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第107話 顔に傷跡を持つ男

 それからケインは人が変わったように何事にも真面目になるようになっていた。


 最初はデュランと一緒に鉱山の仕事をするとマーガレットに伝えた時には、とても驚かれ「け、ケイン。あ、貴方、今度は頭でも石にぶつけでもしたのっ!?」などと心配されてしまうほどだった。


 それこそ毎朝のように鉱山へと向かい、真面目に仕事をするようになってからは、彼女もどこか安堵したといった表情を見せるようになっていた。


 ケインの鉱山での仕事は、彼の立場上デュランと同じ立場である共同経営者なので本来ならば現場監督であるアルフに指示を出したり、鉱山を運営していくための資金調達するくらいなものである。

「だが、それではこれまでと同じになってしまう」との彼の申し出により、他の鉱員達と同じく坑道へと潜って肉体労働である採掘を手伝うようになっていた。


 彼も自身の鉱山を経営していたので多少なりとも鉱山仕事の知識はあったのだが、それでもそれは経営者として机上の空論に過ぎなかった。

 良き経営者が、それと同時に良き労働者になれるとは限らない。


 ケインは肉体労働という過酷な労働をするのは初めてで、採掘に対する技術も知識もなかった。

 それでも彼は毎日他の鉱員達に交じりながら必死に働いていた。


 朝も早くから鉱山へと向かい、夕暮れになる頃に自宅へと帰ってくる。

 慣れない労働の疲れから食事を取り入浴したら、彼はすぐに寝てしまうほどなのだとデュランはマーガレットに聞かされた。


 だがそう語るマーガレットの表情はどこか嬉しそうだった。


 ようやく彼がまともな人間になり、ちゃんと仕事もするようになった。それも以前なら馬鹿にして蔑んでいた労働者と同じ仕事をしているのである。

 それにデュランのことを毛嫌いを通り越して憎しみを持っていたはずなのに、今は多少のぎこちなさはあるが普通に会話をするようにもなっていたのだ。


 きっと夫は心を入れ替えてくれたのだ……マーガレットはそう思うと笑みが浮かんでしまうほど、嬉しかったのかもしれない。

 だから彼女はこうしてわざわざデュランのレストランまで足を運んでまで、そんな話を聞かせてくれたのだろう。


 デュランもそんな嬉しそうな顔をしてケインのことを話しているマーガレットを見ながら口元を緩め、「そうか……良かったな」と頷きながら話を聞いている。

 確かにケインからデュランへと話してくるようになってきたし、顔色も過酷な労働で疲れているはずなのに以前よりも良いくらいである。


 人間、毎日働いてご飯を食べてよく眠れば、悪いことを考える余裕が無くなるものなのかもしれない。

 それが人、本来のあるべき姿なのだろう……デュランはそのように考えていた。


 だからこそケインのことを鉱山の仕事へと誘ったのだった。

 でもまさか彼が他の鉱員達に交じって、労働をするとはデュランでさえも夢には思わなかった。だがそれも嬉しい誤算ではある。マーガレットとケイン二人の顔、それを見れば良い方向へ向かっていると確信が持てるのだから。


 だが彼らはまだ知らない。

 これから過酷で非情すぎる困難が、彼らのことを待ち受けているということを……。



「何? ケインのヤツが心を入れ替えて今は真面目に働いているだって? それもデュランの鉱山で鉱員共に交じって肉体労働をしているだとっ!? くくくっ。アイツ、ついに頭でも可笑しくなったのか? 確か拳銃で自殺未遂をしたんだってな? 死に際を誤ったな……まぁいいさ。ヤツも現実ってものを痛いほど自覚する時がやってくれば、そんな上っ面の心なんてものは吹き飛ぶだろう」


 ちょうど時を同じくしてルイスは部下からケインの近況について詳しい話を聞き、どこか愉快そうに彼のことを嘲笑っていた。

 そして彼の手元には、頭に借用書と書かれた一枚の書類が置かれており、そこにはこう記載されていた。


 額面……金貨1000枚

 利息……年利40%

 借受人……ケイン・シュヴァルツ

 担保……トール町中心○○番地、トール町はずれ○○番地

 貸出人……ルイス・オッペンハイム

 返済期日……貸出人が返済を求めた際、即日決済


 借受人の書名欄にはケイン・シュヴァルツの名前が記載され、貸出人はもちろんルイス本人である。 

 担保としてケインの家と屋敷の住所が書かれており、その書類の右脇には権利書と記載されている紙が二枚重なっていた。


 この時代において、貸し金業とは誰もが国の認可を受けずして出来る生業の一つだった。

 当然貸す側は貸し出すだけの資金が必要になるので、貸し金業が出来るのは多額の資産を持ち合わせている貴族か、大金を持っている成金しかいない。


 またその利息や担保、それに返済期日云々についても貸し出し側の思うがままである。

 書類に記載され、一旦署名をしたが最後、仮に公的機関である裁判所に願い出ても契約の概念と経済の土台の観点から異議が認められることはまずないと言えよう。


『契約』とは互いの合意の下に行われるものであり、例え不合理や不都合が生じた際にも名を記すその瞬間は納得していたことであると捉えられ、後からそれを覆すことはできないと法律や条例として定められていたのだ。


 またその法律や地方の条例を作り上げているのも、貴族や成金達であるからして、そのような暴挙が一般良識として罷り通っているとも言える。


 個人で営む貸し金業の他に正規の銀行も確かに存在していたのだが、借受側は事前に貸し金以上の相応の担保を差し出さねばならず、また利息も高利ほどではないとはいえ取られてしまう。

 それに銀行も度重なる不況と戦争の煽りを受け、元本割れや返済不能の債権をそれこそ山のように抱えてしまい、金を貸すのは安全だと思える資産を持つ合わせている貴族かルイスのような成金ばかりで、銀行とは一口に言っても庶民にとっては名ばかり程度の存在でしかない。


 そして個人の貸し金業が居なければ、今このときより国の経済はたちどころに止まってしまい、それこそ国自体が傾いてしまうかもしれない。

 だからこそルイスのような資金も権力も、また人脈までをも持ち者達が銀行の代わりに庶民や金に困った貴族達に高利で貸付け、食い物にしていたのだ。


 だがそれでも国やその土地を支配する権力者達は、彼らが高額の納税をしていることを理由に良しとして「困っている庶民や貴族達を助けているのだ!」などと、むしろ推奨しているくらいだった。


 金に困っている庶民や貴族を助けるため、それと同時に……いや、それ以上に苦しめる。

 甚だ本末転倒であり矛盾している事柄ではあるが、それが現実というものなのかもしれない。


 いつの世でも、庶民は苦難を強いられ、権力者達の食い物にされてしまう。

 それはこれから何年何十年何百年経とうとも、同じことの繰り返しなのかもしれない。


「さてさて、今度も私のことを存分に楽しませてくれよデュラン君。そうでなければ戦地で死ぬはずだった君のことを、こうしてわざわざ生かした甲斐というものがなくなってしまうからねぇ~。くくくくくっ。は~っははははははっ」


 何がそんなに愉快なのか、ルイスはまるで子供のようにはしゃぎながら両手をわざとらしく叩くと、まるでデュランのことを馬鹿にするかのような大笑いをしていた。


「…………ニヤリ」


 それを脇で控え見ていた部下の男も、ルイスに負けないほどの悪魔染みた不気味な笑みを浮かべていた。


 彼の右頬には鋭利な刃物で斬られたような傷跡が刻まれており、その男はまさに戦場でデュランのことを撃ったあの部隊長と呼ばれる男であった。


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