翌日。
ほんの少しの気だるさを感じて目を覚ます。
(そうとは気が付かないうちに飲み過ぎていたらしいな…)
と反省しつつも簡単に身支度を整え、木刀片手に裏庭に出た。
(さすがに魔法の訓練はできんか…)
と苦笑いで思いつつ、剣の稽古を始める。
いつものように型の稽古を繰り返し、汗を流しに井戸端に行くと、そこにはいつものようにミーニャが待っていてくれて、
「お疲れ様でした」
と笑顔で手ぬぐいを渡してきてくれた。
「ありがとう」
と軽く礼を言って井戸端で顔を洗い体を拭う。
そんな私に、
「今日は何をなさるんですか?」
と軽い感じでミーニャが今日の予定を訊ねてきた。
「そうだなぁ…」
と少し考えてから、
「昼は少し町に出ようか。領の子供達に贈る本でも選んでやろうじゃないか」
と、きっと退屈しているであろうミーニャのことも考えて屋敷の外に出ることを提案してみる。
すると案の定ミーニャは嬉しそうな顔をして、
「いいですね。きっとみんな喜んでくれますよ!」
と、ややはしゃぎ気味にそう言った。
「ははは。じゃぁ、馬車を出してもらえるよう厩の係に頼んできてくれ」
と言う私に、
「かしこまりました!」
と元気に返事をするミーニャを見送る。
そして、私はひとり微笑みながら屋敷の中へと戻っていった。
自室で身支度を整え朝食の席に向かう。
そこで今日の日中は村の子供達へのお土産を選びに行くことを告げると、侯爵様が、
「ならば、私が懇意にしている書店に行くといい。金鳩堂という所だ。金の心配はいらんからたっぷり買うといい。アルフレッド。紹介状を用意してやってくれ」
と言って、さっそく執事のアルフレッドに指示を出してくれた。
「ありがとうございます」
と言って頭を下げる。
そんな私に侯爵様はにっこりと微笑みかけ、
「教育は領地経営の基本だ。大切にしなさい」
と言ってくれた。
「はい」
と、こちらも笑顔で返事をして、厚めに切られたハムを口に運ぶ。
おそらくエルドさんのお手製であろうそのハムは燻製のとてもいい香りがした。
朝食後。
さっそくミーニャを連れて馬車で城下町に向かう。
侯爵家が所有する馬車の中では一番地味なものを選んでもらったが、それでもその馬車はうちにある馬車の何倍も豪華な内装をしていた。
(豪華な馬車だが、辺境の田舎道ではすぐに壊れてしまうんだろうな…)
と変なことを考えていると馬車が止まり、馭者から、
「着きました」
という声が掛かった。
(意外と近かったな)
と思いつつ馬車を降りてその金鳩堂という書店の店構えを見る。
(ほう。さすが侯爵様のお出入りだ)
と思わず心の中で感心してしまうほどその書店の入り口は立派なものだった。
(しかし、こんな立派なところに田舎の子供たちが喜ぶような本があるのだろうか?)
と少し疑問に思いつつ、その玄関をくぐる。
そして、すぐに応対に出て来てくれた店員に、
「シュタインバッハ侯爵の紹介で来た。ルーカス・クルシュテットだ」
と名乗って紹介状を渡した。
「失礼いたしました。すぐに店主を呼んでまいります」
と言い、深々と一礼して店員が奥に下がっていく。
私はそんな店員を見送りつつ、手近な書棚をなんとなく眺めた。
(経済学に心理学…。お。あっちには魔法工学の本まで置いてあるじゃないか…。なかなか幅広いな)
と感心しつつ適当に経済学の本を手に取ってパラパラと眺める。
するとそこへ老年で気の良さそうな紳士がやって来て、
「お待たせいたしました。店主のトーマスと申します」
と言って、深々と礼をしてきた。
「わざわざ呼び立ててすまんな」
と言いつつ、手に持っていた本を書棚に戻す。
「本日は経済学の本をお求めですか?」
と私が書棚に戻した本を見てそう聞いてくるトーマスに、
「いや。実は領の子供達に読ませる本を探しに来たんだ。…ここにはそういう本も置いてあるだろうか?」
と少し心配しながらそう訊ねてみた。
その質問にトーマスは、にこやかな笑みを浮かべると、
「はい。ございますよ。貴族のご子弟向けに卸した本の古本になりますが、倉庫にたくさん在庫がございます。いくつか持ってこさせましょう」
と言って、身近にいた店員に、
「綺麗な絵の本や冒険物の絵物語を中心に持ってきておくれ。ああ、5歳くらいの子供から15歳くらいの子が読むようなものまで幅広く頼むよ」
と声を掛けてくれる。
私はそれに、
「ありがとう。助かるよ」
と礼を言うと、トーマスはまたにっこりと微笑んで、
「さぁ、奥へどうぞ。今お茶の用意をさせますので」
と言い私たちを店の奥の応接室へと通してくれた。
(ほう。侯爵家と同じ紅茶だな…)
と思いながら、出された紅茶を飲み、しばしトーマスと歓談する。
なんでも侯爵様とは長い付き合いらしく、その昔は子供向けの本も良く買っていってくれていたという事だった。
「ほう。なら私もここの本に世話になっていたのかもしれんな」
と言うと、トーマスは、
「ああ。やはり昔侯爵様のもとにいらっしゃったルーカス様でございましたか。侯爵様もよくお話になっておいででしたよ」
と懐かしそうな目でそう言ってくる。
「ははは。やんちゃ坊主で困るとでも言われていたのかな?」
と冗談でそう返すと、トーマスはにっこりと笑って、
「いえいえ。とてもよく出来る子だと自慢げにおっしゃっておいででしたよ」
と言ってなんとも微笑ましい目を私に向けてきた。
「ははは。それは良かった」
と言って紅茶をひと口飲む。
するとそこで扉が軽く叩かれ、
「失礼いたします。お持ちいたしました」
と言う声とともに、先ほどの店員が本がたくさん積まれたカートを押して部屋の中に入ってきた。
その本をトーマスが軽く眺めて、店員に軽くうなずき、こちらを振り返る。
そして、トーマスは、
「いかがでございましょう。どれも人気の品ばかりでございますよ」
と私にそう言ってきた。
「どれ。少し見せてもらおうか」
と言って立ち上がり、たくさん積まれた本を見分する。
なん冊か手に取ってみたが、どれも古本にしては状態も良くトーマスの言う通り、どれも人気がありそうな本ばかりだった。
「うん。いいな。うちの領には村が3つと少し離れた所に集落が1つがあるんだが、これを4冊ずつそろえてもらうことはできるか?」
と訊ねてみる。
その質問にトーマスは、
「ええ。こちらにある本はどれも人気のものですから、十分に在庫があったはずです。万が一無かった場合は似たような種類のものを探してお付けするということでいかがでございましょうか?」
と軽くうなずきながらそう言ってきた。
「ああ。それで頼む」
と言って右手を差し出す。
その言葉に、
「かしこまりました」
とトーマスが返して握手を交わすと、そこで商談は成立した。
「明日の朝にはお屋敷にお届けします」
と言ってくれるトーマスにまた軽く礼を言って店を出る。
そして、意外と早く用事が終わってしまったことに気が付いて、
「すまんが、下町までいってくれ。市場で買い食いをしたい」
と馭者に告げ、下町の方へと向かっていった。
やがて馬車は下町に着き、
「私はこちらでお待ちしております。どうぞごゆっくりお過ごしください」
と言ってくれる馭者に、
「すまんな」
と軽く謝罪して市場へと向かう。
そして、
「今日は何を食べましょうか?」
とウキウキした気持ちを隠せないでいるミーニャに、
「そうだな…。サバサンドはつい先日食ったし、今日は下町名物の豚バラ串にしよう。あと、卵パンも美味いしこの時期なら貝の出汁たっぷりのクリームスープなんか絶品だぞ?」
と下町グルメの定番を紹介してみた。
「いいですね!それ全部食べましょう!」
と言うミーニャを連れてさっそく屋台を巡る。
そして、塩気のある食事で腹を満たしたあと、干し果物とクリームがたっぷり入ったクレープを食べ満足して馬車へと戻っていった。
「すまん。待たせたな」
と、また馭者に軽く謝罪して馬車に乗り込む。
石畳に小気味よく揺られる馬車の中で、
「楽しかったですね」
と言ってミーニャが微笑んだ。
「ああ。楽しかったな」
と言って微笑み返す。
私は、
(いつか辺境でもこんな風に買い食いができるような商店街ができればいいな…)
と思いつつ、満足した腹を軽くさすり、活気に溢れた下町の風景を眺めつつ侯爵邸へと戻っていった。