~エレノア視点~
ガタゴトと音を立てて馬車が大きく揺れる。
私は辺境送りになってしまった。
(大丈夫よ。シュタインバッハ侯爵様も大丈夫だと仰ってくださったし、いつかお父様の無実を晴らしてくださるはず…)
と自分に言い聞かせるが、
(でも、大丈夫かしら…。辺境は危ないって聞くし…)
と不安が募る。
そんな私に、マーサが、
「お嬢様。大丈夫でございます。このマーサが付いていますからね」
と言ってくれた。
私は微笑んで、
「ええ。大丈夫よ。侯爵様も大丈夫だと仰ってくださったのですもの。きっと大丈夫。私耐えてみせますわ」
となんとか気丈な言葉を返す。
するとマーサは、
「大丈夫でございますからね…」
ともう一度言って、私の手を握ってくれた。
やがて、馬車の揺れがやや収まる。
どうやら、辺境の村に続く道に出たらしい。
ここまで大変だった。
初めての旅に初めての野宿。
それがようやく終わる。
そう思うと私の胸になんとも言えない安心感が広がった。
やがて、馬車が止まる。
その時私の緊張は頂点に達していた。
静かに馬車の扉が開く。
まずはマーサが降りた。
(いよいよね…)
と思いつつ軽く深呼吸をして私も馬車から降りる。
すると、
「エレノア・ブライトン嬢だろうか。私が当家の主ルーカス・クルシュテットだ」
とご当主様から先に挨拶をされてしまった。
私は慌てつつも、何とか落ち着いて、
「申し遅れました、ルーカス・クルシュテット男爵様。私がエレノア・ブライトン、後ろに控えているのがメイドのマーサでございます」
と礼を返す。
するとルーカス・クルシュテット男爵様は、少し微笑んで、
「長旅でさぞお疲れだろう。まずはお茶でも飲んでいただこう。さぁ、どうぞ、中へ」
と優しい言葉で私たちを屋敷の中へと招き入れてくれた。
ほっとした気持ちで男爵様の屋敷に入る。
正直、普通に屋根のある家に入れてほっとした。
やがて、簡素なリビングに入り、質素なソファに座る。
硬い馬車の椅子にずっと座っていた私にとってはその質素なソファがまるで天上の世界の椅子のように感じられた。
「改めて、ルーカス・クルシュテットだ。ようこそ我が領へ」
とおっしゃってくださる男爵様に私は、
「こちらこそ、この度は私どもを受け入れてくださり感謝申し上げます」
と言って、深々と頭を下げた。
すると男爵様は、気さくに、
「なに。たいしたことじゃない。詳しいことは承知していないが、おそらく私を余計なことに巻き込まないようにという侯爵様のご配慮だろう。離れを用意したからしばらくの間はくつろいで生活していただきたい。不足する物があったら遠慮なく言ってくれ」
と、また優しい言葉を掛けてくれた。
ほっとして、出されたお茶を飲む。
(…あ、これって…)
そのお茶は私が家で良く飲んでいた物と同じ銘柄の紅茶だった。
思わず涙がこぼれそうになる。
しかし、私はそれをぐっとこらえて、まずは、
「先ほど、詳しいことはご存じでないと仰いましたが、どの程度なのでしょうか?」
と、肝心なことを聞くことにした。
すると男爵様は、軽い苦笑いを浮かべ、
「本当に何も知らないんだ。ただ侯爵様からしばらくの間、人を預かってほしい。ついては離れを作れ、金銭的なことは心配するな、と言われただけでな。だから、そちらも余計な心配はしなくて大丈夫だ」
とおっしゃる。
その言葉に私はほっとしながらも、やはり事情は話さなければならないだろうと思ってやや気重になりながらも、
「左様でございましたか…。それを聞いて少し安心もいたしましたが、やはりご厄介になる以上、ある程度の事情はお話させていただきとうございます」
と、意を決し、罪人の娘と侮られることも覚悟しつつ今回の顛末を話すことにした。
「聞こう。話せる範囲でかまわん」
とおっしゃってくださる男爵様の言葉に甘え、簡単に事情を話し始める。
正直な所、何をどう話していいのか迷いながらだったので、やや取り留めも無い話し方になってしまっていた。
しかし、それでも男爵様は時折うなずきながら黙って私の話を聞いてくださる。
私はその姿勢に、
(ああ、お優し方なのね…)
と安心しつつ、何とか涙をこらえて、父は悪人ではないということを必死で伝えた。
私はある程度話し終え、男爵様を見る。
すると、男爵様は、
「あいわかった。政治的なことは私にはどうしようもないが、おそらく侯爵様が動いてくださっているのだから決して悪い方には動かないだろう」
と、また優しい言葉を掛けてくださった。
私はその言葉に感動しつつ、
「ありがとう存じます」
と言って深々と頭を下げる。
私の心の中は本当に感謝と安心感で一杯になっていた。
そんな私に男爵様は、
「なに。本当にたいしたことじゃない。それにご覧の通りの辺境だ。おそらく不便をかけるだろう。こちらとしても精一杯のことはするが、その点はご理解いただきたい」
とまでおっしゃってくださる。
私がその男爵様の言葉に感動を覚えていると、男爵様の家のメイドさんが、
「失礼いたします。お荷物の運び入れが終わりました。整理をお手伝いさせていただきますので、どうぞ、お越しください」
と言って、私たちがこれから暮らす場所へと案内すると言ってくれた。
なるべく丁寧に礼を言ってリビングを辞する。
そして、庭を通り、少し歩くと、離れのような建物が見えてきた。
(まぁ…。可愛らしいお家)
というのが最初の感想で、中に入ると、質素ながらも明るく優しい雰囲気が一瞬で私を包み込んでくれた。
「お部屋にご案内させていただきます」
というメイドさんの案内で部屋に向かう。
案内された部屋はこじんまりとしていたが、馬車での野宿を経験した私には十分な広さだと感じられた。
「ありがとう」
とメイドさんにお礼を言って、旅装を解く。
そして、
「後ほど夕飯をお持ちいたします。本日はお疲れでしょうから、まずはゆっくりなさって欲しいと主から言付かっております」
と言ってくれるメイドさんにまた礼を言って、さっそくほんの少しだけ休憩させてもらうことにした。
久しぶりのベッドの感触にほっとする。
しかし、まだどこか緊張しているのか、横になる気にはまだなれなかった。
やがて、優しい味のクリームシチューをいただく。
久しぶりに食べた普通の食事に思わず涙を流してしまった。
「お優しい方でようございましたねぇ」
と言ってくれるマーサに、
「ええ。本当に良かった…」
と涙を拭きながら答える。
マーサもほっとしたのか、必死にこらえているようだったが、ほんのりと涙ぐんでいた。
(本当に良かった…)
と思ってそんなマーサに微笑みかける。
するとマーサも微笑んで、その日の夕食は本当に和やかな雰囲気で終わった。
翌朝。
早くに目を覚ます。
あまりの緊張と疲れで逆に興奮していたのだろう。
昨晩はまんじりともしなかった。
少し気を紛らわそうと思ってお庭に出る。
すると、そこで男爵様が剣の稽古をされていた。
(まぁ。なんて真面目な方なのかしら…)
と感心して静かに見つめる。
しかし、男爵様はすぐに私の存在に気が付かれたようで、稽古を止め、私の方を振り返ってくれた。
「おはようございます。お邪魔をしてしまいましたか?」
と声を掛け、謝罪する。
だが、男爵様は微笑んで、
「いや。大丈夫だ。昨日は眠れたか?」
と、また優しい言葉を掛けてくださった。
その優しさが嬉しくて、
「はい。おかげ様で、ゆっくり休むことができました」
と少しの嘘を交えて答える。
すると男爵様は、少し苦笑いをして、
「それは良かった」
とだけ短く答えてくれた。
私は嘘が見破られてしまった恥ずかしさを感じつつも、なんとか微笑んで返す。
そんな私に男爵様は、
「今日は晩餐…と言っても辺境なので普通の食事になるだろうが…、とにかく食事に招待したい。その場でうちの家族を紹介しよう」
と言ってまた優しく微笑んでくださった。
「ええ。ぜひうかがわせていただきます」
と心から嬉しい気持ちで答え、その場を辞する。
私は本当にうれしくて知らず知らずのうちに微笑んでしまっていた。