロ」スープを口に運びながら、シオは狼男をそっと見上げる。「人狩りって、この近くにもいるの」

 ガロは先に食事を終え、不味そうな酒の入ったビンをカップに傾けていた。透明な液体がカップの八分目まで溜まった。

「たまに見かけるな」

 ちびちびと舐めるようにカップに口をつける。如何にも不味そうだが、ガロは毎晩一杯の酒を飲む。不味いが美味いらしい。シオには理解できない。

「ぼく、狐に見えるよね」

 そっと自分の鼻先を撫でた。とんがった狐の鼻。両手を開いてみる。短い指にぷっくりとした肉球。こうなってから、人間の指の使いやすさを痛感した。慣れるまで、今の手では着替えすら困難だった。

「人間くせえ」

 ガロが宙に向けた鼻をすんすんと鳴らす。

「化け物には見えるがな、人間のにおいは隠せねえ。まあ、俺は特別鼻がいいが……街のやつらの鼻は馬鹿だ、よっぽどじゃねえ限り大丈夫だろ。月日が経てばにおいも薄まる」

 腕を鼻に近づけて嗅いでみる。だが、シオには自分の人間特有のにおいというものが全く分からない。それとなく不安になる。

「もし、人狩りっていうやつだったら、ぼくのこと見破るかな」

「見ただけじゃ流石にわからんだろうが。奴らは人のにおいを嗅ぎ取る訓練とやらに励んでいるらしい。近づかないに越したことはないな」

「捕まったらどうなる?」

 カップをテーブルに置き、ガロは背もたれに体重を預けた。大きな体を支える椅子が、ギイギイと二回だけ悲鳴を上げた。

「詳しくは分からん。噂だがな、人を集めて街を牛耳ろうとしているらしい。人間とやらは異様に器用らしいからな」

「もしかして、人狩りも元は人間なのかな」

「さあな。そんなこと、俺たちが調べる必要がない。ただ、大人しく従う人間が欲しいんだろう。抵抗すれば、これだ」

 ガロは右手の親指を立て、自分の首を左から右へさっと薙いだ。シオはごくりと唾を飲み込む。

「……ねえ、ガロは強いんだよね」

 尋ねるシオの視線はガロを見ていなかった。壁にもたせ掛けてある、鞘に入った刀を見ていた。使っているところは見たことがないが、ガロはコートの下にいつもこれを帯刀している。コートを着るのは街に出て、用心棒の仕事に出向くときだ。

「ぼくも、強くしてくれない?」

「何言ってんだ、おまえ」

 ガロはふんぞり返り、両足をテーブルの上に行儀悪く乗せる。ジーンズと靴の隙間から、灰色の毛がもさもさと飛び出している。

「もし人狩りに会った時……それで襲われた時、闘えるようにしたいんだ」

「ばーか。おまえみてえなチビガキに出来る事なんかねえよ」

「お願い、ガロ」

 テーブルに両手を置いて身を乗り出し、シオは懇願する。

「ぼく、強くなるから。そしたら、ガロの仕事の手伝いだってできるかもしれない。そしたら、ガロも楽できるよね」

「俺は楽したいなんて思ってねえよ。満足してんだ」

「じゃあ……じゃあ、自分で他の仕事見つけて、ガロに恩返しする。今は思いつかないけど、役に立ってみせる」

 しかしシオの懇願など歯牙にもかけず、ガロはめんどくさそうに鼻息を吐いた。

「非常食は闘う必要なんかねえんだよ」

 そう言って足を下ろすと椅子から立ち上がり、ガロは刀をひょいと片手で掴む。そして、黙ってしまったシオの方にぽいと投げた。慌ててシオは両腕で受け取るが、その重さにがくんと膝を折ってしまう。

「恩返しだのはどうでもいいが、そんでも荷物持ちぐらいにはなるか」

 どうだと問う視線に、シオは大きく頷いた。

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