翌朝。
準備を整えてライカに跨る。
「いってきます」
と見送りに出てきてくれたみんなに軽く挨拶をすると、私は普段通りの軽い気持ちで森へと出発していった。
今回は供を連れずひとりで森に向かう。
ミーニャについて来てもらうことも考えたが、フェンリルの話を聞いて余計な心配をさせてもなんだろうと思いひとりで向かうことにした。
忙しそうに働く領民たちから時折挨拶を受けつつ、あぜ道を進んで行く。
そして、夕方。
森の入り口に近い所で野営の準備に取り掛かった。
「きゃん!」(なんか楽しいね!)
と無邪気にはしゃぐコユキを撫でてやりつつ、ベーコンを炙る。
たき火の熱で炙られたベーコンがその表面でパチパチと脂をはじけさせてきたところで、それをパンに挟み簡単な野営飯が完成した。
「さぁ。ご飯だぞ」
と言って、コユキと一緒にベーコンサンドにかじりつく。
明日からのことを思うとやはりどこか気は重たい。
しかし、私の横で美味しそうにベーコンサンドをかじるコユキを見ていると、そんな不安がずいぶんと軽くなっていくのを感じた。
3人で固まりぐっすりと眠った翌朝。
フェンリルのいる場所を目指して歩を進める。
やや急ぎ足で向かったからだろうか、いつもより早く、その日の夕方にはフェンリルのいる場所にたどり着いた。
(もう少しゆっくり来ればよかっただろうか…)
と少し反省しつつも、いつものようにフェンリルの登場を待つ。
すると、やはりいつものように突然後ろから、
「待っていましたよ」
という声が掛けられた。
「待たせたな」
と苦笑いしつつ振り返る。
振り返った先にいるフェンリルはいつもよりやや苦い表情をしているように見えた。
「…どうだっただろうか?」
と単刀直入に聞く。
その質問にフェンリルは、表情をさらに暗くして、
「おそらくコカトリスね…」
とつぶやくようにそう言った。
「コカトリス?」
と、なんとなく前世の記憶を引っ張り出しつつもそう聞き返す。
するとフェンリルは重々しくうなずいて、
「わかりやすく言えば大きな鶏。…魔法も使うから厄介な相手よ」
と私に真剣な表情を向けながらそう言ってきた。
(魔獣が魔法を使うのかっ!?)
と驚き、その表情をそのままフェンリルに向ける。
そんな私にフェンリルはまたうなずいて、コカトリスという魔獣がどんな魔獣なのかを教えてくれた。
フェンリルが言うコカトリスというのは、フェンリルと同じくらいの大きさの鶏の魔獣らしい。
しかし、鶏と違い肉食らしくその口には牙が生えているのだそうだ。
主な攻撃はその狂暴な嘴と蛇のような硬い鱗に覆われた太い尻尾の一撃。
それに加えて、その羽や鱗を風魔法のような魔法を使って飛ばしてくるのだとか。
羽や鱗には毒があり、ヒトならかすった程度で命に係わるから注意が必要だという。
私はそんな情報に戦慄を覚えながらも、真剣に聞き入った。
一通り話を聞き終えた私は、
(そんなのを相手にするのか…)
と暗澹たる気持ちになる。
しかし、そこはなるべく平静を保ち、
「なにか対策があるなら教えてくれ」
と真剣な表情でフェンリルに訊ねた。
その質問にフェンリルが、
「そうね…」
と言って少し考えるような仕草を見せる。
そして、しばしの沈黙を挟んだあと、
「簡単な防御の魔法を教えるわ」
と言って、私に新たな魔法を授けてくれるとそう言った。
「ありがたい。さっそく教えてくれ」
という私に、フェンリルが苦笑いをして、
「そろそろ夜よ」
と言葉を掛けてくる。
私はハッとして周囲を見渡すと、森の影はすっかり濃くなり、空にはちらほらと星が出始めていた。
(そんなに時間が経っていたのか…)
と軽く驚きつつ、
「そうだな。魔法の練習は明日にしよう」
と苦笑いをフェンリルに返す。
すると私の胸元で、コユキがもぞもぞと動き、
「きゃふっ」
と甘えるような声を出した。
どうやら待ちきれなくなってしまったらしい。
私もフェンリルもその声に困ったような笑顔を浮かべ、重苦しい話をいったん中断する。
そして、いつものようにコユキを母の胸に返すと、私は急いで野営の支度に取り掛かった。
加工肉と根菜を煮て、スープを作る。
その横でフェンリルは母の顔に戻り、幸せそうな様子で、
「そう。よかったわね」
とか、
「あまり危ないことをしてはいけませんよ」
とコユキに話しかけていた。
やがて鍋から良い匂いが立ち込めてきてスープが完成する。
するとフェンリルがもぞもぞと動き、コユキをその胸元から出してきてくれた。
「きゃん!」(ご飯!)
と言いながらコユキがトテトテとこちらに駆け寄ってくる。
私は駆け寄ってきたコユキをしっかりと抱きかかえ、
「今日のスープはけっこうよく出来てると思うぞ」
と微笑みながらひと言そう言った。
「きゃん!」
とコユキが嬉しそうな声を上げて、食事が始まる。
私たちはなんとも優しい表情のフェンリルに見守られながら、ゆっくりと食事を味わった。
やがて、満腹になったコユキがフェンリルの胸の中に帰り、私もライカとくっついて横になる。
私は一抹の不安を感じつつも、なぜか、
(大丈夫。なんとかなるさ…)
という妙に楽観的な気持ちになって、初夏の少し温み始めた風を心地よく感じならゆっくりと目を閉じた。
翌朝。
ずいぶんすっきりとした気持ちで目覚める。
フェンリルもいるという安心感が強かったからだろうか、いつにも増してぐっすりと眠れたような気がした。
「ひひん」(おはよう。ルーク)
という声に、
「ああ。おはよう」
と返事を返して、さっそく身支度を整える。
どうやらコユキはまだ母の胸の中で寝ているようだ。
私はそんなコユキのことを思い、なんとも微笑ましい気持ちになりつつ、朝食の準備に取り掛かった。
やがて、ベーコンが焼ける匂いが辺りに漂い始める。
すると、フェンリルの胸元がもぞもぞと動き、その中からいかにも眠たそうな感じでコユキが這い出してきた。
「きゃふぅ…」(ごはん…)
と寝ぼけたように言うコユキに、
「おはよう。もうすぐできるぞ」
と声を掛ける。
コユキはまだ眠たそうな足取りで私のもとまでやって来ると、
「きゃうぅ…」
と甘えるように鳴いて頭を擦り付けてきた。
そんなコユキを軽く撫でてやりつつ定番のベーコンサンドを手早く作る。
そして、コユキの分の小さなベーコンサンドとライカのニンジンを用意すると、
「いただきます」
と言ってベーコンサンドにかじりついた。
やがて食事が終わる。
私は軽くお茶を飲みつつ、コユキとライカに、
「すまんが今日はフェンリルと魔法の稽古をしなくちゃならん。2人で遊んでてくれるか?」
と声を掛けた。
「きゃん!」(うん。いいよ!)
「ひひん!」(わかった。コユキちゃんのことは任せて!)
と言ってくれる2人を撫でてやりさっそくフェンリルに目配せをする。
するとそんな私の視線にフェンリルもうなずいて、私たちはさっそく魔法の稽古に取り掛かった。
「まずは手本を見せるわ」
と言ってフェンリルが滝つぼへ近づいていく。
(はて。何をするのだろうか?)
と思って見ていると、フェンリルは水魔法で大きな水の球を作り、それを軽く放り投げるような感じで上に放った。
(どうするんだろうか?)
と思って見ていると、その水の球が上空でパンッと弾ける。
そして、その結果、その水は当然のように私たちに向かって降り注いできた。
(なっ…!)
と思って、とっさに頭を守るような形で手を上にかざす。
しかし、結論から言えばその水が私に降り注いでくることはなかった。
(何が起こったんだ?)
と思いつつ、周囲を見渡す。
すると、私たちから5メートルほど離れた位置に、円く水をこぼしたような跡があった。
(どういうことだ…?)
と思いつつ、フェンリルに視線を向ける。
するとフェンリルは、苦笑いしつつ、
「ちゃんと見ていなければいけませんよ。もう一度やるから今度はちゃんと見ていなさい」
と私に注意するようなことを言って、もう一度先ほどと同じように大きな水の球を作った。
また同じように水の球が上空に放たれ、弾ける。
私は今度こそ何が起こったのか見逃すまいとその行方を見ていると、私たちに降り注ぐはずのその水はまるで傘にでもはじかれたように私たちの直上で何かに防がれた。
(何が起こったんだ?)
と思ってまたフェンリルを見る。
その時きっと私は少し間抜けな顔をしていたんだろう。
そんな私に向かってフェンリルは、
「風の魔法で膜を作ったのよ」
と少しイタズラっぽいような表情でそう言って私に微笑んだ。