「待たせたな。退屈だったろう」
と、やや手持無沙汰にしていたミーニャに微笑みながらそう言って緑茶を淹れてもらう。
そんな言葉にサナは困ったような笑顔を浮かべて、
「あとでサナさんに紅茶の淹れ方を教えてもらえるようにお願いしてください」
と言ってきた。
「ああ。みっちりしごかれてくれ」
と冗談で返して、緑茶をすする。
そして、
(紅茶もいいが、やはり緑茶の方が落ち着くな…。これも前世の記憶のせいか?)
と思いながら心の中でそっと苦笑いを浮かべた。
昼。
侯爵家の料理人エルドが作るとっておきのカレーとやらを楽しみにメイドの案内で食堂へ向かう。
食堂の扉をくぐるとそこには侯爵家一同がそろって私を出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ。ルーク兄さま!」
と一番に令嬢のシンシアが駆け寄ってきて私の手を握る。
そんな相変わらず元気なシンシアに、笑顔で、
「ただいま」
と告げると、シンシアは、わざと膨れたような表情を作って、
「もう。すぐに帰ってくると仰ってましたのに」
と言って私に可愛らしく抗議してきた。
「ははは。すまん、すまん」
と言って、シンシアの頭を軽く撫でてやる。
するとシンシアは恥ずかしそうに頬を染めて、
「もう…。子供じゃありませんのよ?」
と、また私に抗議の意思を示してきた。
そのやり取りがおかしかったのか、
「はっはっは」
と笑いながら子息のアルベルトがこちらに歩み寄って来る。
そして、アルベルトは、
「相変わらずだな」
と笑顔でそう言いながら右手を差し出してきた。
こちらも笑顔で、
「ああ。そっちも相変わらず元気そうだな」
と言って差し出された手を握り返す。
すると、その後ろから侯爵夫人のユリア様が、
「おかえりなさい」
と声を掛けてきた。
「ただいま帰りました」
と言って軽く礼を取る。
そんな私にユリア様は、
「うふふ。元気そうでよかったわ」
と微笑みながらそう言うと、ゆっくりと私に近寄ってきて、私を軽く抱きしめてきた。
(子供じゃないんだがな…)
と先ほどのシンシアと同じようなことを思い照れながら、
「ご心配をおかけしております」
と言ってはにかんで見せる。
そんな私の顔を見てユリア様は、
「うふふ」
と、いかにも慈愛に満ちた表情で軽く微笑んだ。
「ははは。みんな揃ったところでさっそく昼にしようじゃないか」
と侯爵様が笑いながらそう言ってみんなが席に着く。
私も席に着くと、隣に座ったシンシアが、
「ルーク兄さま。私、カレーが大好きになってしまいましたのよ」
と嬉しそうにそう言ってきた。
「気に入ってもらえて何よりだ」
と答えて微笑む。
すると、アルベルトもうなずいて、
「ああ。あれは素晴らしい料理だ。コメだけでなくパンにも合う。まさしく万能と言っていいだろう」
と、まじめな顔でそう言ってきた。
「ははは。相当気に入ってくれたんだな」
と答えて苦笑いを浮かべる。
そして、
「あれは万人を魅了する味だ」
と侯爵様までカレーが素晴らしい料理だというようなことを語ると、ユリア様がおかしそうに、
「うふふ。みんなカレーの虜ね」
と言って笑った。
(やはり美味い物はみんなを笑顔にして世の中を明るくしてくれるものなんだな…)
と密かに感動しつつ、その笑顔の輪に私も加わる。
するとそこへメイドたちがカートを押して入ってきた。
食前酒と前菜が並べられ、
「素晴らしき家族の再会に」
という侯爵様の音頭で乾杯をする。
侯爵家の昼食は相変わらず素晴らしく、前菜一つ取ってみても、大変手の込んだ素晴らしいものだった。
(いつかうちの領でもこんな料理が食べられる日が来るんだろうか…)
と、ふと思う。
しかし、次の瞬間、
(いや。うちの領にはもっと庶民的な料理の方が似合っているな)
と思い直し、心の中でそっと苦笑いを浮かべた。
しっとりとして爽やかな鮭のマリネや色とりどりの野菜が綺麗に盛られたサラダ。
上質なチーズを使っているだろうカナッペなんかを美味しくいただき、みんなとの会話を楽しむ。
そして、滑らかな舌触りのパテや鴨肉のコンフィなどの肉料理を楽しんでいると、そこへ料理長のエルドさんが、みずからカートを押してやって来た。
「お待たせいたしました。カレーでございます」
と言って、全員にカレーが配られる。
私の目の前に置かれたそのカレーは大きな皿にちょこんと上品に盛られているのを除けば、ただのカレーラスに見えた。
(ほう。これは…)
と思いつつ、さっそくひと口食べる。
するとやはり私の頭の中にはあの店のロゴが浮かんできた。
(まさかこの短期間であのシャバシャバ系王道カレーの味に行き着くとは…)
と驚きの表情でエルドさんを見る。
すると、エルドさんはややドヤ顔で、
「いかがでございましょうか?」
と私に聞いてきた。
「素晴らしいよ。さすがだ。まさかこの短期間でこんなにも美味しいカレーを作り上げるとは思ってもみなかった」
と言って褒めちぎる。
その言葉にエルドさんは、
「苦労しましたよ」
と苦笑いしつつもやや胸を張ってそう答えてきた。
「後でレシピを教えてくれ」
と思わず頼む。
その言葉にエルドさんは、
「ええ。ぜひとも。私ももっと美味しいカレーを作るヒントが欲しいと思っていますから、色々と意見交換させてください」
と言うエルドさんと後でレシピを交換し合う約束をしつつ、この世界に生まれた新しい味を心ゆくまで堪能させてもらった。
やがて、食事が終わり、
「食後のお茶はサロンに移動してゆっくり楽しもう」
という侯爵様の提案を受けてみんなでサロンに移動する。
サロンに到着すると、そこにはすでにお茶の準備が整えられていて、サナさんが笑顔で私たちを迎え入れてくれた。
「今日のデザートはなぁに?」
と無邪気に聞くシンシアにサナさんが、
「本日はリンゴのパイでございますよ」
と優しく微笑みながら答える。
これも子供の頃からよく見て来た光景だ。
私はそんな些細なやり取りを心の底から懐かしく思いながら、あの頃と同じ席に座った。
「うふふ。やっぱり家族がそろうっていいわね」
とユリア様が嬉しそうに微笑む。
その言葉に侯爵様が、
「ああそうだな。しかし、こうしてみんなが揃う機会はこの先少なくなってしまうと思うと…」
と少し寂しそうにそうつぶやいた。
そんな侯爵様に、
「もう。お父様ったら…。私ちゃんと定期的に帰ってきますわよ?」
と言ってシンシアが慰めるような言葉を言う。
その言葉に、私はピンと来て、
「もしかして、嫁ぎ先が決まったのか!?」
と驚きの声を上げた。
「うふふ。驚きました?」
といたずらっぽくシンシアが微笑む。
私はその言葉に、
「ああ。驚いたもなにも…」
と半ば絶句しつつも、徐々に込み上げてくる嬉しさを感じ、
「おめでとう」
とひと言そう言って、シンシアに微笑みかけた。
「うふふ。ありがとう存じますわ」
と言ってシンシアが頬を染め少しうつむきつつ微笑む。
その表情を見て、私は、
(ああ。この子は良い人に巡り会えたんだろうな…)
と直感しつつも、
「で。お相手はどんな人なんだ?」
と聞いてみた。
その質問にシンシアは、
「うふふ。エレスフィア伯爵家のギルバート様です。とってもお優しい方なんですのよ」
と言い、幸せそうにまた頬を染める微笑む。
「ほう。エレスフィア伯爵家と言えば、財務系の名門じゃないか。それに次期当主のギルバート殿と言えば秀才で知られた方だ。…本当に良い人と巡り会えたな」
と言って心からの祝辞を贈る。
「ええ。本当にお優しくて素敵な方ですの」
と言うシンシアは本当に幸せそうだ。
その表情を見て、私の心の中は、
(良かった…)
という万感の思い出埋め尽くされた。
「幸せになれよ」
と兄らしい言葉を掛けてやる。
すると、シンシアは本当に嬉しそうな笑顔で、
「はい!」
と元気にそう答えてくれた。
「はっはっは。ついでだ。私も驚かせてやろう」
と言ってアルベルトが不敵に笑う。
私はまさかと思いつつも驚きに満ちた視線をアルベルトに向けた。
「ああ。シルフォード伯爵家のアナベル嬢だ」
とアルベルトが自慢気に答える。
私は驚きと喜びで叫び出してしまいそうな気持を何とか抑えて、
「おめでとう」
とひと言だけ言うと、幼いころから本当の兄弟のように育ってきた親友に向かって右手を差し出した。
「おいおい。泣くやつがあるか」
と言いつつ、アルベルトが私の手を握り返してくる。
どうやら私は知らず知らずのうちに泣いてしまっていたらしい。
そんな自分を少し恥ずかしく、しかし、誇らしくも思いながら、私は左手で目の辺りを拭い、
「おめでとう」
ともう一度同じことを言った。
「式は秋を予定しているんだが…」
と言うアルベルトの言葉にうつむいて、
「すまん…」
と答える。
そんな私に、
「いや。事情は分かるからな」
と言ってアルベルトはやや寂しそうに微笑んでみせた。
「式には間に合わないが、冬には必ず来よう」
と約束して、また固い握手を交わす。
そんな私に、
「次はお前の番だぞ」
と侯爵様が少しイタズラっぽい顔でそう言ってきた。
「…あの辺境に嫁いできてくれる女性が見つかればいいのですが」
と苦笑いで答える。
すると侯爵様は、少し意味ありげに、
「ははは。そこは心配しておらんよ」
とおかしそうに笑いながらそう言った。
私はなんとなくその意味を計りかねつつ、
「そうだといいのですが…」
と曖昧に笑って返す。
そんな私にみんなが、
「うふふ。ルークならきっと大丈夫ですよ」
「ああ。心配はしていないさ」
「ええ。だって、ルーク兄さまはとっても素敵な方ですもの」
と励ますような慰めるようなひと言を言ってくれた。
「ありがとうございます」
と、とりあえずまた曖昧に笑って返す。
すると、みんなが微笑ましい表情になり、そこからは、シンシアとアルベルト双方ののろけ話に花が咲いた。
やがて、
「今夜は家族で宴会だ。楽しみにしていてくれ」
という侯爵様の言葉をきっかけにいったんその場はお開きとなる。
私は今にも爆発してしまいそうなほどの喜びを抱えながら、自室に戻っていった。