ケインがデュランへと提示したもの。
それは父親が残してくれた遺産の詳細が記載されている書類だった。
「この書類にお前のサインが欲しいんだよ」
「俺のサイン……だと?」
デュランは「一体何のためにそんなものを……」と、訝しげな目でケインを見てしまう。
「ああ、サインが欲しい理由か? まさか今頃になってお前が生きて戻るとは思わなかったんでな。既に父君の遺産はそのほとんどが分配されてしまっている。それについてデュラン、君の署名が欲しいというわけなのさ」
ケインはデュランの強い視線を感じつつも、敢えて素知らぬ振りをしながら、その理由を説いてみせた。
(そんなものは嘘だ。コイツは俺が死んだのを心底喜んでいたに違いない。そして父さんが俺に残してくれたはずの遺産を奪ったんだ! それにマーガレットだって俺の事を疎ましく思ってるはずだよな……)
そしてデュランは傍に居るマーガレットへと目をやる。
「デュラン」
マーガレットは俺を哀れむような目で名前を呼び、それ以上何も話さない。
「ふふっ。そう怒るなよデュラン。まだ一部だがな、君の分もちゃ~んと遺産は残されている」
「……この家のことか?」
「ノンノン。それは無い。冗談にしてもナンセンスだ。全然笑えないぞデュラン。この家は既にボクとマリーと父のものさ。デュラン、世の中はそんな甘くないんだよ」
まるで馬鹿にするかのようなケインのその物言いと態度。
ケインの言うとおり。世の中は甘くない。
それはデュラン自身が今まさに体感しているとおりだ。
「……で、結局俺には何が残されているんだ? 回りくどい言い方をしていないで早く教えろ!」
「ああ、そうそう。そうだったね。肝心なことを言い忘れていたね。コレだよコ・レ」
ケインはそう言って残された遺産が書かれた書類を指で弾いた。
ゆらりゆらりっと右へ左へと揺れながら、ケインの指によって弾かれた書類はカーペットの敷かれた床へと落ちてしまった。
「…………」
デュランはただ黙ってそれを拾う。
「鉱山と……レストラン?」
「フーッ。ああ君に残されているのは、もう何十年も前に掘り尽くして閉鎖されてしまった鉱山が一つ。それとツヴェンクルクの街にある、これまた随分と前に閉店したというレストランが一軒あるのみ。ちなみに鉱山について、何が採れていたかまでは知らない。そもそも興味もないものでね」
ケインは既に興味を無くしたかのように一切デュランには目を向けず、爪とぎを使い自らの爪を磨いていた。
「ここのペン、借りるぞ」
「お好きにどうぞ。あっ、でも使ったらちゃんと返してくれたまえよ」
デュランは机に置かれていたペンを手に取ると、下部にある署名欄に自分の名前を書き殴る。
元々このペンだってデュランの父親が愛用していたものだった。
それなのにケインは自分のモノにして、デュランに対しては「盗まずに返せ」と言ってのけたのだ。
盗人猛々しいにもほどがあるだろう……と、デュランは内心思ってしまった。
「ほらよ、これでいいか?」
「ああ、結構だ。ほら、コレがその権利書だ。あとは好きにしろ」
ケインはデュランの署名を確認してからスッと、二枚の紙を差し出した。
「邪魔したなケイン。それとマーガレットも」
「な~に、何より大切な
「ケイン!」
もうここには用は無いとデュランは別れの挨拶を二人に告げると、ケインは嫌味ったらしくも愉快そうに笑った。またマーガレットがすぐに戒めたが、今度は笑うのを止めようとはしなかった。
(従兄弟とはいえ、こんなのが俺の親友だったなんて……クソっ!!)
1年会わない間にすっかり変わり果ててしまったケインを尻目に、デュランは振り返りもせずにそのまま出て行ってしまう。
(マーガレットもマーガレットだ。ケインのあの意地の悪い性格を知ってなお、婚約したって言うのか?)
デュランは元婚約者のマーガレットを心配してしまうが、もう自分にはどうすることもできないと言い聞かせることしかできなかった。
そうして家の外に出てみると傍にある花壇に目が向いてしまった。
そこにはオレンジや黄色など様々な色を付けているマリーゴールドの花が植えられていた。
「以前はもっと別の花だったと思ったが……もしやマーガレットがここの花壇の花を植え替えたのか?」
デュランが戦争に行く前、家の花壇に植えられていたのはマーガレットと同じ名前を持つ、鮮やかなピンク色が目立つ綺麗なマーガレットの花だったはず。
マーガレットはそれを自分と同じ名前だからという、安易な理由だけで大切に育てていた。
それが今や別の黄色の花に植え替えられていたのだった。
(確かマーガレットの花言葉は……)
***
「ねぇデュラン。アナタ、マーガレットの花を知っているかしら?」
「マーガレットの花? マーガレットの花って確かこう白い花びらを一枚一枚千切って、好きと嫌いを占うやつだよな?」
「ええ、そうよ。よく知っていたわね♪ じゃあその花言葉は知ってる?」
「花言葉……いやそこまで詳しくは知らないな」
「ふふっ。でしょうね。じゃあ特別に私の愛しいデュランに教えてあげるわよ。マーガレットの花言葉はね、その咲く花の色によっても意味が全然違うのよ。オレンジ色が美しい容姿……つまりは私のことね! 白はさっきデュランが言った恋占いや信頼という意味。そしてこの花壇に増えられているピンク色に咲いている花言葉の意味は……」
***
「――真実の愛」
デュランは昔マーガレットに教えてもらった花言葉を呟いた。
(それが別のものに植えられているということは、つまりマーガレットはもう俺のことを……)
ただ花壇の花が替えられた。
たったそれだけのことでデュランは何故か悲しみを抑えきれずに涙ぐんでしまう。
「ぐっ」
指で目元を覆い、涙が出るのを必死に抑える。
「あれ……お兄様? もしやあなたは……デュランお兄様ではありませんか!?」
唐突にも、前方からそんな風に声をかけられた。