屋敷に戻るとさっそく侯爵様の執務室に向かう。
軽く扉を叩いて、
「失礼します。ただいま戻りました」
と声を掛けると、中からアルフレッドが扉を開けてくれた。
「どうだった?」
と短く聞いてくる侯爵様に、
「おかげ様でとても良い本をたくさん仕入れることができました。ありがとうございます」
と礼を言って頭を下げる。
そんな私に侯爵様は、軽く微笑んで、
「よかったな」
とひと言満足そうにそう言ってくれた。
それから、どんな本を買ったんだ?とか村の教育事情はどうなんだ?というような話をして執務室を辞する。
そして、私は、
(そのうち領にもちゃんとした教育機関を作らねばならんだろう。また新しい課題ができたな)
と、どこか嬉しくも思いながら自室へと戻っていった。
書店に行った影響か、なんとなく本が読みたくなって部屋に置いてある本をパラパラとめくる。
(懐かしいな…。小さい頃はこういう小説でワクワクしたものだ)
と、子供向けの冒険小説を読んでいると、ふいに部屋の扉が叩かれた。
「どうぞ」
と声を掛けて本を閉じる。
すると、メイドが一人やって来て、
「失礼いたします。ユリア様がご一緒にお茶はどうかとおっしゃっておられます。いかがでしょうか?」
と私にお茶の誘いがある事を教えてくれた。
「わかった。是非伺おう」
と言って席を立つ。
そして、やはり私と同じように本を読んでいたミーニャに、
「ちょっと行って来る。ゆっくりくつろいでいてくれ」
と伝えると、さっそくメイドの案内で部屋を出ていった。
いつものサロンに入る。
するとそこにはユリア様とシンシア、そして見知らぬ女性が一人いた。
「お待たせいたしました」
と礼を取りつつユリア様に目で紹介を促がす。
そんな私の視線にユリア様は軽くうなずいて、
「こちらはアナベル・シルフォード嬢。アルベルトの婚約者よ」
と言ってその見知らぬ令嬢を紹介してくれた。
紹介を受けたアナベル嬢が、
「お初にお目にかかります。ルーカス・クルシュテット男爵様。アナベルにございます」
と立ち上がって綺麗な礼を取る。
私も、
「こちらこそお初にお目にかかります。ルーカス・クルシュテットと申します」
と挨拶をし、きちんと礼を取った。
「うふふ。もうすぐ家族になるんですもの。堅苦しいのはそこまでにしましょう」
というユリア様のふんわりとした声に苦笑いしつつ、いつもの席に座る。
するとすかさずメイドのサナさんがお茶を淹れてくれて、いつものような雰囲気で楽しいお茶会が始まった。
「今、昔のお話を色々と伺っていたところなんですのよ」
とにこやかに微笑むアナベル嬢に、
「お恥ずかしい限りです」
と苦笑いしながら答えて軽く頭を下げる。
「まぁ、恥ずかしいことなんてひとつもありませんわ。私はルーカス様が大変ご優秀だったというお話しか聞いておりませんもの」
と言ってまたにこやかに微笑むアナベル嬢に、
「ははは。それはまた過大な評価をいただいたものですな」
と笑いながらそう言って、さっそく紅茶をひと口飲んだ。
「ルーカス様のお話はアルベルト様からもよく聞いておりますのよ」
というアナベル嬢に、
「ほう。あいつは私のことをどういっておりましたか?」
と、なんとなく気恥ずかしいような気持ちでそう聞き返す。
するとアナベル嬢はくすりと笑いながら、
「うふふ。アルベルト様は『ルークのやつがいなければ、私はもっとつまらない人間になっていただろうな』とおっしゃっておりましたわ」
と、アルベルトの口真似をしながら冗談めかしてそう言った。
「ははは。それは私もです。私もアルのやつがいなければもっとつまらない人間になっていたはずです。小さい頃は、こいつにはかなわないと散々思わされたものですよ」
と笑いながら答えて照れ隠しにまた紅茶を飲む。
そんな私を見てユリア様が、
「うふふ。本当にいい兄弟になってくれたわ」
と嬉しそうな顔でそう言った。
「二人とも自慢の兄なんですのよ」
とシンシアがアナベル嬢に向かってどこか自慢げにそう言う。
そんなやり取りを聞いたアナベル嬢は、微笑ましいような感じで笑って、
「素敵なご家族ですわね」
と、にこやかにそう言った。
それからは小さい頃の思い出話になる。
アナベル嬢はユリア様から私たちがまだ少年だったころの話聞くと微笑ましく笑い、シンシアから私たちの学生時代の話を聞くと、感心したような目を私に向けてきた。
「あの頃はお互いややむきになって競いあっていましたからね。とにかくこいつにだけは負けたくないという思いでいつも張り合っていたものです」
と、また気恥ずかしい気持ちでそんな感想を述べる。
女性陣にとっては楽しい、私にとってはやや気恥ずかしい話はアナベル嬢のメイドが、
「お嬢様。そろそろお暇の時間でございます」
と言ってくるまで続き、そのお茶会は惜しまれつつお開きとなった。
みんなして玄関まで見送りに出る。
「次にお会いする時はもう家族になっておりますわね」
と微笑みながら言ってくるアナベル嬢に、
「はい。楽しみにしております」
と答えて軽く握手を交わすと、アナベル嬢は嬉しそうに微笑みながら馬車に乗り込んでいった。
きらびやかな馬車が侯爵邸の玄関を後にする。
私はそれを見送りながら、
「アルのやつはいい人と巡り会ったようですね」
とつぶやいた。
「ええ。本当にいいご縁でしたわ」
とユリア様が目を細めて嬉しそうにつぶやき返してくる。
私はそんなユリア様の優しさに溢れた横顔を見て、
(この人の息子になれてよかった)
と心からそう思った。
無事アナベル嬢を見送り、いったん自室に戻る。
「お茶会はいかがでしたか?」
と、にこやかに聞いてくるミーニャに、
「ああ。アルの婚約者も来ていてな。なかなか楽しかったよ」
と言いながらソファに座り緑茶を淹れてくれるよう頼んだ。
また昔読んでいた冒険小説を手に取る。
私はまた少年時代を思い出しながら、目を細めてその本をパラパラとめくった。
翌日。
朝食を終え、侯爵様と少し仕事の話をする。
貿易関係の話を詰め、これからの辺境開拓の予定なんかの話をした。
だいたいの話を終えたころ、
「あまり急ぎ過ぎるなよ」
と侯爵様が少し心配そうにそう言ってくる。
私はそれに、
「はい。のんびりやらせていただきます」
と答えつつも、
(ドワーフのみんなの力もあるし、領のみんなもやる気になっているからな…)
と思って少し苦笑いを浮かべた。
やがて昼。
昼食の席で明日には発つことを伝える。
みんな、特にユリア様は悲しそうな顔をしたが、
「仕方ありませんわね。またすぐに帰ってくるのよ?」
と言って最終的には了承してくれた。
なんとなく寂しいような気持ちで自室に戻り荷物をまとめる。
その日の夜はどことなくしんみりとしたようなぎこちないような、そんな雰囲気の中での晩餐となった。
そんな晩餐を終え、自室の窓から城下町の灯りを見つめる。
(いつかうちの領もこんな風に発展するのだろうか?)
と思ったが、すぐに、
(いや。うちの領はもっとのんびりした領になるんだろうな…)
と何となくそう思ってひとり静かに苦笑いを浮かべた。
辺境には辺境の良さというものがある。
なにも都会の真似をする必要はない。
私の役目は辺境の良さをそのまま伸ばしていくことだ。
私にはなんとなくそれが正解のように思えた。
翌朝。
朝食を済ませると早速旅装に着替えて身の回りの荷物を整理する。
ミーニャとともに玄関に降りて行くと、そこには侯爵様一家を始め、執事のアルフレッドやメイドのサナさん、それに料理長のエルドさんまで見送りに出て来てくれていた。
「お世話になりました」
と言って礼を取る。
「またすぐに帰って来るんですよ」
とユリア様が昨日の晩と同じことをもう一度いった。
「はい。来年の冬もまた帰ってきます」
と答えて軽く抱擁を交わす。
そして、侯爵様とも握手を交わすと、アルベルトとシンシア双方に、
「幸せになれよ」
と伝えて荷馬車に乗り込んだ。
後ろ髪引かれる思いで馬車を進める。
侯爵家の広い庭を少し進むと家族の姿はすぐに見えなくなってしまった。
通用門でルッツに挨拶をして侯爵邸を出る。
そして、閑静な城下町からにぎやかな下町を抜けると、私たちは辺境へと続く街道に出た。
「楽しかったですね。でも、その分ちょっと寂しいです」
と言ってミーニャが困ったような笑顔でそう言ってくる。
そんなミーニャに私も、
「ああ。なんとも言えない気分だよ」
と困ったような笑顔でそう返した。
馬車はガタゴトと小気味いい音を立てながら長閑な街道を進んでいく。
私はその緩やかな曲がりながら遠くまで続く街道の先を見つめて、
(さて、早く帰らねばな)
と、みんなの顔を思い浮かべながらそんなことを思った。
冬の日差しに目を細める。
そして私は、懐かしの我が家を目指して荷馬車を曳く馬たちに軽く速足の合図を出した。