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第19話 誰よりも疾く駆ける者

「大丈夫かお姫様? ちょっとばかしジャジャ馬がすぎるんじゃないか?」

「お、お兄様っ! わたくし、わたくし……死ぬかと思いましたわ」

「ああ、そうだな。まったく無茶なんてするからだぞ……ったく」


 ルインは今まさに自分の身に起こった出来事の恐怖心のせいなのか、体を震わせながらデュランの胸元の服を強く両手で握り締め必死に抱きついた。


 それほどまでに騎乗する者が馬を制御できないということは恐ろしいことなのだ。 


 実際、乗馬が得意な貴族達と言えども一旦宙に放り出されてしまえば、後は重力に従うように地面へと叩き付けられ腕や足もしくは腰の骨を折ったり、頭から落ちて首の骨を折って死んでしまうことも珍しいことではなかった。


 特に中世の時代において言えば、貴族の死因の多くは決闘による死よりも落馬して死ぬことが多いくらいであった。

 また先程のルインの場合には、そこに馬の重い体重が圧し掛かることも十分考えられる状況。


 だからこそデュランは最初から見越していたのでルインに手綱を放せと叫んだのだ。

 仮に手綱から手を離せば上から馬に圧し掛かられることはなくなり、怪我も軽症で済む場合もある。


 一番大事なことはその瞬間瞬間に物事を冷静に判断することと、それに対応できる能力である。


「それで一体そんなに慌ててどうしたんだ? もしかして俺のことを探していたのか?」

「そ、そうですわ! わ、わたくしっ、お兄様にお伝えしなければならない重要なことがあったんですの!」


 デュランは話を聞くため、ゆっくりと下ろしてから彼女を地面へと立たせる。


「ヒヒーン♪」

「んっ……よしよーし。良い子だなお前は。ふふっ」


 そこで先程ロデオのように暴れた白い馬が戻ってきた。

 頭が良いのか、ちゃんと飼い主であるルインの元へ寄って来た。


 デュランはその白い馬の頭や背中を撫でて落ち着かせてやる。


「それで何があったんだよ、ルイン? そんなに慌てて……あ~っ、もしかして俺に会いたくなったから馬を飛ばして来たわけじゃないよな?」

「ええ。じ、実はお兄様に用があったんですのよ」

「おっ。本当だったのか? 俺に会いたくて、そんなに急いで……」

「実はお姉様の結婚式が明日には行われるそうですの!」

「……えっ? ちょ、ちょっと待ってくれルイン。マーガレットとケインは既に結婚したんじゃなかったのか!?」


 デュランはルインの言ってることがよく理解できなかった。

 前に二人に話を聞いたときにはそのような話は出なかったので、デュランはてっきり既に結婚式も済ませているものとばかり思っていた。


 実際のところマーガレットの要望でデュランが帰ってくるのを待っていたため、身内同士での顔合わせと指輪の交換である『婚約』は済ませていたのだが、未だに結婚式は行ってはいなかったという。


 貴族同士が婚約を結び結婚に至るには庶民のそれとは違い、他者を招いての結婚式を行うことで対外的にも結婚した夫婦と見なされるわけである。

 これが行われなければ、貴族間での婚姻においてはまだ夫婦とは見なされないため、ルインはまだ間に合うはずと知らせに来てくれたのだ。


「そ、それってまさか……」

「そうですわよ! まだお姉様とケインさんとの結婚を阻止できるということですわよ!!」


 デュランは驚きを隠せなかった。

 そしてすぐさま今の自分がどうすればいいのかを頭で考えるよりも先に体が動いてしまう。


「ルインっ! この馬少し借りるぞ!」

「お兄様、待ってください! わ、私もご一緒にっ……きゃっ!」

「捕まってろよルイン! 飛ばすからな! ハアッ!」

「ヒヒーン! ブルルルルッ!」


 デュランは馬に跨るとルインの返事も聞かずに彼女の右腕を手にとって引き寄せ、強引に馬へと乗せた。

 そして手綱を強く引きながらデュランは馬を巧みに操り速く駆ける。


「ハアッ!」

「お兄様っ!!」


 ルインはデュランに痛いほど強く抱き寄せられ、振り落とされないようにと必死に彼の服を掴んでいる。


 目まぐるしく景色が右から左へと流れ行き、とても目が開けていられないほどの速さ。

 それは彼女自身が一度たりとも体験したことのないスピードだった。


 ルインは振り落とされるかもしれないとは思いつつも、不思議と恐怖心を感じてはいなかったのだ。


(何故かしら……こんなにも馬が駆けるスピードが速くて、今にも私は振り落とされそうだと言うのに、それでも不思議と安心感を抱いてしまうのは? それに先程から感じるこのとても温かくてどこか優しい……そして煩いほどの鳴り響く音の正体はなんなのかしら?)


 彼女は優しく温かな何かと激しいほどに鳴り響く命の叫びを左耳から感じ取っていた。


(これってひょっとしてお兄様の……)


 それはデュランの体温と鼓動だった。


 ルインは彼に体全体を預けるように持たれかかると同時に彼の左胸へと頭を押し付けている。

 彼女が今感じたものはまさにデュランの命の灯火。


 馬が駆ける速度が速く彼の心臓は心拍数を煩いほどに高め、それがルインの耳へと届けられていたのだ。

 そしてルインが落馬しないようにと気を使いながらも馬を操っているため、単身で騎乗している時とはわけが違う。


 もしこの速度で彼女を落としてしまえば大怪我どころか、最悪の場合は死なせてしまう可能性も大いにあり得る話。

 それでもなお、デュランは握っている手綱を緩める気はなかった。



 そうしてふと思いルインは自分のことを抱きしめている彼の顔をついつい見上げてしまう。


「ハアッ! ハアッ!」

「お兄様……」


 馬を操り真剣な表情と眼差しで道の先々を見つめているデュランの顔。

 ルインはそんな彼の横顔に見惚れてしまっていたのだ。


 ただ馬に乗り彼の傍で抱き締められている。

 たったそれだけのことなのにルインの心臓は彼の鼓動よりも激しく鳴り響いてしまう。


(ダメよルイン。早くこの胸の高鳴りを鎮めなくては。こんなにも体同士をくっ付けているのだからお兄様にも簡単に気づかれてしまうわ。もし私の心臓の音がお兄様に聞こえていたとしたら、私は……)


「んっ? ふふっ」

「~~~っ(照)」


 だがそんなルインの想いを感じ取っていたのか、デュランは右の二の腕を使って更に自分の体へと抱き寄せると彼女を安心させるようにと優しそうな笑みを浮かべていた。

 ルインはデュランと目が合ってしまい、自分の胸から奏でられるトキメキを聞かれてしまったと、思わず頬を赤らめ恥ずかしながらに彼から目を背けてしまう。


 そうすることで少しでも自分の表情とこの想いを悟られぬようにしたかったのだが、胸の鼓動はより強くなるばかりで一向に収まる気配がなかった。


(い、今のはズルイですわよお兄様っ!! こんなにも近い距離でお兄様にそんな風に優しく微笑まれたら私はどうすれば顔をすればいいんですの? でも……今のお兄様のお顔にはどこか違和感があったような……)


 ルインの心は激しく掻き乱され、それと同時に得も言えぬ違和感を感じ取ってしまうのだが、それでも長年想い続けてきた彼が少し顔を上げればそこにあるのだ。


 それもほんの少し近づければ彼の唇へと触れてしまう距離感。

 そんな互いの唇へと触れてしまえるとても近しい距離に自分の想い人が存在する。


 これではルインの心が躍らないはずがなかった。


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