初夏。
そろそろ、田植えが一段落するかという頃。
エルフの染物職人シリウスを伴ってラッテ村に藍の様子を見に行く。
シリウスとは何度か話をしたことがあるが、どうやら優しい性格の持ち主らしく、どこかふんわりとした印象を持っていた。
「辺境の暮らしはどうだ?なにか困っていることがあれば遠慮なく言ってくれよ」
と話しながらのんびり馬で進んで行く。
シリウス曰く、やはり近所のご婦人方が世話を焼いてくれるし、同じエルフ同士で助け合っているから今のところ不便という不便はないとのことだった。
聞けば、リーダー格のリリアーヌがどうやら世話好きの性格らしくみんなを良くまとめてくれているという。
「リリアーヌがいてくれるおかげで何かと助けられていますよ」
と言うシリウスの言葉にはどこか嬉しそうな感情が込められているように思えた。
(ほう。そういう関係なのか…)
と勘繰りつつ、
「そうか。それならよかった」
と微笑みながら答える。
そんな私にシリウスはやはり朗らかに微笑みながら、
「はい。お気遣いありがとうございます」
と柔らかい口調でそう言ってきた。
やがてラッテ村に着く。
さっそく村長宅を訪ねると、上手い具合に村長がいてくれたので、さっそく藍を植え付けている場所に案内してもらった。
村長曰く、春先に植えた藍は順調に根付いてくれているらしい。
「村の新しい作物になるかもしれないというんで、村中が期待しております」
と嬉しそうに言う村長に、
「ああ。私も期待している。上手く産業化できればいいな」
と答えて、あぜ道を歩く。
やがて、藍が植わっている畑に到着すると、村長の話通り藍は青々と茂って順調に育っているように見えた。
さっそくシリウスが近寄って観察し始める。
「いくらか摘んでも?」
というシリウスに軽く許可を出しつつ、村長に、
「次の採取はもう少し待ってくれ。けっこう魔獣の多い所に生えているみたいだからな。まぁ、そのうち安全が確保できるとわかればまた採取してくるが、とりあえずはこの株を大事に育てておいてくれ」
と現状を伝えた。
「かしこまりました。大切に育てさせていただきます」
と笑顔で言ってくれる村長の言葉に安心しつつ、藍が植わった畝を見つめる。
私はその風にそよぐ青葉を見ながら、
(この村の希望になってくれよ)
と心の中でそんな言葉を掛けた。
「詳しい生態や使用方法の資料はベル先生が持っていると言っていた。もし、わからないことがあれば遠慮なく問い合わせてくれ」
と村長に伝えてラッテ村を後にする。
帰りの道中シリウスが、
「まだよくわからないこともありますが、なんとなく可能性を感じる植物ですね」
と何とも嬉しいことを言ってくれた。
「ああ。たしか発酵させたりするとより深い色が出たりしたはずだ。その辺のこともベル先生と一緒に研究してみてくれ」
と微笑みながら何気なくそう答える。
すると、シリウスはハッとしたような顔をして、
「発酵…」
とつぶやき、なにやら難しい顔で考え込み始めた。
(あ。この世界では藍を発酵させないのか?少し、余計なことを言ってしまっただろうか…)
と少し後悔しつつも、
(まぁ、村の発展に寄与できるならそれでいいだろう)
と考えなおして前を向く。
私たちはどこまでも続く長閑な田舎道を進みながらクルス村へと戻っていった。
それから数日。
「あれを発酵させて使うとはまた面白いことを思いついたものじゃのう」
と言うベル先生に、
「ああ。なんというか、ちょっと思いついてな…」
と曖昧に答えながら、朝食のパンをかじる。
すると、ベル先生はそんな私に苦笑いを返しつつ、
「それはそうと、そろそろフェンリルの所に行く時期じゃないのか?」
と、やや唐突にそう聞いてきた。
「ん?ああ、そうだな。そろそろだな…」
と答えつつ軽く息を吐く。
春に遭った猿の魔獣のことや、フェンリルのどうも気になる言い回しのことを思い出すと、どうしても重たい気分になってしまった。
「きゃふ?」(どうしたの?)
とコユキが不思議そうな顔で私を見上げてくる。
その表情に私はハッとして、
「ははは。またお母さんに会いに行こうな」
となるべく優しい笑顔でそう答えた。
「きゃん!」(うん!)
と元気に答えて腸詰にかじりつくコユキを軽く撫でてやる。
そして、心の中で、
(子供を不安がらせてどうするんだ…)
と、やや情けない態度を取ってしまった自分に自分で説教をした。
朝食の後、執務室に入り、いつも通り事務仕事を片付けていく。
やはり森の異変のことは気になったが、
(ここで私が考えても仕方の無いことだ。とりあえずフェンリルの意見を聞いてから考えよう)
と少し割り切って、とりあえず目の前の書類に集中した。
住宅の建築許可に農地拡大の要望。
そんな書類にひとつひとつ目を通しながら適宜決裁していく。
そして、そんな書類のひとつひとつをみながら、
(順調に発展しているな…)
という当たり前といえば当たり前の感想を抱くが、それと同時に、
(この発展の歩みを止めるわけにはいかん)
という決意にも似た思いも湧き上がってきた。
(…領主の仕事というのも大変なものだな)
と少し皮肉なことを思って苦笑いを浮かべる。
そんな私に横で書類の整理を手伝ってくれていたミーニャが、
「どうしたんですか?」
ときょとんとした顔で聞いてきた。
「ん?いや、ちょっとな…」
と曖昧に答えてまた苦笑いを浮かべる。
そんな私にミーニャは軽く微笑んで、
「お茶をお淹れしますね」
と言い、お茶を淹れに席を立っていった。
私も少し仕事の手を休め、
「ふぅ…」
と軽く息を吐いて、立ち上がり軽く伸びをする。
何気なく窓の外に目をやると、爽やかな初夏の日差しの下で、ライカとコユキがなにやら楽しげにじゃれ合っている姿が目に入ってきた。
よく見ればエリーも一緒にいる。
きっと楽しく遊んでくれているのだろう。
私はその幸せそうな光景を見て、
(この光景を守るのが領主の仕事なんだよな…)
と改めて自分の仕事を認識した。
「楽しそうですね」
とミーニャが声を掛けつつ湯飲みを差し出してきてくれる。
私はその湯飲みを受け取ると、
「ああ。楽しそうだな」
と微笑みつつ、お茶を軽くすすった。
爽やかな苦みとほのかな甘みが口の中に広がっていく。
(ああ、今年の新茶も美味いな…)
とのんびりした感想を持ちつつ、もうひと口お茶を飲むと再び、
(この光景を守ってみせる)
と心の中で強く誓いつつ、私はいつもの仕事に戻った。
その日の午後。
夕食前の時間。
早めに仕事を切り上げ、リビングに向かう。
私がリビングに入ると、父はバティスと将棋を指していた。
そんな父に、
「明日からフェンリルの所にいって状況を確認してこようと思います」
と告げつつ空いているソファに腰掛ける。
すると父は、
「…そうか…」
と盤面から顔を上げることなく、しかし、どこか重々しい口調で短くそう答えてきた。
「とりあえず今回は状況を確認するだけです。すぐに帰ってきますが、一応留守を頼みます」
と言って、盤面を見る。
すると、少しの間を置いて、父が顔を上げ、
「攻め急ぐなよ」
とひと言そう言った。
「はい」
と短く、しかし、真剣な表情でそう答えて父を見る。
父はまた視線を盤面に戻して、なにやら考えた末の一手を打った。
「ははは。参りましたなぁ…」
と言ってバティスが頭を掻く。
「ふっ。勝負あったな」
と父が嬉しそうにそう言った。
どうやら父が勝ったらしい。
「お館様の守りはいつも盤石で崩すのが難しゅうございますよ」
と言ってバティスが苦笑いを浮かべる。
そんなバティスに、
「ああ。守ることに関しては自信があるからな」
と父がやや勝ち誇ったようにそう言った。
そして、父は続けて私に、
「安心して仕事をしてこい」
と言葉をかけてくる。
どうやら父は後のことは心配無いと私に伝えてくれているようだ。
私はそんな父のことを頼もしく思いつつ、
「はい」
と、また短く答えて苦笑いを浮かべた。
そんな親子の短いやり取りが終わったところにコユキを連れたエリーが入ってくる。
「きゃん!」(ルークただいま!)
と言ってコユキが私の足元に駆け寄ってきた。
私はそんなコユキをいつものように抱き上げて、
「今日も楽しく遊べたか?」
と微笑みながら聞く。
するとコユキはいかにも楽しそうに、
「きゃん!」(うん!)
と満面の笑顔でそう答えてくれた。
私はその楽しそうな声を聞いて、安心しつつ、
「そうか。それはよかったな」
と言って、これまたいつものようにコユキをめいっぱい撫でてやる。
そんな私の胸の中でコユキがまた、楽しそうに、
「きゃん!」
と鳴いて頭を擦り付けてきた。
リビングに明るく優しい空気が広がる。
私はその空気を心から心地よく感じつつ、
「明日、お母さんに会いに行こうな」
と明るい調子でコユキにそう伝えた。
「きゃん!」(うん!)
とコユキがまた嬉しそうな声を上げる。
私の横でエリーも、
「あら。よかったわねぇ」
と嬉しそうにそう言って微笑んだ。
リビングの空気がより一層明るくなる。
私は改めて、
(これを守るのが私の仕事なんだな…)
としみじみ感じた。