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第3話 婚約破棄と一枚の書類

 それは正確には、マーガレットの左薬指にはめられた、デュランが贈った覚えのない・・・・・・・・、見知らぬ金の指輪がはめられていたのだ。


 その指輪が意味するものとは……。


「おい、マリー。お客さんなのか?」

「お、お前は……ケイン! ケイン・シュヴァルツなのか!?」


 見れば玄関から出てきた男はデュランの親友であり、この近くに住む従兄弟の『ケイン・シュヴァルツ』だった。


「うん? 俺の名前を知っているのか……って、デュラン!? あ、あのデュランなのか!? 何でお前がここに……戦地で確かに死んだはずじゃあ……」


 ケインはデュランがここに存在すること自体が信じられないと言った表情をしながら、デュランのことを指差した。


「実は俺も弾丸を胸に食らって死んだと思ったんだが、運良くも胸に入れていたライターのおかげで命拾いしたんだよ。でもそれからは東側の捕虜になっちまってな……。ほら、数日前に東と西とが停戦する和平を結んだだろ? あれで解放されたってワケだ」

「あ、ああ……それはよかった……な」

「なんだよ、まるで死者でも見ているような顔をしちまって。ほら、ちゃんと体もあるだろ?」

「ほ、ほんとだ……さ、触れるな」


 ケインは未だデュランが生きていたことを、俄かには信じられないといった表情をしている。


 そんな狼狽ろうばいする様子を見て取ったデュランはケインを安心させるため、彼の右手を手に取ると自らの体に触らせ確かめさせた。


「でもなんでケインが俺の家から出てきたんだ?」


 そうここはデュランとマーガレット、それに唯一の肉親でもある父親が住んでいた家なのだ。

 それが何故、まるで自分の家のようにケインがデュランの家から出てきたのだろうか?


 それにマーガレットのことを親しそうに『マリー』と呼んでいるのも気になるのだが、まさか……。


 デュランはその考えが外れて欲しいと願いながらも息をみ、思い切って婚約者であるはずのマーガレットへと聞いてみることにした。


「マーガレット、これは一体どういうことなんだ? それに左手にはめている金の指輪、それは見るからに婚約指輪だよな? お前からお守り代わりに……って渡されたのは、今もちゃんと俺がこうして身に着けているが……」

「それはそのぉ~……」


 デュランが見せるよう胸元からかけているネックレスを取り出すと、そこに通されている銀の指輪をマーガレットへと見せる。


 しかしながらマーガレットからは明らかに何か隠し事があるかのような、そんな余所余所しい態度がどこか見受けられ、そして左薬指にはめられた指輪を隠すかのように右手を重ねており、まるでデュランの言葉と視線から逃れるよう、そっと目を逸らしてしまう。


「じ、実はな、デュラン。マリーも俺も1年前にお前が死んだって聞かされたんだよ。も、もちろん俺達だってお前が帰ってくるのをずっと待っていたさ。けれども、あれから1年も経っちまったら……」

「……だから二人は婚約したって言うのか? それだけじゃなく俺の家まで奪い取ったのかよ?」

「お、落ち着けってデュラン。これには深い事情があるんだ」


 何も言わないマーガレットの代わりと言わんばかりに、ケインが横から二人の間に割って入り、自らそう代弁する。


(なんだよそれ? 俺がどんな気持ちで帰って来たと思ってるんだ? むしろ邪魔者が帰って来たとでも思ってんのかよ……クソッ)


 デュランはマーガレットのことをいつも想い描き、今日まで生き延びてきた。


 東側に捕虜として収監され、毎日毎日耐え難い労働を強いられ続けてもなお「家でマーガレットが待っているはずなんだ……」それがデュランの唯一の支えとなり、ようやく家に帰って来た。


 だがしかし、現実は残酷なもので既にマーガレットは親友であるケインと婚約を結んでいたのだ。


 マーガレットとケインとの婚約。

 それが意味するもの、それはデュランとの婚約破棄である。


「…………」

「…………」


 二人は何も喋ろうとしない。

 罪の意識を感じているのか、それとも開き直っているから言葉を口にしないのか、デュランには判断できない。


 本当ならデュランはこのままどこか遠くへと逃げ出したい気持ちであるが、既に住む家まで奪われてしまい、また路銀すらもろくに持ち合わせていなかったのだ。


「とりあえず、家の中にでも入れよ」

「そうね。温かいお茶でも飲んで落ち着きましょう」


 まるで示し合わせたような二人の言葉にデュランはうんざりしてしまうのだが、まだ肝心の父親の消息についてを聞いていなかったので、二人に従う形で家の中へと入ることにした。


「さぁどうぞデュラン。ゆっくりくつろいで……と言っても、これでは皮肉に聞こえるかしら?」


 マーガレットが広間へと案内してくれたが、そんな嫌味を言われてしまう。


「もう帰る!」そう湧き上がる感情のまま言葉を口にすることができたら、どれほど楽だろうとデュランは心の中で思う。


「そんなところに突っ立っていないで、座ったらどうなんだ?」

「ああ……」


 デュランは来客用の椅子へと腰を下ろした。

 対するケインは然も当然といった態度を取りながらも、デュランが座っている真正面に置かれた、本来ならばこの家の主が座るべき椅子へと腰を下ろした。


(そこは本来、俺の父さんの席なんだぞ。なんでケインが主のように振る舞って座っていやがるんだよ……)


 ケインのその傲慢な態度にデュランは今にも殴りかかろうと拳を握った。


 両手を痛いほどに……それこそ爪が肉を裂き、血が流れようとも握りこむだけで済ませ、デュランは自らの感情を抑えることにつとめる。


「それで結局、父さんの最期はどうだったんだよ?」


 そう声を絞り出すことだけで精一杯だった。


 既に二人の態度からすべての財産を奪われていることは予測できる。

 もし自分の父親がまだ生きているならば、このような振る舞いは出来るはずがない。


 デュランはそう思い、父親の最期を二人に問い質す形で聞いてみることにした。


「最期? ああ、最期……かっ。それはそれはとても見るのも悲惨なものだったよ。それもデュランがその場に居なくて良かったと思えるくらいの……ね。ふふっ」

「ぐっ」


 ケインはまるでデュランの神経を逆撫でするかのように、使用人が持ってきた紅茶のティーカップに口を付けながら、何食わぬ表情のままそう言ってのけた。


 デュランはもう我慢の限界だった。

 大切にしてた婚約者を奪われ、家も財産も奪われ、そして唯一の肉親であった父親をぞんざいな扱いをされて殺されてしまったのだ。


 怒りを我慢するため、噛み締めている唇からは一筋の鮮血が流れ落ち、床に敷かれている赤いカーペットに小さな黒いシミを作った。


「デュ、デュラン。誤解しないでね」

「誤解するな……だと?」


「この後に及んで一体何を馬鹿なことっ!?」デュランはそう叫ぼうとしたが、マーガレットは強く握りこまれたディランの右手にそっと手を添え、母親のように優しく言い聞かせるように言葉を口にしていく。


「ええ、そうよ。アナタの父親は病死してしまったのよ。だから私達が原因ではないの。それとケイン! アナタもアナタよ。誤解するようなわざとらしい言葉でデュランを怒らせないでよ!!」

「――ということらしいな。ふふっ。我が妻……いいや、婚約者であるマリーにデュランとその父親のせいで無益にもいましめられてしまったよ。はははっ」


 自分を怒っているマーガレットのことが愛しく思っているのか、もしくは更にそう仕向けることでデュランの感情を逆なでたかったのか、ケインは少し愉快そうな笑みを浮かべていた。


「帰るっっ!!」

「デュランっ!」

「ぐっ……こんな茶番に付き合うのはもういいだろ、マーガレット? 父親の最期が聞けただけで、この場に俺が留まる理由はもうないんだ」

「で、でもっ……」


 デュランが帰ろうと立ち上がると、マーガレットが慌てて引き止めようとしていた。


「そうだぞ、デュラン。マーガレットの言うとおり、お前はまだ肝心なものを忘れているんだ。帰るのはそれを終えてからにしてもらおうか」

「これ以上、一体何の用があるって言うつもりなんだ、ケインっ!?」


 ケインのその意味深な言葉にデュランは思わず立ち止まってしまう。


 そして背後からは机の引き出しを引き開ける音が聞こえてきた。

 デュランはケインに背を向けたままである。


 もしもここで銃を構えられていれば、デュランはいとも容易く殺されてしまう。


「まぁそんな怖い声を出していないで、こちらを振り向きコレを見ろ」

「…………」


 どうやらケインが取り出したのは銃ではないようだ。


 そして言われるがままデュランが振り返ると一枚の書類が目に入った。


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