翌朝。
ややのんびりした気持ちで朝食をとり出発する。
ミーニャ曰くこの辺りはフェンリルのお膝元だけあって、この辺りは魔獣の心配がいらないらしい。
そのこともあってか、私たちはどこか軽やかな足取りで森の中を進んでいった。
進むこと2日。
森が切れ、開けた林に出る。
そこで、なんとなくミーニャに、
「この辺にはよく来るのか?」
と聞いてみた。
その質問にミーニャは、
「いえ。神域ですし、衛兵隊の主な仕事は魔獣の討伐ですから、魔獣の出ないこの辺りには滅多に近づきませんね」
と答え、なんとなく困ったような苦笑いを浮かべる。
(なるほど…。ということは、比較的安全にもかかわらずこれまで本格的な調査がされていないということか…)
と、灯台下暗し的な盲点に気付きつつ、進んで行く。
するとベル先生が足を止め、
「おい。あれは大豆じゃないか?」
とものすごいことをさらりと言った。
「なにっ!?」
と叫び慌ててライカから降りる。
そして、ベル先生が指さす方向へ向かうと、確かにそこには大豆らしきものがあった。
「…おい…」
と言葉にならない言葉をつぶやきつつ、その植物をよく見る。
すると、それは確かに大豆で、しかも野生とは思えないほどしっかりと豆が詰まっていた。
「…おいおい…」
と、またつぶやく。
そんな驚きの表情を見せる私の後からベル先生が、
「まったく。すごい森じゃな…」
と半分呆れたような口調で声を掛けてきた。
「まったくだ」
と私も苦笑いでそう返す。
そんな私たちにミーニャが、
「よくわからないですけど、良かったですね!」
と明るく声を掛けてきた。
「ああ。これで醤油や味噌が作れるようになるかもしれないぞ」
と私が喜んでいる理由をミーニャに説明する。
すると、ミーニャは、
「えっ!これがお醤油やお味噌になるんですか!?」
と驚きの声を上げた。
「ああ。ただ、酵母が必要になるが…」
と言いつつベル先生に視線を向ける。
すると、ベル先生は苦笑いで、
「ドワーフの知り合いに手紙を出してやろう。なに。あやつらは酒の匂いに敏感じゃからな。米という新しい穀物の存在を教えてやれば飛んでくるじゃろう」
と言ってくれた。
「職人付きか。それはありがたい」
と言いつつ、すぐに頭の中で新田開発の予定を立てる。
(また、すぐに伐採が必要になるな…。おそらくこの大豆が栽培可能となったら、大規模な開発になる。となると、環境に影響しないように慎重に計画を立てねば…)
と考えつつも、醤油や味噌の生産に胸を躍らせ、大切に大豆を採取していった。
やがて、麻袋いっぱいに大豆を収穫する。
「これだけあれば試験栽培には十分だな」
と言ったところで、日が暮れかかっているのに気が付いた。
(成果としては十分だな…)
と思いつつ、野営の準備に取り掛かる。
すると、なぜかエリーの顔が浮かんだ。
(醤油や味噌が村でも製造できるようになれば、王都の料理に近いものを食わせてやれるな…)
と思ってついつい微笑んでしまう。
「なんじゃ?そんなに醤油や味噌がそんなに嬉しいのか?」
と聞いてくるベル先生に、
「ああ。村に新しい産業ができるというのももちろんあるが、それ以上に村の飯が美味しくなるのが嬉しい」
と内心少し照れながらそう答えた。
「ふっ。食いしん坊なことよのう」
と言ってベル先生が笑う。
私はそれに、ただ、
「ああ、そうだな」
と言って苦笑いを返した。
やがて、いい匂いが漂ってくる。
そして、ミーニャが、
「ご飯が出来ましたよ」
と声を掛けてきた。
「ああ。ありがとう」
と返してさっそくミーニャのもとへ向かう。
(未来は明るいな…)
と思いながら飲む質素なスープはいつもよりもずっと美味しく感じられた。
翌日も調査を続行する。
軽く話し合った結果、3日ほどの日程で奥まで行ってみることにした。
大豆の発見という幸運に高揚する私の気持ちが伝わったのか、ライカもどこかウキウキとした様子で歩いている。
私はそんなライカを微笑ましく思い、軽く宥めるように撫でてやる。
すると、ライカは、
「ぶるる」
となんだか嬉し恥ずかしというような感じで鳴いて、ほんの少し歩調を緩めてくれた。
そうやって楽しく進むこと2日。
時折、ベル先生が足を止め、珍しい植物を採取したものの私的にはさしたる収穫も無いまま、その日も野営の準備に取り掛かる。
さっさと準備をしながら、私が、
「明日で最終日だな…」
となんとなくつぶやくと、料理の準備をしていたミーニャが、
「なんだか、寂しい感じがしますね」
と苦笑いでそう言った。
きっと、夕方になって遊びから帰らなければならなくなった時の子供の気持ちに似ているのだろう。
なんとなくこの楽しい時間が終わるのが惜しいような気がする。
私はそんな自分の気持ちに気が付いて、ミーニャ同様苦笑いを浮かべた。
「なんじゃ、大豆だけじゃ不満じゃったか?」
と少しイタズラ顔で聞いてくるベル先生に、
「そんなことはないさ」
とこれまた苦笑いで返す。
すると、ベル先生も、
「まぁ、気持ちはわかるがな」
と言って苦笑いを浮かべた。
(なんだ。同じじゃないか)
と思って軽く微笑みを浮かべる。
その微笑みにベル先生は少し恥ずかしそうな苦笑いを浮かべた。
やがて、いつものスープが出来てみんなで焚火を囲みながら食う。
その日のスープはなんとなく暖かみのある味がした。
翌日。
相変わらずのんびりとした空気の中出発する。
進む森の中は清浄な空気に包まれ、魔獣が出てきそうな雰囲気は一切感じられなかった。
そんな平和な雰囲気の中を進む。
すると、段々と森が薄くなり林のような雰囲気になってきた。
「そろそろフェンリル様の神域を出ますが、どうしますか?」
というミーニャの言葉に一瞬どうするか迷ったが、
「今回は魔獣を避けてこの神域の中を探索しよう」
と指示を出す。
その言葉にベル先生もうなずき、私たちは、神域を出ないように注意しながら、探索を進めていった。
やがて昼が近づいてきた頃。
「きゃん!」
と突然コユキが鳴いて、鼻をひくつかせる。
「どうした?」
と聞くと、コユキが、
「きゃん!」(甘い匂い!)
と言って、私たちの右斜め前の方向をじっと見つめだした。
「そうか。よし、行ってみよう」
と言って、そちらに進んで行く。
そして、しばらく進んでいると、
「ひひん!」(甘い匂いしてきた!)
と言ってライカがやや速足で進み始めた。
私は内心期待しつつ、ライカの背に揺られる。
すると、しばらくして、目の前に突然たわわに実るブドウの群落が見えてきた。
「…おいおい…」
と、また言葉を失う。
「ははは…」
とベル先生もなんだか呆れたような、乾いた笑みを浮かべた。
「なんだか美味しそうな実ですね」
とミーニャが無邪気に喜びを表現する。
私はその言葉にハッとして、
「ああ、そうだな。さっそく味見してみよう」
と言うと、さっそく手近にあった実をもいで一粒口に入れてみた。
「…っ!?」
と、思わず目を見開く。
そのブドウの味は、前世を含めた私のすべての記憶の中で最も甘くもっとも濃い味がした。
私のその顔を見て、みんなの目に期待の色が走る。
そこへコユキが、
「きゃん!」(私も食べる!)
と言ってきた。
はたと気が付き、一粒食べさせてやる。
すると、コユキが、
「きゃふーんっ!」
と声にならない声で鳴いた。
みんなもさっそく食べる。
「むむっ!?」
「甘いですっ!」
「ひひん!」(あっまーい!)
という声が一斉に上がった。
「おいおい…。こんなに甘いブドウ私は知らんぞ…」
と驚愕の表情でベル先生がつぶやく。
その驚きと言葉から察して、おそらく新種のブドウなんだろう。
私はこの発見の立役者であるコユキに
「ありがとう。お手柄だぞ」
と伝えると、その頭をワシャワシャと撫でてやった。
「きゃん!」
と嬉しそうにコユキが鳴いて甘えてくる。
私はそんなコユキにもうひと粒ブドウを食べさせると、自分ももう一度ブドウを口に運んだ。
とりあえず昼をとり、ブドウとその苗を採取する。
時折ブドウをつまみながら行う採取は言うまでもなく楽しい作業になった。
やがて夕暮れ。
その場で野営の準備をしてまた質素なスープをすする。
デザートはもちろんブドウ。
(いかんな…。これは癖になる甘さだ…)
と思いつつみんなで仲良く頬張った。
デザートまでついた夕食を堪能し、大満足で休息に入る。
私の腕の中でさっそく眠ってしまったコユキが、
「きゃふぅ…」
と何やら寝言のような鳴き声を上げた。
そんなコユキをみんなが微笑ましい気持ちで見つめる。
その優しい笑顔が、満月の柔らかい光とほんのりと明るい焚火の火に照らされ、その場になんとも言えないほんわかとした空気が流れた。
翌日。
さっそく帰路に就く。
帰路は無事に進み、6日ほどで無事屋敷へとただ取り着くことが出来た。
屋敷に着いて、まずは一服する。
するとそこへ、エリーとマーサがやって来た。
「おかえりなさいませ、ルーク様!」
と喜んでくれるエリーに、
「ただいま。ちょうどちょうど良かった。お土産があるんだ。一緒に食べよう」
と言って目の前のブドウに視線を移す。
「まぁ、ブドウですわね」
と嬉しそうな顔をするエリーに、少しドヤ顔で、
「新種なんだ。甘いぞ」
と、伝えてさっそくひとつ勧める。
そして、ひと口食べたエリーもやはり目を見開いて、
「甘い…、甘いですわ!ルーク様!」
と、驚きの表情を見せてくれた。
父やバティス、エマ、マーサも同様に驚きの表情を浮かべる。
そんなみんなを見ると、なんとも言えない嬉しさが込み上げてきた。
たちまち笑顔の輪が広がり、午後の日に照らされたリビングが少し興奮したような明るさに包まれる。
(帰って来たんだな…)
と私はそこで改めて無事、家に辿り着いたことを実感した。
秋の柔らかい陽に照らされてリビングの空気がキラキラと輝く。
私はその光景を何よりも美しいと感じた。