それからしばらくのあいだは、なんだかんだで忙しない日々を送る。
作物の状況を見に行ったり、野菜の収穫を手伝ったり、書類の決裁をしたりする合間に、侯爵様への手紙も書いた。
エレノア嬢が元気にやっていることや、料理や裁縫が趣味らしいから、それに関するものを送ってくれという願いを書き連ねる。
そうこうしているうちに、辺境の風には徐々に秋の気配が混ざるようになってきた。
そんなある日の朝食のあと、
(ピクニックに行くならそろそろいい時期かもしれんな…)
と思いたち、コユキを伴って離れを訪れる。
離れの玄関でおとないを告げるとすぐにメイドのマーサが対応に出て来てくれた。
「おはよう。突然だが、かまわんか?」
と挨拶をするとマーサは、にこやかに笑って、
「おはようございます。ルーカス様」
と礼を取る。
そして、すぐさま、
「どうぞ、中へ。すぐに呼んでまいります」
と言って私をリビングに案内してくれた。
ややあって、マーサがお茶を持ってきてくれる。
この夏も無事に生産を終えた我が領特産の緑茶だ。
私はそれをのんびりすすりながら、エレノア嬢がやって来るのを待った。
しばらくして、扉が叩かれ、エレノア嬢がリビングにやってくる。
心なしか楽しそうな表情をしているのはきっと、コユキが真っ先に駆けて行ったからだろう。
そんな様子を見つつ、エレノア嬢に、
「朝から押しかけてすまんな」
と一応謝罪の言葉を述べる。
当然エレノア嬢は嫌な顔をすることなく、
「いいえ。ちょうどコユキちゃんに会いたいと思っておりましたの」
と微笑みながら、言ってくれた。
そんな笑顔のエレノア嬢に対して、
「ははは。それは良かった」
と答えつつ、
「ところで覚えているか。少し前だがライカを紹介した時、ピクニックにでも行こうという話になっていたと思うんだが…」
と本題を切り出す。
私が少し照れて頭を掻きながらそう言うと、エレノア嬢は、
「まぁ!もちろん、覚えておりますわ!」
と手を胸の前で合わせ、本当に嬉しそうな顔でそう言った。
「そうか。それは良かった」
と何故だかほっと胸を撫で下ろしつつ、
「良かったら近いうちにどうだ?」
と誘う。
すると、エレノア嬢はまるで子供のような笑顔で、
「今日でも大丈夫ですわ!」
とかなり前のめりに答えてきた。
「ははは。さすがに今日は無理だろう。そうだな。明日でどうだ?」
とこちらも笑顔で返す。
すると、
「はい。楽しみです!」
というまた子供のような笑顔が返って来た。
「よかった。じゃぁ、明日の朝食が済んだ頃迎えに来よう」
と言って席を立つ。
そして、
「本当に楽しみですわ」
と言って微笑むエレノア嬢の姿を見てなぜだか名残惜しさを感じつつ離れを辞した。
いつものように仕事に向かい、ミーニャに明日のことを伝える。
するとミーニャも楽しそうな顔で、
「かしこまりました!さっそく準備に取り掛かります!」
と言ってくれた。
(みんな楽しみなんだな…)
と思いつつ、ふと思い立って、
「じゃぁ、ベル先生も誘おう。後で聞いて来てくれないか?」
と追加で注文を出す。
その注文にもミーニャは、
「はい。きっとお喜びになると思いますよ」
と、どこか確信めいてそう答えてくれた。
「ははは。だといいな」
と言いつつ、書類に目を落とす。
そして、私もどこかウキウキとした気持ちでその日の書類仕事に取り掛かった。
その日の昼。
みんなにピクニックのことを告げる。
しかし、父やバティス、エマは遠慮すると言ってきた。
私が不思議に思って、
「どうしてです?」
と聞くと、父は、
「どうしてもなにも、みんなして屋敷を留守にするわけにはいかんだろ」
と苦笑いでそう答えてきた。
私はその答えを聞いて、すっかり浮かれていた自分を少し恥ずかしく思いながら、かなり照れて、
「そうですね。留守を頼みます」
と言って軽く頭を下げる。
そんな私に父は苦笑いをして、ひと言、
「楽しんでくるといい」
とだけ言ってくれた。
そして、翌日。
朝から弁当を作ったりして少しバタバタとした時間を過ごしたあと、離れにエレノア嬢たちを迎えに行く。
今回の馭者役はミーニャにお願いすることにした。
私とベル先生は当然それぞれの馬で行く。
私が迎えに行くと、エレノア嬢はすぐに出て来て、
「おはようございます。…うふふ。昨日、材料を貸していただいて、クッキーを焼いたんですのよ」
と嬉しそうに言ってくれた。
さっそくエレノア嬢とメイドのマーサが馬車に乗り、屋敷を出る。
私たち一行はそろそろ実りの時期を迎え始めた村の中をくるりと一周するような感じで見て回ったあと、将来果樹園になる辺りの脇にあるちょっとした小川のほとりに馬車を止めた。
「まぁ、素敵なところ」
と、馬車から降りるなりエレノア嬢が嬉しそうにひと言漏らす。
私はそれを聞いて、安堵しつつ、
「田舎だからな。こういう景色にはことかかん。それに、ここは将来果樹園になってリンゴ辺りを植え付ける予定だから、春にはきっと花でいっぱいになるぞ」
とやや自慢げにそう教えてやった。
「まぁ、それは素敵ですこと…」
と言ってエレノア嬢が若干うっとりしたような目でこちらを見てくる。
私はなぜかその視線にドキドキしつつも、
「さぁ、さっそく設営してしまおう。ミーニャ手伝ってくれ」
と言って、馬車の荷台から敷物や薪を出して、いつもの野営の要領で即席のかまどを作っていった。
「まぁ、手慣れてらっしゃるんですね」
とその様子を興味深そうに見ているエレノア嬢に、
「ああ。野営で慣れてるからな」
とやや照れて答えながらテキパキと準備を進める。
すると、それを見ていた、ベル先生が、
「エリー。エリーはこっちで野菜を切るのを手伝ってくれんかのう?」
と言って、エリーにも役目を与えてくれた。
「はーい」
と軽やかに返事をしてエレノア嬢がベル先生の方に向かう。
私たちはみんなでワイワイとやりながら、せっせと昼の準備を済ませていった。
やがて、野菜と肉を切り終わり、調理に入る。
なんでも、エレノア嬢の野菜や肉を切る手並みはまるで本職の料理人のようだったのだとか。
そのあまりの手並みの良さにミーニャは感動して、
「弟子入りしたいくらいです!」
とやや興奮気味にそう言っていた。
そんな弟子入り希望発言にエレノア嬢は、戸惑いつつも、
「今日は私の作ったことのない物を作ると聞いてますから、教えていただくのは私のほうですわ」
と苦笑いを浮かべつつ、料理をするミーニャの手元を見る。
その視線はどこまでも楽しそうで、私はさらに安心して思わず目を細めて微笑んでしまった。
やがて、辺りにいい匂いが漂い始める。
私達には嗅ぎなれたカレーのいい香りが辺り一面に広がっていった。
「まぁ…。すごい匂いですわね…」
というエレノア嬢に、
「苦手そうか?」
と心配してそう聞く。
しかし、エレノア嬢は首を横に振って、
「いいえ。なんだかワクワクする匂いです」
と言ってくれた。
私はほっとして、
「これが辺境名物のカレーだ。覚えておいてくれるといい」
と言う。
すると、ベル先生もそこにやってきて、
「どうだい、エリー。無限の可能性を感じないかい?」
と言ってきた。
そんな言葉にエレノア嬢は大きくうなずいて、
「はい。ほんのちょっと香りを変えたり、辛味を変えたり…。具や作り方によってもどんどん違う物に進化していきそうな予感がしますわ」
とキラキラした目でそう言う。
「はっはっは。いい研究材料に出会えたようでなによりじゃな」
と言ってベル先生が笑う。
私もそれに続いて、
「ああ。侯爵様に言ってありったけの香辛料をそろえさせよう。カレーのレシピが広がることはうちにとっても大きな利益になるからな」
と言って、そのカレー研究を後押しした。
「まぁ、いいんですの?」
と遠慮がちにいうエレノア嬢に、私は、
「ああ。エレノア嬢、本日より貴殿を辺境カレー研究班の班長に任命する。班員は今のことろおらんがな」
と冗談めかしてそう言った。
そんな私の冗談に、エレノア嬢が笑って、
「はい。しかと承りましたわ」
と言い、おどけて礼を取ったところで、無事辺境におけるエレノア嬢の役割が決まる。
私はそんなことを嬉しく思いつつ、
(何か一つでも打ち込めることがあれば、辛さも少しはマシになるだろう…)
と密かに思って、心の中でそっと微笑んだ。
そんな私たちに、
「できましたよ」
というミーニャの声がかかる。
私たちは顔を見合わせると、
「楽しみですわね」
「ああ。楽しみじゃ」
「ははは。外で食うカレーはきっといつもと一味も二味も違うぞ」
と言って笑い合い、さっそく出来上がったばかりのカレーをもらいにミーニャのもとへ近寄っていった。
ミーニャとマーサからカレーを受け取りみんなで食べる。
エレノア嬢がどんな反応を示すか気にしつつ、見ていると、エレノア嬢はひと口食べた瞬間、カッと目を見開き、こちらを見てきた。
その反応に私は勝ちを確信しつつも、一応、
「どうだ?」
と聞く。
すると、エレノア嬢は、ものすごく興奮したような感じで、
「すごいです。すごいですわ、ルーク様!」
と私のことを愛称で呼びながら、歓喜の声を上げた。
「ははは。それは良かった」
と私が言ったところで、エレノア嬢がハッとする。
そして、その場で礼を取ると、
「あの…、大変失礼いたしました。私、つい興奮してしまったものですから…」
と小さくなって謝罪の言葉を述べる。
そんなエレノア嬢に私は、
「いや、気にしないでくれ。むしろルークと呼んでくれたほうが親しみを感じていいからな。これからはそうしてくれ」
と言って、頭を上げてくれるよう頼んだ。
すると、エレノア嬢は、おずおずと言った感じで頭を上げ、
「その…、申し訳ございませんわ」
とまたシュンとした感じで謝罪の言葉を述べた。
その様子を見て、私は、
「はっはっは。じゃぁ、私も遠慮なくエリーと呼ばせてもらうから、そちらも遠慮なくルークと呼んでくれ。ああ、マーサもそれでいいぞ。なにせ、うちじゅうみんな私のことをルークと呼ぶからな」
と言ってその場を収める。
すると、まずはマーサが、
「かしこまりました。そのようにさせていただきます」
と綺麗な礼を取って応え、ついで、エレノア嬢が、慌てたような感じながらも、礼を取り、
「ご配慮ありがとうございます…。ルーク様」
と遠慮がちに私の名を呼んできた。
「ああ。かまわんさ、エリー」
と私もやや気恥ずかしい思いをしつつ、エリーと名を呼ぶ。
そして、お互いに、
「ふふっ」
「ははは」
と照れ笑いを浮かべると、無事、私たちの呼び名問題は解決した。
それからライカとコユキを遊ばせたり、お茶を飲んだりしてのんびり過ごす。
辺境のこと、これからのこと、いろんな話をした。
途中暗い話にもなりかけたが、私はあえて、
「大丈夫。なんとかなるさ」
とやや軽く返して、その場を収めた。
今頃おそらく侯爵様は裏で動いておられるだろう。
私も出来る限りの協力は惜しまないつもりだ。
きっと未来は明るい。
少なくとも私はそう信じて、エリーに出来るだけ前向きな気持ちになってもらえるよう、明るい話を続けた。
やがて日が傾き向き始め、ピクニックはお開きの時間となる。
「あっと言う間でしたわね…」
と片付けをしながら、やや寂しそうにそうつぶやくエリーに、
「なに。今度はリンゴの花でも見に来ればいいさ」
となるべく明るくそう返す。
するとエリーは、
「そうですわね」
と言って微かにだが笑ってくれた。
(この笑顔を曇らせないのも私の大事な仕事になるんだな…)
と、なんとなく思う。
片付け終わった一帯はどこか祭りの後のようでなんとも言えない寂しさが残っている。
しかし、私はあえて空を見上げ、
「ほら。もう星が出ているぞ」
と言って、一番星を指さした。
「まぁ、綺麗ですこと」
と言ってエリーが微笑む。
夕暮れの柔らかい光に照らされてその微笑みが明るく輝いた。
私はそれを見て、
(守らねばな)
と改めて心の中でそう誓った。