突然の重たい雰囲気に、
「えっと…」
と言ってとりあえず話の先を促がす。
そんな私に、侯爵様は重々しく一つうなずき、少し居住まいを正すと、
「少し先のことにはなるが、厄介ごとに巻き込まねばならん」
となんだか面倒事の匂いしかしないことを言った。
その言葉に私も居住まいを正し、
「伺いましょう」
と短く、しかし、ある程度の覚悟を持って答える。
その言葉にまた侯爵様は重々しくうなずき、
「まだ先のことだが、とある人をひとり預かってもらうことになるはずだ」
と意外なことを言ってきた。
「人をひとり…ですか?」
と問い返すと、侯爵様は、やや疲れたような顔で、一つため息を吐く。
そして、またブランデーをちびりとやると、
「ああ。まだ詳しくは話せんが、貴族同士の「ごたごた」と言えば何となく想像もつくだろう。そのつもりで準備をしておいてくれ」
と言うと、少し眉間に寄ったしわを揉むようにして、またため息を吐いた。
(ああ、これは深入りしない方がいいやつだな…)
と直感的に思う。
しかし、
(どう考えても断れないよな…)
とも同時に思った。
そこで、私も心の中でそっとため息を吐きつつ、
「かしこまりました。小さな家の1軒でも建てておけば事足りますか?」
と聞く。
その問いに侯爵様は、
「ああ。2、3人が数年間暮らせる家を建てておいてくれ。出来るだけお前の住む屋敷の近くがいいから、敷地内に離れを建てるのがいいだろう。あとはリッツ商会のエラルドに任せてある」
と、具体的に指示を出してきた。
私はその少し具体的な指示を聞いて、
(なるほど、詳しくはわからんが、事はそれなりに進んでいるようだな…)
と思い、また、
「かしこまりました」
と覚悟を決めてひと言答える。
そして、またゆっくりとブランデーをひと口含むと、短く、
「ふぅ…」
と息を吐いた。
翌朝。
また、父に手紙を書く。
内容は当然、侯爵様の指示で3人ほどが数年暮らせる離れを建てなくてはいけなくなった。
各種手配を頼む。
というもの。
私はその手紙を書き終えると、部屋で慌ただしく朝食をとり、ミーニャを連れてシュテルの町へと繰り出していった。
「今日はお買い物ですか?」
というミーニャに、
「ああ。しかも大量にな」
と苦笑いで答える。
侯爵様から支度金は十分に使っていいという言質を得た。
しかも、ついでに領への土産もたんまり買うといいというありがたいお言葉まで頂戴している。
私は、これからどんなことが起こるかわかならないが、とりあえず今はそのお言葉に甘えて、出来る限りのものをそろえておこうと、さっそく問屋街を訪ねた。
馴染みの商会に着く。
「うわぁ…大きいお店ですねぇ」
と感心するミーニャに、
「ああ。侯爵家御用達の店だからな。おそらくこれからも世話になると思うから覚えておくといい」
と言って、その店の玄関をくぐる。
すると、その次の瞬間、感じのいいメイド服を着た店員から、
「ようこそリッツ商会へ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
とにこやかに訊ねられた。
「ああ。昔クレインバッハ侯爵様の所で世話になっていたルーカス・クルシュテットという。すまんが、商会長のエラルド殿と話がしたい。おられるかな?」
とよどみなく聞くと、
「少々お待ちください」
と言って店員が下がっていく。
私はそれを見送りつつ私とミーニャは店内にある見本品を何気なく見ながら時間を潰した。
ややあって店員が戻ってくる。
そして、
「お待たせいたしました。こちらへどうぞ」
と言って、私たちを店の奥へと案内してくれた。
店員の案内で見慣れた応接室に入る。
すると、そこにはこれまた見慣れた壮年の男性、この商会の主エラルドがいて、
「お久しぶりですな、ルーカス様」
と言って右手を差し出してきた。
「いや、こちらこそ無沙汰ですまんな。相変わらず儲かってるか?」
と冗談を言って、差し出された右手を握り返す。
そんな私にエラルドは笑いながら、
「ははは。ぼちぼちですよ」
と答え、気軽な感じでソファを勧めてきた。
さっそく対面して座り、
「いつお戻りで?」
というエラルドに、
「つい一昨日町に入ったばかりだ。侯爵様には昨日お会いしたよ」
と答え、ついでに、
「聞いているか?」
と問う。
するとエラルドは、軽くうなずき、
「詳しくは存じ上げない、ということにしておいていただけると助かります」
と何気なく答えてきた。
「なるほどな」
と苦笑いで答える。
そして、
「私はは何も聞いてない。しかし、準備すべきものだけは聞いたから領への土産と一緒に頼みにきた。すまんが、手配を頼めるか?」
とこちらも何気ない感じでそう聞いてみた。
その問いかけにエラルドは、軽くうなずき、
「かしこまりました。こちらで揃えられるのは全てお揃えします。おそらく足りると思いますが、後日明細をお届けしましょう」
と、いかにももう準備は整っているという感じで答える。
そして、
「あと、領へのお土産というのはどういう物をお望みですか?」
と言い、領への土産物の方の話を切り出してきた。
「そうだな…。魚の干物と香辛料をとにかくたくさんの種類欲しい。それから…小さめで頑丈な荷馬車があれば2台ほど手配してくれないか?どうせ今後も取引が増えるだろうからな」
と適当に注文を出す。
すると、エラルドが、
「かしこまりました」
と言いまた右手を差し出してきた。
私もその手を握り返して商談が成立する。
こうして、私の大きな買い物はものの数分で終わった。
そこからは、ちょっとした世間話を交わしリッツ商会を後にする。
私は、
(まったく、商人の情報網というのは恐ろしいものだな…)
と改めて思いつつ、次の店を目指して商店街を歩いていった。
雑貨屋を何軒か冷やかして馴染みの武器屋に入る。
「やってるか?」
と声を掛けると、店の奥から、
「誰だ?」
と無遠慮な声が返って来た。
「侯爵家で世話になってたルーカスだ。覚えてるか?」
とさらに声を掛ける。
すると、奥から背の小さな、筋肉質の男が出て来て、
「おう。ルークの坊ちゃんか。久しぶりだな」
と言いつつ右手を差し出してきた。
「ああ。久しぶりだな、バルゴの爺さん」
と冗談めかして挨拶をする。
すると、バルゴはは、
「けっ。誰が爺さんだ!」
と悪態を吐いてきた。
「はっはっは。すまん、すまん、バルゴ『殿』」
とまた冗談めかしてそう言う。
そして、バルゴも、
「けっ。『殿』なんて気持ち悪りぃ呼び方すんな」
とまた悪態を吐いた。
ひとしきり恒例のやり取りが終わったところで、
「ああ。そうだったなバルゴ。元気だったか?」
と切り出す。
「おうよ。お前さんも元気そうだな」
というバルゴに、
「ああ。おかげ様で辺境で元気にやってるよ」
と苦笑いで答えた。
ひとつ間を置き、
「ああ、そうだったな。で、後ろの姉ちゃんは連れ合いか?」
と、バルゴがバカなことを言う。
そんなバルゴに嘆息しつつ、
「バカをいうな。どこからどう見てもメイドだろが」
と一応突っ込んだ。
「ほう。お前さんもメイドなんかをぶら下げる身分になったんだな」
と感心したようにいうバルゴに、
「おいおい。元からそうだ」
と、また嘆息して答える。
すると、バルゴは、
「ははは。そうだったな。で、今日はなんのようだ?その細い剣の手入れか?」
と、笑いながら、今日の用件を聞いてきた。
それを聞いて私は、
(ああ、そう言えば、そろそろ研いでおいた方がいいのかもしれんな…)
と思いつつ、
「ん?ああ、そうだな。それも頼もう。あと、このメイドに合う防具を作ってやって欲しい。なるべく軽いやつがいい」
と今日来た本来の用件をバルゴに告げた。
すると、私の後で、興味深そうに武器を眺めていたミーニャが、
「え?私のですか!?」
と驚きの声を上げる。
そんなミーニャに私は、
「ああ。これからたくさん森に行くことになるだろうからな。せめて防具くらいいい物をそろえてやりたいと思ったんだが、迷惑だったか?」
と少しいたずらっぽく聞いてみた。
「いえ、そんなことはありません。でも…その…」
と遠慮するミーニャに、
「ああ、金のことは心配するな。こっそり侯爵様の懐からいただいておくからな」
と、半分冗談、半分本気でそう言う。
すると、なぜかバルゴが、
「はっはっは。相変わらずだな」
と言って笑った。
私はなぜ笑われたのかいまいちよくわからなかったが、おそらく侯爵様の財布から勝手に私用のものの金をとるということがおかしいと思われたのだろうと思って、
「はっはっは。ああ。相変わらずだ」
と、とりあえず笑って答える。
すると、バルゴはまだおかしそうな顔をしながらも、
「わかった。予算はどうする?」
と聞いてきた。
私は頭の中で少し考えつつ、
「そうだな。金貨10枚くらいならバレんだろう。その範囲で適当に頼む」
と言って、ざっくりとした注文を出す。
するとバルゴは、
「あいよ」
と気軽に言って、ミーニャに視線を向けると、
「おう。嬢ちゃん。手見せてみな」
と言って、ミーニャに手を見せるように促した。
ミーニャが素直に手を差し出す。
バルゴはその手を見たり少し触ったりして、
「なるほどな。ああ、お見立て通り軽いヤツが良さそうだな。ちょいと計るぜ」
と言って、その辺から巻き尺を取って来ると、手早くミーニャの体に当てて、軽くメモを取り出した。
その様子を見ながら、
「どのくらいかかる?」
と聞く私に、バルゴは、
「2か月って所だ。待てるか?」
と聞いてきた。
「いや、さすがにそんなに長くはいられない。リッツ商会に預けてくれ」
「わかった」
と会話を交わして、商談を終える。
そして、バルゴがミーニャの体格を計り終えると、私たちはまた握手を交わして店を後にした。
その日の晩餐の席で、
「万事整いました。明後日には発とうと思います」
と侯爵様に告げる。
ユリア様とシンシアはもう少し長く居ろと言ってきたが、私が、
「また近いうちにお邪魔しますから」
と言うと、なんとか納得してくれた。
豪華な食事が和やかに進んで行く。
私はその食卓を見て、
(形は全然違うが、この食卓も実家の食卓も本質は一緒だな…)
と、しみじみそう感じた。
明るい食卓、飾らない会話。
そして、そこにこぼれる純粋な笑顔。
どれもこれも家族というものを象徴しているように思える。
そのことを思うと私は、
(私はこの世界で人に恵まれたんだな…)
と改めてそう思った。
前世の私がどういう人生を送ったのかはわからない。
もしかしたら、もっと幸せな環境にいた可能性もあるだろう。
しかし、私は今ここにいて、この時を幸せだと感じている。
おそらくそれが全てで、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。
私は、どこか確信めいた感じでそう思った。
明るい会話が続き、夜が更けていく。
私は、その幸せな食卓を心ゆくまで楽しみ、満足のうちに今日という一日を終えていった。