「それって……」
「ああ、どうやらあの騒ぎでこの一本だけは無事だったようだな」
「でもその薔薇は茎が折れているようですが……」
デュランが手に取った薔薇は蕾の部分に泥を被ってはいなかった。
けれども代わりと言わんばかりに、茎の真ん中部分から半分に折れ曲がっていたのだった。だが逆にそれが幸いしてなのか、上にある蕾部分が地面から跳ね上がることで泥から汚れるのを免れたようだった。
「運が良いと言ったらそれまでになってしまうが、こうして上の蕾部分は無事のようだからな。それに花束としての贈り物にでもしない限り、上半分だけでも十分すぎるほどだろう」
そう言ってデュランは折れ曲がった部分の下を折り捨て、汚れていない上半分の蕾だけを手にすると、そのまま目の前にいるリサへと差し出し膝を突いた。
「えっ? えっ? お、お兄さんこれって……?」
「う、ん。なんというか、さっきのお詫びとでも言うべきなのか……そう言った類のものとして、この薔薇を受け取ってはくれないか?」
どこか気恥ずかしさがあるのか、デュランは照れたようにそっぽを向きながらリサに向け、そう口にした。
少しキザすぎるなどと自分でも自覚があるのか、それとも赤い薔薇を異性へと送る意味でも考えてしまったのか、差し出している蕾の色に負けないほどデュランの頬は赤らいでいた。
「でも……いいの? ボクなんかが貰っちゃってさ」
「い、良いも悪いもない。こうしてお前に差し出しているんだ、リサは黙って受け取ってくれればそれでいい」
「わわっ。あ、あり……がと……う」
それでも受け取るか迷っているリサに対してデュランが立ち上がり、徐にぐいっと彼女の胸元付近まで薔薇を差し出して強引に受け取らせた。
「綺麗な赤い薔薇だね……うん♪」
有無を言わさないデュランの行動に初めこそリサも戸惑っていたのだったが、受け取った薔薇のあまりの綺麗さに目が離せなくなっていた。
「その薔薇の赤さは……じょ、情熱の赤ってやつかもな」
「うにゃ? お兄さん、それって何に対して情熱なの?」
「ぅぅっ……そ、そんなことは知らんっ!!」
恥ずかしながら自分の気持ちを乗せたそんな呟きにリサが少し意地悪な反応を示すと、デュランは少し強めに知らないと否定した。
受け取った当の本人であるリサだって赤い薔薇を異性に対し、それも想い人へ送ることの意味は知っているはずなのに恍けている……いや、知っていながらも敢えてデュランの口から聞きたいがため、そう聞き返していたのかもしれない。
赤い薔薇の花言葉とは想い人への愛情を示すものであり、それは普段口下手な男性にとっては簡単に自分の想いを告げられる便利なものでもあった。
けれどもこの時のデュランの想いは違い、昨日までの『好き』という感情から『愛情』へと移り変わっているのを暗に示したかったのだ。
だが、そんなデュランの気持ちを知っていながらも、直接口に出して言って欲しいとの照れたリサの想いも含まれていたのかもしれない。
そしてデュランはふと自分とリサのことを見つめている熱い視線に気づくと、その子に対してこう言葉を口にする。
「ね、ネリネも何惚けた表情で見てるんだっ!」
「あっ……すみません。あまりにもリサさんのことが羨ましいと言いましょうか、まるで演劇のラブシーンを間近で見ているように思えてしまって、つい……」
まったく悪びれた風どころか、むしろ興味津々と言った感じにネリネは頬を赤らめながらも、二人のやり取りが劇のワンシーンだと口にしながら、一人悦に入っていた。
「うっ……た、確かにキザすぎるというか、雰囲気に呑まれた感はあったかもしれない」
「ぅぅっ」
デュランもリサもその自覚が今頃になって芽生えてしまったのか、改めてネリネの口からそう聞いてしまい二人揃って顔を赤くしてしまう。
「それはそうとネリネ……手を前に出せ」
「えっ? 手……ですか? こう、でよろしいでしょうか?」
「いや、ひっくり返して手の平を開いてくれ」
「あっ、はい」
いきなり何の脈絡もなく、デュランがネリネに対して手を出すよう指示を出すと、そう指示された彼女はどうしてそんなことを彼が言っているのか分からずに、首を傾げながら言うとおり手を差し出す。
けれどもデュランに何かしらの意図があるのか、手を出している彼女に手の甲ではなく手の平を上にし、開くように告げる。
「これっ! ば、薔薇の代金だっっ!!」
「あっ……」
デュランはポケットに手を入れ、そこから銅貨2枚を取り出すとネリネの手の平に乗せた。
そこがもし酒場かレストランのテーブルか何かだったら、バンッと大きな音を立てる勢いだっただろうが、生憎とネリネの手の平ということもあってなのか、デュランは優しくポンッと乗せたのだった。
「で、ですが……」
「良いのだ。黙って受けとれ」
「で、でも私のことを助けていただいたのに、それなのにお代を受け取るわけには……」
「いや、こちらも薔薇を受け取ったのだからこれは正当な代金だ。それにたった銅貨2枚のこと、薔薇を売っても2本分にしかならないだろ」
デュランは遠慮しなくて良いと彼女の右手を両手で包み、そのまま優しく手を閉じさせた。
そしてどこか恥ずかしそうに顔を明後日の方に向け、頬を指先で搔きながら、こう口にする。
「すまない。薔薇を売ってくれとか大口を叩きながら、たった2本分の代金しか渡すことが出来なくて」
「いえいえ、そんな頭まで下げられて……」
「最初にネリネに声をかけられたときにも言ったのだが、手持ちが無くてな。実は俺達は……」
そしてデュランは今自分が置かれている状況やレストランを再開させようとしていることなどを簡単にネリネへ説明した。
するとその話を聞いた彼女は何を思ったのか、デュランに向かってこんなことを口にする。
「あの……もしよろしければ私のことも、デュラン様のレストランで働かせていただけませんか?」
そのネリネの一言はデュラン達にとって願ってもない申し出だった。