「もう大丈夫なのか?」
「はい。デュラン様のおかげです」
「……そうか」
きっといつまでも悲しそうに泣いていたのでは、薔薇達にも申し訳ないとネリネは思ったのかもしれない。
そしてデュランの温かさと優しさに触れ、心が癒されたのかもしれない。もう彼女は泣いてはいなかった。
「いつまでも地面に座り込んでいては冷たいだろう。さぁ、ゆっくりと立ってみろ」
「はい」
デュランが右手を差し出しながら、ネリネの右手をそっと手に取って彼女のことを立たせる。
「少し、赤くなっているな」
デュランがネリネの顔を覗き込むようにそっと瞳を見つめると、目が少しだけ充血していたのだった。
「さ、先程まで泣いていましたから当たり前ですよ」
「んっ? ああ、そう言われたらそうだよな。当たり前のことだよな……何言ってるんだろ、俺は……ははっ」
「もうデュラン様ったら……嫌ですわ。ふふっ」
「いや、ほんとすまない。別にウケを狙ったつもりはなかったのだが……」
ネリネにそう指摘されてしまい、デュランは当たり前すぎることを口にしてしまったと、困り果てたように後ろ手で髪を撫で誤魔化そうとした。
けれどもそれが幸いしたのか、先程の悲しそうな顔から一転、今のネリネには笑顔が戻っていた。
「ふふっ」
「ははっ」
ネリネはデュランの物言いがあまりにも可笑しかったのか、口元に丸めた右手を添えて必死に笑いを堪えようとしていたが、結局は笑みが零れてしまう。
そんな彼女に釣られてデュランまでも笑ってしまっていた。
持ち主を不幸から守り、笑顔を取り戻す……もしかすると、それが幸福の薔薇たる由縁なのかもしれない。
「あのぉ~、良い雰囲気のところ邪魔して悪いんだけどさ、もしかしてボクってお邪魔なのかな?」
「んっ?」
「あっ」
それまで二人の様子を傍らで見守り、ずっと黙っていたリサがおずおずとした感じに右手を挙げながらそう二人の間に割って入った。
それはまるで自分の存在を忘れて欲しくはないとのアピールだったのか、それとも寂しさからくる感情だったのか、彼女自身も定かではなかった。
「す、すまないなリサ」
「あの……すみません」
「……いや、二人同時に謝られたら、余計ボクの立つ瀬が無くなっちゃうよ」
デュランとネリネもそこでようやくリサの存在に気づき、彼女に謝罪した。
けれどもそれは「余計惨めになる……」と、リサは少し拗ねた顔をしてしまう。
「いや、本当にすまない。別にリサのことが邪魔とか、わざと無視していたわけでは……」
「……ぷっ。ぷっははっ」
「リ、リサ?」
慌てて言い繕うとするデュランの態度を見て取ったリサは、何故か吹き出すかのような笑いを始める。対して何故、彼女が笑っているのか訳が分からないデュランは戸惑いを隠せない。
「あっ、ごめんごめん。ごめんね、お兄さん。ボク自身もちょっとイジけたというか、お兄さんに意地悪を言ってみただけなんだよ」
「なんだよ……からかってただけなのか、まったく。ふふっ」
「にゃははっ、ごめんなさ~い」
「お二人とも本当に仲がおよろしいのですね。ふふふっ」
リサは少しおどけたように笑い、釣られてデュランとそしてネリネまでも微笑ましそうに笑っていた。
それから少し間を置き、笑いが収まったところでリサが唐突にも現実的な話をこうネリネへと振った。
「でもさ、ネリネ。売り物だった薔薇が全部ダメになっちゃって、その……大丈夫なの?」
「はぅっ」
ネリネは先程まで笑顔だった顔を曇らせてしまい、俯いてしまう。
それは初めに出会った頃の不幸そうな雰囲気とそっくりだったので、デュランは思わずこう声をかけた。
「ネリネ、もし良かったらでいいのだが、俺にその薔薇を売ってはくれないか?」
「えっ? デュラン様に薔薇を……売る……ですか?」
「ああ、そうだ。ダメ……か?」
一瞬デュランが何を言ったのか理解できなかったのか、ネリネはそのまま言葉を繰り返して小首を傾げてしまった。
「薔薇を売る……っ!? いえいえ、とんでもないです! 助けていただいたうえにお代をいただくなんてそんな……」
「いや、ネリネは金に困っているから市場ではなく、このような道端で薔薇を売っていたのであろう?」
「それはそうなのですが……」
デュランが口にした言葉が真実なのか、ネリネは口ごもってしまった。
普通花を売る場合には店舗を構えて売るか、もしくは先程の野外露店のワゴンで売るのが一般的である。
けれども店舗を持つには多額の資金が必要になり、そして野外露店は少ないながらも場所代を収めなければならない。
それを捻出できない物売り達は道端に立って道行く人に商品を売りつけるしか道がなく、ネリネもまたその一人だとデュランは確信を持って聞いてみたわけである。
「でもでもお兄さん。売り物だった薔薇は全部が全部、荷馬車の車輪でズタズタにされちゃったか、泥だらけになっちゃったんだよ。それなのに薔薇を売るって、そんなこと……」
「それはな、リサ……あそこに落ちてあるヤツのことだ」
リサのその言葉を受けたデュランは、先程馬車の車輪で踏み潰された薔薇を指差すとそのまま近くへと歩み寄り、そして地面に落ちていた一つの赤い蕾を拾い上げ、手にするのだった。