「あっお兄さん。それはそこの調理台に置いてていいよ」
「ここだな? よいしょっと」
デュランはリサに言われるがまま、先程届けられたばかりの骨や豆を荷馬車から降ろして調理場へと運び入れていた。
なんと言ってもレストランに食材は付き物である。そもそも食材が届かなければ、売る商品を提供できないのだから、店を開けても何ら意味はない。
そう思いながらみんなで掃除をしている最中、そこへ先程の市場で野菜を購入した店主が荷馬車で商品を届けてくれたのだった。
だがしかし、荷物を店先まで届けてくれるのは良かったのだが、生憎と建物の中へと運び入れるのは別とのこと。
本来なら、ここは使用人などを使って運ぶべきなのだろうが、生憎とデュラン達にそんなものを雇い入れる余裕はないために、デュランがその役を買って出ることになった。
リサやネリネの女性人に重い荷物を持てるわけがなく、アルフもアルフで店の古びた壁のペンキを塗るなどの仕事を担っていたため、たまたま手が空いているのがデュランだけだった。
「これで最後……っと。どうだリサ。食材も届いたことだし、明日には店を開けられそうか?」
「そうだね。っと言っても提供できるのはスープと仕入れた黒パンだからね。それにどれくらいお客が来てくれるかも分からないかなぁ~」
リサは運び入れたばかりの豚の骨をオーブンで焼いてから熱を冷まし、そしてノコギリで切れ目を入れてからまな板の上で包丁を使い真っ二つにする作業をしながらそう言った。
「まず最初に骨をオーブンで軽く焼いてからノコギリで切る……それだけ聞いたら案外大したことのないように思えるが、そのちょっとした工夫が美味しさの秘訣でもあるんだな」
「そうだよ♪ これでもし具材として肉の欠片でもあれば、も~っと美味しくなるんだけど贅沢もできないしね」
始めは「どうしてそんなことをするのか?」とリサへ尋ねたのだが、骨とは中にある髄液が染み出すことでよりコクがあるダシが取れるとのこと。
それも最初にオーブンで焼くことにより、香ばしさと表面に付着している油が溶け出して香りと甘味を提供してくれる。
これらの工程を除いて骨をそのままお湯で煮込むだけでは単に調理時間が長引いてしまい、無駄に燃料を消費させてしまうとのこと。またこのような美味しいスープを作ることはできないとのこと。
料理とは材料の良し悪しも然ることながら、どれだけの工夫と手間暇かけたかによって味が大きく変わってしまうとリサは言った。
そのための工夫がオーブンで焼くことであり、また骨をノコギリで切ることでそれと同時に手間をかけることになる。
例え安い材料だったとしても、それらの工夫次第ではそこらのレストランと同等の料理を提供することができるとリサは自信満々そうにしていた。
「お兄さん。もしよかったらちょっと味をみる?」
「いいのか?」
「はい、どうぞ」
そう言ってリサは味見用の小さな平皿に煮込み最中のスープを汲み入れた。
色はどこか薄茶色かかっており骨から滲み出た油が水と分離しているのか、円周りにスーッと薄い油膜が出来ている。
「じゃあ遠慮なく……ズッ。うん、味付けはまだしていないから単純だけど奥深い味になっているな」
「ふふっ。まぁね。まだ完成じゃないから塩は後から入れるんだ。じゃないとドンドン煮詰まるからしょっぱくなっちゃうからね。それにこまめに灰汁を取ってあげることで、より透明感のある洗練された奥深い味わいになっていくんだ♪」
リサが今作っているスープは牛の骨で取る出汁スープであるフォン・ド・ボーよりも強烈な力強さはないのだが、その代わり豚が秘めているほんのりとした甘味が抽出されており、とても美味いとデュランは感じていた。
これもまた単純な作りながらに手間暇かけているおかげであると改めてデュランは思ってしまう。
「あれ? そういえば一緒に買ったヒヨコ豆だかと葉物なんかは一緒に入れなくていいのか? どうせ煮込むんだろ?」
「ああ、アレね。あれは最初水に浸してから入れるんだよ。じゃないと長時間煮込んでいるうちに型崩れしちゃうからスープ自体も濁っちゃうし、何より具材として楽しめないでしょ? 葉物野菜もまずは食べられるところを選別してから、汚れなんかを落として一口大に整えないとね」
リサはスープ横目に調理台上に置かれているヒヨコ豆が入っている麻袋と、その隣に置かれた木カゴいっぱいに入れられた葉物野菜に目を向けながらにそう説明してくれた。
「こうしてみるとスープ一つ取ってみても工程と言うべきなのか、ちゃんと手順があるんだな。そういえば黒パンのほうは……」
「黒パンは明日の朝、まとめて持ってきてもらうことにしてあるよ。ボクの馴染みの店だから顔利きで、代金のほうも一週間くらいなら待ってもいいってさ」
「後払いでも良いって言ってくれたのか? そうか……それなら安心できるな」
「本当ならパンもここで作れれば一番良いんだけどね。まぁ……とは言っても調理できるオーブンがあったとしても、そもそも小麦どころか大麦なんかの原材料がまったく無いから、そうもいかないんだよね。にゃははっ」
そう言ってリサは少し苦笑していた。
一般的に庶民がパンと呼ぶものは、見た目のとおり表面から中まで真っ黒な『黒パン』と呼ばれるものである。
これは少量の小麦粉に大麦やその他
だが小麦粉以外の物が混ぜられているため、とても硬く所々で歯ごたえがあるのでよく噛まなければ飲み込めず、そのため腹持ちが良い。
そして焼いてから一週間ほどは日持ちするため、一般の家庭では一度に大量に焼くかパン屋から買うのが普通であった。
対して貴族や王族が食す主食用のパンは小麦のみで作られたとても柔らかい見た目の真っ白な『白パン』と呼ばれるものである。
だがとても高級品であるため、庶民どころかお城を守る一般兵士ですらも一生に一度口に出来るかどうかとさえ言われるほどであった。
デュラン達はスープにその黒パンを付け庶民に提供することで、馴染み客となってくれる労働者達が毎日でも食事をしに来てくれるようにと考えていた。
もっともそれも仕事をして賃金を得て客達に持ち金がなければ、食べに来れないことなのだが……。
「じゃあリサ、この場は任せても大丈夫か?」
「うにゃ? お兄さん、どこか行くの?」
「少し野暮用があってな」
デュランは明日の開店を待ち望む間にやるべきことをしようとリサへ断りを入れてから、レストランを後にする。
その途中、ネリネやアルフにも同じことを問われたが同じく答えどうにか遣り過ごした。
(本来ならここになんて来たくもないが、致し方ないよな……)
デュランは徒歩で街中を歩き、ようやく目的の店を見つけることができた。
そこは街中でも一際大きな建物であり、デュランが来たくない場所でもあった。
いざ店の中へ入ろうとした瞬間、ある人物の姿を見つけてしまい、デュランは思わずこう口から漏らしてしまった。
「寄りにも寄って……なのかよ」
「うん? デュラン? 何故、君がここに?」
なんとそこは街中央にドンと構えられているオッペンハイム商会の本店であり、そこに居た人物とは当主であるルイスだったのだ。