侯爵領からの旅を終え、例の峠に差し掛かる。
眼下に広がる広大な辺境の景色の中にぽつんとある村々を見ながら、
(帰ってきなた…)
と実感した。
「やっと帰ってきましたね」
とミーニャも目を細めてそうつぶやく。
私も微笑みながら、
「ああ」
と短く答えて、馬に前進の合図を出した。
やがて一度野営を挟み、クルス村に続く田舎道に入る。
目の前には小さく村の門が見えてきた。
浮き立つような気持ちで笑顔を浮かべながら門へと進んでいく。
すると、突然、
「きゃん!」(ルーク!)
「ひひん!」(おかえり!)
という声が聞こえた。
(迎えに来てくれたのか!?)
と思い嬉しくて馬に速足の合図を出す。
ガタゴトと揺れる荷馬車がガタゴトという音をさらに大きくして若干ながら速度を上げた。
向こうからもライカとその上に乗っているであろうコユキが近づいてくる。
私は思わず、
「ただいまー!」
と大きな声を出し、手を振りながら2人に帰還の挨拶をした。
もう一度、
「きゃん!」(おかえり!)
「ひひん!」(ルーク、おかえり!)
という声が聞こえてくる。
やがて私たちは田舎道の真ん中で落ち合うと、私はさっそく馬車を止め、頬を寄せてくるライカを受け止めた。
「ただいま」
「ぶるる」(おかえり)
と言葉を交わしながらライカを撫でてやる。
すると、ライカの鬣の辺りから、
「きゃん!」(私も!)
というちょっと拗ねたような声が聞こえてきた。
「ああ。すまん、すまん」
と苦笑いで謝りながら、いったん馬車を降り、コユキを降ろしてやる。
そして、そのまま抱きかかえると、
「ただいま」
と声を掛けつつ、コユキを撫でてやった。
「きゃぅ…」
と甘えたような声を出しつつコユキが頭をぐりぐりと押し付けてくる。
私はその様子を心から微笑ましく思いつつ、優しくコユキをさらに撫で、気のすむまで甘えさせてやった。
その横からライカも頬ずりをしてくる。
「ははは。2人とも甘えん坊だな」
と笑いつつ、ライカのこともまた撫でてやる。
そして、ひとしきりふれあいが終わると、ようやく落ちつたライカとコユキに、
「お土産をたくさん買って来たぞ。とりあえずみんなの所に戻ろう」
と言って、コユキを抱いたまま再び馬車に乗り込んだ。
村の門に着き、門番に立っていたハンスに挨拶をする。
「ただいま。留守中異常はなかったか?」
と、やや心配しながらそう聞くが、ハンスはいつもの通りニコリと笑って、
「おかえりなさい。いつも通りでしたよ」
と答えてくれた。
その言葉に安心して、馬車を衛兵に預け、ライカに乗り換える。
「じゃぁ、すまんがよろしく頼む」
と衛兵に挨拶をして、ライカに少し速足の合図を出した。
「ぶるる!」
とやる気のある返事をしてライカが走り出す。
「おいおい。もう少しゆっくりでいいぞ」
と苦笑いでそう言うがライカは楽しそうに、
「ひひん!」
と鳴いて、そのままの速度で村のあぜ道を走っていった。
あぜ道を駆け、一気に屋敷を目指す。
冬のやや冷たい空気の中、風を切って進むのは少々寒かったが、その寒さもその日はなんとなく心地よい物に感じられた。
時折手を振る村人たちに手を振り返しながら進み、屋敷の門をくぐる。
そしてまずは厩に向かうとそこでライカをたっぷり労ってやった。
「よしよし。明日からまた一緒にたくさん遊ぼうな」
と声を掛けてライカと別れ玄関へ向かう。
私が玄関を開けると、そこにはエマとバティスがにこやかな顔で待っていていくれた。
少し驚きつつ、
「ただいま」
と微笑んで帰還の挨拶をする。
「おかえりなさいませ。お風呂の用意が出来ておりますよ」
とバティスが微笑み返しながらそう言い、エマがおかしそうに笑いながら、
「うふふ。コユキちゃんったら朝からソワソワしだして、どうしてもお迎えに行くって聞かなかったんですよ」
と、まるで駄々っ子には困ったものですね、というような感じでそう言った。
「ははは。そうだったんだな」
と言いつつ、コユキに、
「お迎えありがとうな」
と声を掛けてやる。
すると、コユキは嬉しそうに、
「きゃん!」(ちゃんとお迎え出来て偉いでしょ!)
とやや胸を張りながらそう答えてきた。
私はその様子がおかしくて、
「ははは。そうだな。偉いぞ」
と笑いながら答えて、コユキの頭をワシャワシャと撫でてやる。
それにコユキはますます喜んで、
「きゃん!」
と嬉しそうに鳴いたあと、また頭をぐりぐりと擦り付けてきた。
「さて。さっそくだが先に風呂にさせてもらおう。父上にはその後報告に行くから先に伝えておいてくれ」
とバティスに伝言してエマに荷物を預けるとコユキを連れて風呂場に向かう。
久しぶりの実家の風呂でゆっくり旅の疲れを癒すと、いったん自室に戻り手早く着替えたあと、父の待つリビングへと向かっていった。
リビングに入るとそこには父とベル先生がいて、それぞれに、
「おかえり」
と言ってくれた。
「ただいま戻りました」
と言って軽く礼を取る。
そんな私に父は、
「どうだった?」
と短くそう言ってさっそく侯爵領での出来事を聞いてきた。
「貿易は万事順調にいくように手配してきました。あと、アル…長男のアルベルトと長女のシンシアの縁談が決まったそうです。2人とも幸せそうでしたよ」
と慶事があったことも報告する。
すると父は、少し驚いたような表情を一瞬見せたあと、
「ほう。それは何よりだ。ミリアルドのやつもさぞかし喜んでいただろうな」
と言って目を細めた。
「はい。侯爵様もユリア様もそれはもう心から嬉しそうなご様子でした」
と報告してソファに腰掛ける。
そこへエマがお茶を持ってきてくれて、そこからは、貿易関係の具体的な話や侯爵領や王都の町の様子などの世間話になった。
「染料や薬草が仕入れられたのは良かったが、それより魚の干物が気になるのう」
とさっそく食いしん坊の片鱗を見せるベル先生に、
「ああ。明日の朝にでもさっそく出してもらおう。きっといつもとは一味違うみそ汁が出てくるぞ」
とドヤ顔で答える。
「ほう。魚なんて何十年ぶりだろうな…。楽しみだわい」
と父も笑い、その場が和やかな空気に包まれた。
そんなリビングの扉が叩かれ、エリーとマーサが入って来る。
「おかえりなさいませ!」
と、やや勢い込んで言うエリーに、
「ああ。ただいま」
と微笑みながらそう答えた。
「コユキちゃんもライカちゃんもとってもいい子でしたわよ」
と言ってくれるエリーに、
「ああ。そうだったみたいだな。ありがとう」
と言って席を進める。
そして、エリーにもお茶が配られると、
「侯爵様は相変わらず頑張ってくださっているようだ。あと少しという所まで来ていると言っていたよ」
と、なるべくエリーが安心するような表現で現状を伝えた。
「そうですか…」
とエリーが嬉しそうな表情を見せる。
しかし、まだ心の底から喜ぶというような感じではなく、どこか不安を残しつつもひとまずは安堵したというような感じに見えた。
「大丈夫だ。きっと上手くいく」
とエリーの目を見ながら、励ますように言葉を掛ける。
その言葉にエリーは、なんとか笑顔を作って、
「はい。信じております」
とひと言力強くそう答えてくれた。
今度はエリーも交えて旅の話になる。
「侯爵領も王都も相変わらずの賑わいだった。しかし、まだ街中でカレーを見かけることはなかったな。侯爵様に町人でもカレーが食べられるようにレシピを公開してくれと頼んでおいたから、きっと来年には街中でも食べられるようになるだろう。今から楽しみでしょうがないよ」
と言うとエリーはくすりと笑って、
「うふふ。ルーク様ったらすっかり食いしん坊さんにおなりですわね」
と言い、少しだけいたずらっぽい目を私に向けてきた。
そんなエリーに、
「ははは。そうかもしれんな。なにせ侯爵家で食べたカレーが予想以上に美味かった。料理長の工夫もあって、我が家のカレーとはまったく違う形に進化していたよ」
と笑いながら言うと、エリーは、少し驚いたような顔をして、
「まぁ、どんな風になっていたんですの?」
と興味深そうに聞いてくる。
それからエリーに、カレーには、シャバシャバ系やスープカレーと言った進化の可能性もあるということを告げ、そこからはカレー談議が広がる。
「うーん。そんなにカレーの話ばかりしておったらカレーが食べたくなってしまったわい」
とベル先生が言うと、
「確かに、口がカレーになって来てしもうたわ」
と父もそう言ってみんなして笑った。
「うふふ。ではさっそく作りにいきませんと」
と言ってエリーが立ち上がる。
「いいのか?」
と私が一応遠慮気味にそう聞くが、エリーは嬉しそうな顔で、
「はい。今日はおめでたい日ですもの。是非作らせてください」
と言い、さっそくマーサを連れて台所へと向かっていった。
やがて、夕飯の時間になりみんなでエリーの「おうちカレー」を堪能する。
食卓にはいつもの明るい声が響き、夕食は楽しく進んでいった。
やがて食後のお茶の時間になる。
みんながリビングに移動する中、私とミーニャはいったん自室に戻り、みんなへのお土産が入った箱を持ってきた。
「まずはコユキにだな」
と言って、コユキの前に竹籠を差し出す。
コユキは一瞬不思議そうな顔をしたが、
「お昼寝用に使ってくれ」
と言うと、さっそく籠の中に入って、
「きゃん!」(ありがとう!)
と言いつつ、籠の中できゃっきゃと遊び始めた。
そんな様子を微笑ましく眺めつつ、みんなにもお土産を渡していく。
父には酒。
バティスとエマには綺麗な海の風景が描かれた小さな絵を渡した。
「まぁ、これが海なんですのね…」
と言いつつしげしげと絵を眺めるエマの様子を見て、
(いつか本物を見せてやりたいものだ…)
と思いつつ、
「よかったら部屋に飾ってくれ」
と言って微笑みかける。
それにエマもバティスも笑顔で答えてくれたので、どうやらお土産は喜んでもらえたようだった。
次に小さな木箱を取り出してエリーに渡す。
「けっして高い物ではないが…」
と言いつつ照れながらその箱を渡す。
するとエリーもやや頬を染めながら、
「ありがとう存じます」
と言ってその箱を受け取り、
「開けてみてもかまいませんか?」
と私に聞いてきた。
「あ、ああ。もちろんだ」
と、緊張しつつそう答える。
そして、エリーはその箱を開けると、
「まぁ…。なんて可愛らしいんでしょう…」
と言って微笑んでくれた。
「似合いそうだと思ってな。喜んでもらえたならよかった」
と言いつつ、軽く頬を掻く。
そんな私をみて、エリーはニコリと笑うと、
「是非、使わせていただきますわ」
と言ってニッコリと笑ってくれた。
その様子にほっとした喜びと気恥ずかしさが一緒になって押し寄せてくる。
私はまた頬を掻き、
「是非、普段使いにでもしてくれ」
と言うと、「こほん」と小さく咳払いをして、
「ああ、ベル先生には薬草類をたんまり買ってきたぞ。あとで書付を渡すから明日にでも確認してくれ」
と言って、緑茶をひと口飲んだ。
「ああ。ありがとう」
と言ってベル先生がなぜか困ったような苦笑いを浮かべる。
私はその表情の意味をなんとなく察し、また、「こほん」と小さく咳払いをした。
やがて、食後のお茶が終わりそれぞれ部屋に戻る。
私もコユキを抱いて自室へと戻っていった。
軽く酒を飲み、
「ふぅ…」
と息を吐く。
(さて。明日からまた忙しくなるな…)
と思ってまだ整理しきれていない荷物を見つつ苦笑いを浮かべた。
「きゃふぅ…」
とコユキがなにやら幸せそうな寝言を発する。
私は微笑みながら、幸せそうに眠るコユキを撫でてやり、自分も床に就いた。
懐かしいに包まれて静かに目を閉じる。
私の枕元でコユキがもぞもぞと動いた。
(少しくすぐったいな…)
と思って苦笑いを浮かべつつコユキを枕元に引き寄せてやる。
そして私は久しぶりにそのふわふわとした温もりを感じつつ、静かに眠りに落ちていった。