挨拶周りから帰って来て、
「ひひん!」(楽しかったね!)
というライカをたっぷり撫でてやってから自室に戻る。
村長の話を聞き、領民の話を聞いた私は少し暗澹とした気持ちになっていた。
しかし、
(いかん、いかん)
と気持ちを立て直す。
領民たちの目は輝き、誰一人、生きることを諦めているような者はいなかった。
(領主の私がこんな気持ちでどうするんだ…)
という情けなさに似た感情が湧き上がって来た。
「ふぅ…」
と息を吐く。
そして、ひと言、
(まだ始まったばっかりだ…)
と心の中で気合を入れると、その日は何とか気持ちを切り替えて体を休めた。
翌日からは本格的な政務の引継ぎが始まる。
始まって見て、最初に思ったのは、財務管理の甘さだった。
まるでなっていないとまではいかないが、随所にドンブリ勘定らしき点が見受けられる。
私はその点を頭に入れつつ、これまでの膨大な書類に目を通すという作業に取り掛かった。
書類を捌くこと20日ほど。
ようやく整理が終わる。
結果、物品の買い付けや作物の交換なんかを適切にやればなんとか現状の「とんとん」から黒字に持っていけることが分かった。
(とはいえ、辺境開拓の名目で税が免除されているからこそできる黒字化というところだが…)
と思い、軽くため息を吐く。
そして、バティスに淹れてもらったお茶を飲みながら、肩を揉んでいると、そこへ父がやって来た。
「そろそろ片付いたか?」
と呑気に聞いてくる父に、
「ええ。なんとか」
と苦笑いで答える。
すると、父は、
「そろそろフェンリル殿との約束の時だ。いってくるといい」
と言って、またフェンリルの所に行く時期がやって来たことを報せてくれた。
「ああ。そうでした。すみません。忘れるところでした」
と謝りつつ、書類をたたむ。
そして、残りのお茶を飲み干すと、さっそくライカのもとに向かった。
私の姿を見るなりさっそく近寄って来てじゃれついてくるライカに、
「また森にフェンリルに会いに行くことになったぞ」
と告げる。
当然ライカは、嬉しそうな表情になって、
「ひひん!」(やった!)
と歓喜の声を上げた。
「ははは。そうか、うれしいか。今回は思う存分『かけっこ』できるからな」
というとまたライカが、
「ひひん!」(楽しみ!)
と言って、興奮気味にじゃれついてきた。
そんなライカとひとしきり戯れてから屋敷に戻り準備に取り掛かる。
今度もまたミーニャがついて来たいと言ったが、今回は断った。
フェンリルの話が本当なら今回は足の速さが違う。
申し訳なく思いつつも、
「大丈夫だ。ライカが付いているからな」
と安心するよう言い聞かせた。
翌朝。
さっそく森へ向けて出発する。
初日はナーズ殿を訪ねそこで1泊させてもらった。
翌日から本格的に森に入っていく。
(さて、ライカの足というのはどの程度なんだろうか)
と思いつつライカに、
「最初はゆっくり頼むぞ。振り落とさないでくれ」
と冗談を言って、さっそく軽く駆け足で森の中を進むライカの背に揺られた。
ライカはどんどん進んで行く。
凹凸のある森の道を苦にする様子は全くなく、むしろ道を外れて森の中を進むことさえあった。
きっとなるべく最短距離を行ってくれているのだろう。
そんなライカを頼もしく思いつつ進む。
すると、やがて辺りが暗くなり始めてきた。
(そろそろ野営か…)
と思ってライカに、
「どこか適当に開けた場所があったらそこで止まってくれ。野営にしよう」
と告げる。
「ぶるる」(うん。わかった)
と言ってライカはしばらく進むと、小川のほとりにあるやや開けた場所を見つけてそこで止まってくれた。
「ありがとう。いい場所だな」
と言ってライカを褒めてやる。
嬉しそうに褒められるライカを軽く撫でると私はさっそく野営の準備に取り掛かった。
持ってきたジャガイモの皮をむき、ベーコンと一緒に炒める。
簡単な材料で簡単な料理しかできない自分を少し恨めしく思いつつ、ジャーマンポテトっぽいものを作っていると、
(ああ、ここに卵とチーズがあればスパニッシュオムレツが出来るな。ああ、それにちょっと工夫して生地をつけたらキッシュも出来るんじゃないか?)
という前世の記憶を思い出した。
(そうか。現状でもちょっと工夫すればまだまだ改善の余地はあるんだな…)
と、ふと思う。
甘いものはすぐには無理だ。
しかし、ちょっと工夫して目新しい料理なら現状でもなんとかなるかもしれない。
それに、酒に合う新しいつまみを考えればきっと今より酒が美味しく感じられるようになるだろう。
温かい服もすぐには無理だ。
しかし、ちょっとお洒落な服ならデザインひとつでなんとかなる。
そんな服が出来たら領民の心は少し暖かくなるのではないか。
私は現状でまだまだできること、やるべきことがあることをなんとなくその簡単な料理を作りながら思い、これからの未来に希望があるということをなんとなく見出した。
そんな物思いにふけりながらゆっくりと飯を食い、ライカに寄りかかって寝る。
見張りはライカがしてくれるのだそうだ。
私は一応遠慮したが、ライカ曰く、魔獣の気配は寝ててもよくわかるから心配ないとのこと。
私にはよくわからない感覚だが、ライカがそういうのだからそういう物なのだろうと思ってその日の見張りは任せることにした。
翌朝。
ライカのおかげかすっきりとした気持ちで目覚める。
空を見上げると白み始めているからそろそろ夜明けが近いのだろう。
私はお茶を淹れてゆっくり飲むと、ベーコンを炙ってパンに挟んだだけの朝食を食べた。
朝食が済むと夜が明けるのを待って出発する。
そして、そろそろ昼だろうかというくらいの時間。
例の場所に到着した。
ライカから降り、行動食をかじりながらフェンリルが姿を現すのを待つ。
すると、しばらくして私が行動食を食べ終わったのを見計らったようなタイミングで、今度も後ろから、
「待っていましたよ」
と突然声を掛けられた。
(この人…ヒトじゃないが、この人は他人を驚かすのが好きなんだろうか?)
と思いつつ振り返る。
「お久しぶりにございます」
と言って礼を取る。
すると、フェンリルは、
「うふふ。そうね。さっそくだけど、どこまでできるようになったか見せてちょうだい」
と言って私に例の訓練の成果を見せるように言ってきた。
「わかりました」
と答えて、その場に座り、目を閉じる。
そして、いつものように集中すると、あの独特の感覚の中に引き込まれていった。
やがて、またふわりとしたものに包み込まれるような感覚になる。
するとそんな私の脳に直接、響くかのような感じで、
『そのまま集中しなさい』
とフェンリルから声を掛けられた。
一瞬驚くが、そのまま集中する。
すると、どこかから私の体の中に温かい何かが流れ込んでくるような感じを覚えた。
『それが魔力よ』
とまたフェンリルの声が頭に響く。
私はなぜかなるほどとその感覚を理解して、素直にその魔力という物を受け入れた。
『そのまま魔力を体の中で循環させなさい』
と言われる。
私はずいぶんと苦労したが、そのうちなんとか魔力を動かすことができるようになった。
そこで、ふと集中が途切れる。
どうやら体力の限界だったらしい。
目を開けると、私はその場に倒れ伏すように手を突き、
「はぁ…はぁ…」
と肩で息をした。
「いいところまでいったわね。明日、もう一度やってみましょう」
と言って、フェンリルの気配が消える。
私は、その場で仰向けに寝転がり、何とか息を整えようと肩で息を繰り返した。
ゆっくりと休んで翌日。
朝食を取りお茶を飲む。
するとやはり後ろから、
「おはよう。ルーカス」
と声を掛けられた。
「おはようございます」
と言って礼を取る。
「じゃぁ、さっそくだけど昨日の続きをやってみましょう」
と言うフェンリルにうなずいて、私は残っていたお茶を飲み干すとさっそく目を閉じ、いつものように集中し始めた。
いつもの感じを覚えたあと、例の体の中に温かい物を感じる所まで行く。
そして、さらに集中していくと、その温かいもの、すなわち魔力が体の中を巡っていくような感覚を得た。
そのまま集中を続ける。
すると徐々にではあるが、その魔力の循環が安定し始めるのを感じた。
『そのままよ』
とフェンリルの声が脳に響く。
私は、切れそうになる集中をなんとか維持して、その魔力の循環を続けた。
やがて、また体力の限界が来て、集中が途切れる。
私は今度も肩で息をしながら仰向けに寝転がった。
「はぁ…はぁ…」
と肩で息をする私にフェンリルが、
「ずいぶん飲み込みが早いのね。でも、これを続けていけば魔力が安定するわ。これからも精進しなさい。また来月も待っているわよ」
と言ってきた。
私は切れる息をなんとか整えて、
「かしこまり…まし…た」
と答える。
するとフェンリルはその答えに満足したのか、ひとつうなずくと、
「じゃぁ、また」
と、ひとこと言ってまた私の視界から消えていった。
その後、やや疲れていたが、昼を挟んで帰路に就く。
どうやら私は何かを掴めたらしい。
しかし、フェンリルがこれからも精進しろと言ったからには、まだまだこれからもこの訓練は続けなければならないのだろう。
私は先の長さを思い、軽く苦笑いを浮かべつつもどこか充実した気持ちでライカの背に揺られ我が家を目指した。