「私の目の前で床に両膝を突き、そして先程あった無礼に対する許しを請え」
「っ!? 俺に……床に両膝を突いて許しを請え……だとっ!?」
「ああ、そうだよ。私はそう言ったのだ。もしかして聞こえなかったのかな?」
目の前の相手に対して両膝を地面へと突き許しを請うという行為は、貴族にとって最も侮辱的行為であると同時に相手への全面降伏の意味合いも含まれている。
貴族出身でさえないルイスも当然如くそれを知りながら、敢えてそのような無茶な要求をデュランへと突きつけたのだった。
またいくら金や権力があろうともルイスは単なる石買い屋であり、それ以上でも以下でもない平民という身分である。
持って生まれた血統や家柄というものはいくら本人が努力しようとも叶わぬものであり、この世の中で絶対に覆せないモノの一つでもあった。
ルイスはデュランに屈辱的行為を目の前でさせることにより、通常では決して味わえぬ強者としての優越感に浸りたかったのである。
「……その、見返りはなんだ?」
「見返り? 薬の代金としてじゃ物足りないとでも言うつもりなのかい? ふん、見かけに寄らず君は強欲なんだね。だがそうだな……君のこのネックレスと指輪とやらを金貨2枚程で買い取ってやろうじゃないか。どうだ、破格の取引だとは思わないかね? 私の見立てでは、この装飾品の本来の価値としてはせいぜい銀貨十数枚程度だろう。それをその何倍もの値である金貨2枚で買い取ろうと提案しているのだ。それもただ君が床へと両膝を突き、許しを請うだけでね。悪くはない話だとは思わないか、なぁデュラン君?」
ルイスはデュランに対してそのように提案をしてきた。
(ふん。ちょうどいい。これを機にデュランのヤツを|傅《かしず》かせるのも悪くはない話だ。いや、むしろ見世物としてはこれほど最高なものは他にないだろう……。なんせ平民であるこの私が貴族に、それも床へと両膝を突かせるのだからな。それと同時に恩を売りつけることもできるだろうし。さぁ~て、デュランはどう出る? 直接頼みにくらいなのだから、そもそも選択肢など始めから決まっているだろうがな。くくくっ)
デュランはそれに応じなければ薬を得られず、また応じてしまえば彼の言い分に屈することになる。
(ぐっ……ど、どうすることもできないのか? 俺はこんなヤツに……ルイスに膝を突かなければいけないのか? だが、ネリネの母親のためならば致し方ない)
デュランは心の中で自分の感情を押し殺すとルイスの前に立ち、そして床へと両膝を突いてみせた。
「こ、これでいいのかよ?」
「いーや、まだだ。それではまだ半分しかしていないだろ? 私への許し……謝罪の言葉がまだじゃないかな?」
「ぐっ……る、ルイス……さっきはすまな……かった。このとおり……謝る」
デュランは悔しそうに床へと顔を下げたまま、目の前で腕を組み仁王立ちしているルイスへと謝罪の言葉を口にした。
貴族として、また同じ男としてこれ程までに屈辱的行為は他に類をみない。
「ぷっくくく。ま、まぁ少し言葉が足りない気がするがこのくらいで大目にみてやろう。なんせ私は心がと~っても広いものでね」
「っ!?」
ルイスのその言葉にデュランは思わず両手を強く握り締めてしまう。だがまるでそんな彼の神経を逆なでするかのように、ルイスは言葉を続ける。
「それにしてもまさか君が……あ~っはははははっ。まさかまさか貴族である君が本当にそんなことをするとは愉快この上ないよ! 君にはプライドというものが無いのかね、デュラン君? あ~っはははははははっ」
そこでルイスはついに笑いを堪えることが出来ずに盛大に笑い、これ幸いとばかりに彼のことを罵る言葉を吐き出しぶつけてきた。
デュランはその笑い声と侮辱に耐えながら、立ち上がり膝に着いている埃を手で払う。
「さぁもういいだろ……これで満足しただろ?」
「はははっ。あ~っ、これはすまない。あまりにも愉快すぎてしまってね。ほら、約束の金貨だ……受け取るがいいっ!」
チャリンチャリン。
ルイスは未だ嫌味そうな笑みを浮かべながらも、デュランが両膝を突いていた床へと金貨2枚を投げつける。
「……こ、これは一体なんのつもりだ?」
「ははっ。君のような没落した貴族には床がお似合いというものさ。ほら、先程のように早く床に膝を突いてその金貨を拾いたまえよ……デュラン君♪」
再びデュランのことを床へ這いずらせるため、ルイスはわざと金貨を床に投げつけたのだ。
(こ、コイツ……どこまで俺のことを馬鹿にすれば気が済むんだ!)
「ちっ!」
「おやおや、今度は膝を突かないのかいデュラン君? なーんだ、これは残念なことだ。もう一度君が無様に床を這いずる回る姿を目にできると楽しみにしていたのだがなっ!」
デュランがしゃがみながら床に落とされた金貨を拾うと、ルイスは彼の自尊心を抉るかのように再び嫌味とともに罵声を浴びせかけた。
「邪魔したなっ!」
「いやいや邪魔だなんてとんでもない。いつでも来てくれたまえよデュラン君。また今日のように最高のもてなしをしてあげるからね。あ~っはははははっ」
そうしてデュランはルイスの笑い声を後ろ背にオッペンハイム商会を後にする。
ルイスから馬鹿にされ罵られはしたが、これでどうにか肺に効く薬を買えるだけの資金を得ることが出来た。
けれどもそれと同時に彼は貴族としてのプライドを大きく傷つけられてしまった。
だが逆にデュランの中で燃え上がる闘志はより強い炎へと変わっていくのを彼自身も自覚していた。
(今日の屈辱は覚えておくからなルイスっ!! そしていつの日にか絶対に後悔させてやる……)
それは屈辱を受けたからという復讐心であったが、自分を奮い立たせるためにはむしろ良かったのかもしれない。今日の出来事をそのように心に刻み込むと、デュランは街中にある薬屋を目指すのであった。