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第280話 オーバーヒート

 真っ暗なリビングでひっくひっくとしゃくり上げながらできるだけ声を押し殺して泣いていたら、突然ガチャリと音を立ててドアが開いた。


「うおっ!?」

「ぎゃー!」


 私が灯りも点けずに入り口すぐのところにうずくまってたせいで、入ってきた人が思いっきり私につまずいて転んだ。当然私も巻き込まれて下敷きにされて、突然のことに驚いて悲鳴を上げてしまった。


「ゆ、柚香? 何やってんだ、こんなところで」

「……蓮?」


 痛ててと言いながら蓮は立ち上がって、手探りでリビングダイニングの明かりのスイッチを押した。ていうか、なんで私ってわかったの? 「ぎゃー!」でわかったとしたら普段そんな声上げまくってるみたいで、なんか逆に不本意だわ。


「ごめん、思いっきり蹴ったよな。大丈夫か? ――おまえ、泣いてたのか」


 明るくなってから私の涙でぐしゃぐしゃの様子を見て、蓮が気まずそうに目を逸らした。


「うん……ライトさんが、これを日常にするしかないって言ってたのが、なんかすっごい辛くて。私は日常になんかできないよ……ヤマトのいない日常なんて嫌だ。それで、部屋で泣いたらママとか起きちゃうかもしれないから」

「わかる。俺も『ライトさんたちにとっては日常でも、俺たちにとってはそうじゃない』って思ってた。てか、怪我とかしてないか? 俺割と頭からこけたけど」

「ううん、丸まってたから蹴られただけで怪我とかしてないよ。蓮は大丈夫? なんでここに来たの?」


 もしかして私の泣き声が漏れてしまったんだろうかと心配になったけど、蓮はそっと私の肩に触れてきた。


「いや、目が覚めて喉が渇いたから水飲もうと思って。――おまえ、冷たくなってる。ちょっと待ってろ」


 そのまま私の肩を押してソファに座らせると、蓮はキッチンへと向かった。

 言われて気づいたけど、確かに体が冷えてしまってる。足もちょっと痺れてるし、なんかこういう状況って余計に落ち込む。


 蓮は冷蔵庫を開けて何かを取り出してるけど、今私がいるところからだと角度が悪くて見えないな。

 自分はコップで水を飲んで、マグカップに入った何かをレンジで温めてる。それに何かを足して、一口スプーンで味見して頷くと、彼は大事そうにマグカップを私のところへ持ってきた。


「ジンジャーホットミルク。受験の時とか緊張しすぎると俺眠れなくなるから、よく母さんが作ってくれたんだ、眠れないときにも、冷えてるときにもいいだろ」

「あ……ありがと」


 温かいマグカップを両手で包むと、なんだかホッとした。蓮は私の隣に座ったかと思うと、何故か私に背を向ける。


「ほら、寄っかかれよ。少しは温かいだろ」

「……うん。いただきます」


 背中を合わせているだけだけど、スウェット越しの蓮の体温が心地いい。

 渡されたホットミルクを一口飲むと、生姜が入っているのは言われなければわからないほど。少しだけ入った蜂蜜とホットミルク独特の香りが、重しを抱えて凝り固まっていた私の心をほぐしてくれるようだった。


「美味しい……ちょっとだけ甘くて、ほっとする味」

「だろ? 本当はさ、せめて指先が温かくなるまでぎゅって抱きしめてたいけど、おまえの弱みに付け込んでるみたいな気もして嫌なんだ」

「……聖弥くんが今朝それ言ってたよ。きっと聖弥くんだったら、こういう隙を逃さないで、あいちゃんのこと抱きしめてよしよしして、優しいことたくさん言うんだろうな。あ、蓮にそうしろって言うんじゃなくて、聖弥くんってそういう人だよねって言いたいだけ」

「俺は聖弥みたいに器用じゃないし……それに、ヤマトのことを世界で一番大事にしてるのは柚香だけど、その次に大事に思ってるのは俺のつもりなんだよ。俺にとっても大好きで特別なヤマトが大変なときに、浮ついた気持ちになるのはなんか、違う」


 蓮と背中をくっつけたまま、私は口元だけでほんの少しだけ笑った。

 そっか、そうだね。ヤマトのことを世界で一番大事に思ってるのは私だけど、蓮だってヤマトのこと大好きだもん。

 彩花ちゃんや聖弥くんは、私の「ヤマトを取り戻す」っていう目的に付き合ってくれてるだけだけど、蓮は私と同じように「大好きなヤマトを取り戻す」って思ってくれてるんだ。


「ありがとう、蓮がいてくれて良かった。私に付き合ってやってるわけじゃなくて、蓮自身がヤマトを取り戻したいって思っててくれて嬉しいよ」


 もうちょっとだけ蓮の背中に体を預けて、ゆっくりホットミルクを飲む。マグカップが空になる頃には、私の心の中にあった重い塊はすっかり消えていた。



 ホットミルクのおかげか、私と同じ気持ちを蓮が共有してくれているのがわかったからか、その後はスムーズに眠りに就くことができて、朝まで目を覚ますことはなかった。


 昨日と同じように和食の朝ご飯を食べて、室内でウォーミングアップをする。

 今日からは颯姫さんも参加するし、戦いの難易度も上がるから一層気を引き締めないと。――そう思っていた私のところに、装備を全て身に付けた蓮が歩み寄ってくる。


「思ったんだけどさ、状態異常対策で俺が不滅の指輪付けてるだろ? 颯姫さんもいるしポーション使わなきゃいけないことってまずないだろうから、アイテムバッグ俺に貸しといて。マジックポーション使うから」

「あ、そうか。確かに蓮しか使わないかも」


 アイテムバッグの中には、ママがこの前大涌谷ダンジョンで買ったマジックポーションがほとんどそのまま入っている。昨日も2回くらい蓮にマジックポーション渡したんだよね。だったら蓮が持ってる方が確かに正解だ。


65層に移動して、すぐに蓮は上級魔法を連発し始めた。

 いつもだったら、魔法の与えたダメージがどのくらいか確認してから次を撃つのに、そんなことお構いなしにファイアーウォールでモンスの動線を遮って、スパークスフィアを連続で唱える。


 私たちも戦ってはいるけど、蓮の魔法の範囲が広いから巻き込まれないように自然と端に寄ってしまう。

 65層の敵は、ほとんど蓮がひとりで倒してしまった。最後の最後でMP切れして、すかさず初級魔法のファイアーボールで最後の敵に止めを刺すとマジックポーションをぐいっと飲んだ。


「蓮、どれだけ魔法使ったんだい? 1フロアでMPが尽きるって異常だよ、多分今600を超えてるはずだよね?」


 楽なレベリングと言えばそうだけど、私たちが「パーティーで」戦ってる意味がない。聖弥くんはそんなことを言って蓮のほとんど暴走ともいえる行動を遠回しに非難した。


「大丈夫だよ、颯姫さんがいるから俺は攻撃に専念できるって昨日言ってたじゃん。それに、肉弾戦で戦うより被害もないし早く済むだろ?」

「それは、そうだけど」


 何かが引っかかっているように聖弥くんが語尾を濁した。


「藤さん、あれ……」


 蓮から離れたところにいたタイムさんが、蓮を見ながら颯姫さんに話し掛けている。颯姫さんは角材を地面に立てて、なんとも言えない表情をしていた。


「あれはね、一度自分で体験しないと多分ダメだから」

「何がダメなんですか?」


 私が颯姫さんに尋ねると、彼女は首を振るだけで明確な答えをくれはしなかった。


 蓮は昨日の私を見たから、こんな戦い方をしてるんだろう。それはわかる。

 私の中にある焦りと同じものを、蓮も持ってる。

 多分それだけじゃなくて、私のことを心配してくれてもいるから。

 ――だから、私が止められることじゃない。いや、私が止めるべきなの?


 悩みつつ戦っている間に、凄い勢いで70層に到着していた。ライトニング・グロウが今攻略中の層だ。


「スパークスフィア! ……なんで効かない? スリープ! これもか、クソッ!」


 灰色のゴーレムには魔法が物凄く効きづらいようだ。こういう時こそ物理攻撃の出番なんだけど、蓮は弱点を探そうとしているのか片っ端から魔法を唱え始めた。

 そして、もう何本目かわからないマジックポーションを飲み、ロータスロッドをゴーレムに向けて詠唱のために息を吸い――。


「……あ、れ?」


 ふらりと蓮の体が揺れたのが、妙にスローモーションで見えた。


「蓮!!」

「こいつらのことは任せて! 蓮くんを階段まで避難させて!」


 蓮の名前を呼びながら駆け寄る私に、颯姫さんが角材を小脇に抱えて突撃しながら指示をしてくる。

 ゴーレムの胸のど真ん中にまさに破城槌としか言えない攻撃を叩き込む颯姫さんを視界の隅に捉えながら、私と聖弥くんが蓮の元に辿り着く。


 既に意識がないらしい蓮を見て、ドクリと心臓が跳ねた。


 蓮の顔色は通常ではないことを示すように赤く、鼻血を流しながら倒れていたから。


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