「今のって……女性の悲鳴かっ!? リサっ!」
「お兄さん!」
「何事か!?」と、まるで示し合わせたかのように二人は顔を見合わせ、すぐさま後ろへ振り返った。
そこには黒服を着た貴族らしき青年が立っており、その目の前には先程の花売りの女の子が地面へと倒れ込んでいるのが目に入ったのだ。
二人はすぐさまその倒れている花売りの女の子へと駆け寄った。
「大丈夫? 怪我はない?」
「は、はい……あ、ありがとうございます」
「一体何があったんだ?」
「おやおや、これはこれは……誰かと思えばデュラン君ではないですか」
背後にいる青年からデュランはそう名前を呼ばれ、思わず振り向いてしまった。
すると、そこに居たのはデュランも知ってる男だった。
そして、驚きの表情とともにその名を口にする。
「お、お前は……ルイス! ルイス・オッペンハイム!? なんでこんなところに……お前が?」
そう、石買い屋であるオッペンハイム商会のルイスだったのである。
「なんで……とは随分失礼な物言いをするものだな。ああ、そういうことか。つまり私が自分の知らない所に居るのが不満というわけなんだね? ふふっ。君も意外と独占欲が強い性質なのかな?」
「相変わらずの勘違い野郎だな……気色悪い」
デュランのことを好色の目で見つめ、まるで嘲笑うかのような態度を取るルイス。
「それで、お前はこの子に何をしやがったんだ?」
「おやおや、今度はその子の保護者気取りなのかい? 君は随分と浮気性なんだね……悲しいよ」
「いいから何をしたのか答えろよっ!!」
「……君がそのように声を荒げてまで心配することではないよ。なぁ~になんてことはないさ、その娘の押し売りがあまりにもしつこいものだから追い払った……ただそれだけのことだよ」
一切悪びれる素振りなく、ルイスはデュランと今も倒れている花売りの子へ向けてそう言い放った。
しかしルイスが言葉だけで彼女のことを制したわけでないことは、すぐにでも理解できた。
何故なら彼女は地面へと倒れ、持っていたはずの薔薇が入っていたカゴは道路中央付近へと飛ばされていたのだ。
きっとルイスが持っているカゴごと彼女のことを突き飛ばしたに違いない。
「あっ……薔薇は? 私の薔薇はどこに……っ!? は、早く拾わないと……」
「あ、危ないよお姉さんっ!? 馬車が……今は馬車が来てるからダメだよっ!!」
花売りの子は落ちた薔薇を拾いに行こうとするのだが、ちょうどタイミングが悪いことに道の真ん中を荷馬車が通過しようとしていたのだ。
傍に居たリサは薔薇を拾いに行こうとする彼女を必死に止めようとしていた。
「ヒヒン……ブルルル」
ガラガラガラ……。それは時間にすればほんの数秒ほどの出来事だったことだろう。目の前を通過していた荷馬車が、地面にばら撒かれていた薔薇をその大きな木製の車輪で音も無く全部轢いてしまったのだ。
あとに残されたのは、先程までの綺麗な赤い蕾の薔薇ではなく、車輪に踏み潰されタイヤ跡がついた見るも無残な木のカゴと、泥が付きグチャグチャにへし折れた薔薇の花だったものに成り果ててしまった。
「ああ……私の……薔薇が……売り物が……ぅぅっ」
「お姉さん……」
その薔薇の変わり果ててしまった姿を目にした花売りの子は泣き崩れ、リサもどうしていいのか分からず彼女に寄り添うことしかできなかった。
「あ~あ、せっかくの薔薇が車輪に潰され汚れてしまったね。まぁそれも所詮、道端で花を売りつけるような下流階級の娘にはお似合いと言ったところだろうな。は~っははははっ」
「ルイス、お前っっ!!」
見下すかのようにルイスは汚れた薔薇と花売りの少女を見ながら、そう高笑いをしていた。
その瞬間、傍に居たデュランの中で何かが外れてしまい、何を考えるでもなく右の拳を握り締め彼に殴りかかろうとする。
だがしかし、それも叶うことはなかった。
何故ならルイスは最初からそうデュランが行動すると予見していたのか、どこから取り出したのか分からない銃をデュランへと向け、その勢いを殺いでいた。
「ふふっ。デュラン君。君はやはり危険な存在だね……。正直、目障りだよ」
「ごくっ」
「きゃっ!」
「それってもしかして……拳銃っ!? お兄さんっ!!」
カチャ。
暴発を防ぐための安全装置が外れる音に、デュランは思わず息を呑んでしまった。
彼の目の前……いや、正確には鼻先に突きつけられた拳銃の筒先が見え、中心はほの暗い底が見えない沼のように思えてしまう。近くで二人のことを見守る花売りの少女は悲鳴を上げ、リサはそれが銃であると認識するとその場から逃げろと言うように叫んだ。
けれどもそんな二人とは対照的に、デュランはそうして一瞬だけでも間を置くことで冷静になることができた。
そして頭をフル回転させ今の自分が置かれている状況及び
「……ふっ。ふふふっ……ふっははははっ」
「うん? ……何が可笑しいのかねデュラン君? それとも死を間近にして恐怖で気でも触れてしまったのかな?」
デュランの余裕がある笑みに対してルイスは怪訝そうな顔つきになっていた。
何故なら相手の目の前に銃を突きつけているという絶対的地位に置いてなお、デュランはまるで自分のことを小馬鹿にするよう鼻で笑ったのだ。不機嫌にならないわけがない。
「いや、なぁ~に天下の石買い屋大手オッペンハイムの人間と言えども、興奮すると周りに目を配ることができないのかと思っちまってな。何なら自分の周りをよぉ~く見てみろよ、今の自分が置かれている状況が理解できるからな!」
「……この期に及んで何を言っているんだい、君は? 私の周りだと? 一体何があるという……っ!? こ、これは……」
そこで初めてルイスの顔色が変わった。
見れば二人の周りには通りを行き交う通行人はもちろんのこと、酒場から出てきた酔客や娼婦などが自分達の動向を一瞬たりとも見逃さぬようにと見守っていたのだ。