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第109話 運命という名の不安定なもの

 オッペンハイム商会がただの石買い屋でないのには、確固たる理由が存在していた。


 それはもちろん彼の家である、オッペンハイム商会が持つ資産や権力、そして様々なコネクションは元より、そこへと至るれっきとした過程が彼の家にはあったからである。


 彼の父親であるロス・オッペンハイムも、そのまた父親も共に街中で小さな店を営むただの肉屋だった。

 ロスはとても野心家であり「肉屋のままでは、父親と同じ道を辿るしかない……」と、このままでは自分が大成することができないことに気づいていた。


 だから無理を承知の上で店を担保にして、小さな石買い屋を買収することにした。


 石買い屋はただ上物があれば誰でも簡単にできる仕事とは違い、それこそ鉱山経営者からの信頼と役人の権力だけで成り立つような産業である。


 そこへ新参者が参入……それもただの肉屋が小さな石買い屋とはいえ、金で強引にも買収を仕掛けたもので、既存の石買い屋達によく思われるはずがなく、取引をしてくれる鉱山も多くはなかった。


 ロスにできるのは誰も買わないような質の悪いクズ鉱石を仕入れるか、他よりも高値で落札するしか道はない。

 当然それでは会社に利益など出るはずもなく、たちどころに経営は傾き借金ばかりが膨らんでいた。


 そこで彼はどうしたかというと手っ取り早く金を稼ぐため、株に手を出し始めた。


 金さえあれば、鉱山経営者からの信頼も役人の権力も思うがままに出来る。

 言うは簡単であるが、それを行うには並大抵の金ではとても不可能というもの。


 だがしかし時代が良かったのか、それとも先見の明があったのか、彼は近隣諸国との戦争時に株で大儲けすることができたのだった。

 ……とは言っても、その手段と考え方は他を逸脱するほどである。


 普通ならば、戦争時には食料や銅や鉄などの物資を独占的に買占め、十分に値上がりしてからすべて売り払い儲けるのが極一般的な手段である。

 食料は戦地へと向かう兵隊の糧食となるため庶民レベルで慢性的に不足して値上がりし、銅や鉄などは武器の製作やそれに伴う軍事産業に欠かせないため物資不足からこれまた必然的に値上がりするわけだ。


 だが彼の場合はそれらとは違い、まったく真逆の行動を取ったのだ。


 まず自分達で持っていた鉱物資源を半額で市場へと流し、それから麦や大麦などを通常よりも高値で仕入れてはその半額程度で売り払ってしまったのだ。


 通常物資不足時には、市場価格は数倍に跳ね上がってしまう。

 それも他国との戦争ともなればその期間は数年にも及ぶため、物が値上がりすることは言わば常識的なことである。


 それなのに通常価格どころか、その半値で売り払うというのは常軌を逸している行動と言えよう。

 一見すると周りの人間からすればとても奇異な行動に見えるだろうが、そこにはちゃんとした狙いがあったのだ。


 一部の金のある者が品物を買占めているのに、その真横で同じ物を半額で売っていれば、誰しも半額の物を買ってしまうのは当たり前のこと。

 それも一度や二度ならまだしも、ロスはそれを何度も繰り返すことで価格が上がることはないという風潮と物の価値観を庶民に植え付けてしまったのだ。


 物資を買い占めていた者達が高値で市場へ流してもそれを買う物はほとんどおらず、みんなロスが半額以下で降ろす商品ばかり買うようになっていた。

 こうなってしまうと戦時中の物資不足だろうと期待を込めていた値上がりする見込みは薄れてしまい、それまで値上がり目的で買い占めていた貴族や石買い屋達もロスと同等の価格で売りに出さねばならなくなってしまう。


 当然その差額は損となり、ほとんどの会社や商会は見込みを込めて通常よりも高値で仕入れていたため、会社が傾くほどの大損をしてしまう。

 それに伴い、株価も大きく下落して、本来の価値である額面1/3までになってしまった。


 そして今度はロスは、株でも同じ事をし始めたのだ。

 まず値が下がった株を買占め、そしてある日突然そのすべてを投売り価格で売り払ってしまう。


 これまで買い占めていた人間がすべてを、それも損を承知した上で売り払う行為とは周りの者にも影響を与え「これは何かあるな……。もしかしてヤツは事前に何かの情報を掴んでいるのではないか?」と勘繰るのが頭の良い者達である。


 それこそがロスの目論見であり、それはまるで水面に落とされた小石のように小さな波がやがて大きな波へと変貌を遂げるかのように、証券所という極一部の閉鎖的空間で爆発的に広がりを見せてしまった。


 そうなってしまえば、あとは俺も私も……と、みんながみんな持ち株を売り払うようになり、株式市場での大恐慌が引き起こってしまう。

 それは自国だけに留まらず、近隣諸国まで波及してしまうほどであった。


 そうしてロスは紙クズ同然になってしまった株を買占め、市場を独占してしまったのだった。

 あとは戦争が終わり平時に戻った際、ゆっくりとそれまでの損を取り戻せばそれでいい。なんせライバルであった相手が株式の暴落により会社ごと軒並み誰も居なくなってしまったのだから、物資の価格なんて彼の思うがままである。


 もちろんこれらをするための資金の出所は銀行ではない、個人の高利貸しからの借り受けであった。

 通常ならば経営が傾いている石買い屋なんかに融資する者はいないのだが、彼は年利50%という暴利を条件に担保として家と石買い屋の店、それに鉱物資源を売買するための権利までも差し入れ、その担保価値の数倍の資金を調達することに成功していたのだ。


 それを元手に通常ならばありえない物の売り買い手法と株式市場を操作するという奇策を用い、企業を買収して今の地位まで登りつめた。


 人が大成するには、まず他の人と同じ事をしていたのではとても不可能であると言えよう。

 そこには斬新すぎるほど斬新なアイディアを用いるか、絶対的なノウハウか、はたまた圧倒的な資金力や権力、そして時には強運までをも持ち合わせなければならないことだろう。


 努力、天性の才能、そしてすべてを決めるであろう運。

 運とそのどちらか一つを得られれば、人は誰でも容易に大成することができる。


 いくら人よりも努力をしたからと言っても必ずそれに応じた結果で報われることはなく、それと同時にいくら才能があろうともそれを生かせねば意味を成さない。

 それらを結びつけて結果へと導けるのが運であり、この世のすべてを決めると言っても決して大げさではなかった。


 人を導くのが運命であるならば、人を奈落へと突き落とすのが命運である。


 結局、人の評価とは自分の周りに居る人間が、ほぼすべてを決めると言っても過言ではない。

 もしそれを覆すには、自ら人生を切り開き、自分のその手で『運』という名の不確かで不可抗力的なものを掴み取る他ない。


 そしてその運を自らの手元へと引き寄せるためには、自身の才能や努力することはもちろんのこと、タイミングを見極めることできる目と何者をも恐れぬ、大いなる決断力が必要になってくるのは言うまでもなかった。


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