帰還して早々、倒れるということはあったものの、それを無事乗り切りなんとか領主としての仕事を始めようかという朝。
寝込んでいた間、どれだけ体が鈍ってしまったのかを確かめようというくらいの軽い気持ちで木刀を手に取り裏庭に出る。
(懐かしいな…。子供の頃もここでよく稽古をつけてもらったものだ…)
と昔のことを思い出しながら、私は普段からやっているように軽く体を温めてから素振りを開始した。
初手からおかしいと、異変を感じる。
木刀がやけに軽い。
しかも、体も動き過ぎてまったく制御が効いていない。
そんな状況に、私は、
(なんだこれは…)
と戸惑いつつも、何とか形を見つけねばと思い素振りを繰り返した。
十数回ほど繰り返したところでいったん木刀を置く。
私は、膝に手をつき、
「はぁ…はぁ…」
と肩で息をした。
(たかが素振りで…?)
と疑問に感じる。
病み上がりで体が落ちていたのだろうか?
いやそれはない。
軽く素振りをしただけで息が上がるなら、普段の生活でも何か異変があるはずだ。
むしろやっとあの熱から解放されてすっきりしているし、調子がいいようにさえ感じている。
その証拠に、体はあんなに、動きすぎるくらい動いていたし、木刀もやけに軽く感じた。
なら、なぜこんなに息が上がっているのだろうか?
私は訳が分からないまま、まだ十分に整わない息で再び木刀を手に取る。
そして「すー…はぁー…」と荒い呼吸を沈めるように深呼吸をした。
(集中しろ…)
と念じながら裏庭に突き立てられた訓練用の丸太と向き合う。
そして、心の中でしっかりと相手を見定めると、気合を込め、一気に木刀を振り下ろした。
振り下ろした瞬間、妙な感覚に陥る。
まるで体中の力が持っていかれるよう、生気を吸い尽くされてしまうような、そんな感じがした。
(いかん!)
と思ったが木刀は止まらない。
私はなすすべなくそのまま木刀を振り下ろす。
すると、木刀が丸太をすり抜けた。
中ほどから斬られた丸太がゆっくりと倒れ、「ドシン」と音を立てて地面に落ちる。
私はその光景を呆気に取られて見ながら、
「ぉぃぉぃ…」
とつぶやくと、自分もそのまま地面に大の字になって伸びてしまった。
また意識を手放したらしい。
目を開けると部屋の天井が見える。
そして、横から、
「気が付いたか?」
と父の声が聞こえた。
重たい体を何とか引き起こそうとする。
しかし、
「そのままでいい」
と父に手で制された。
「申し訳ございません」
と謝る。
そんな私に父は、
「いや…」
とひと言許しを与えた後、
「…何があった?」
と聞いてきた。
私はなんと答えた物かと思いつつ、とりあえず、
「わかりません」
と結論を先に言った。
「どういうことだ?」
と眉間にしわを寄せながら、父が疑問を差し挟んでくる。
私は、どう話したものかと思いつつ、言葉を選んで、
「おそらく原因は私が熱を出して倒れたあの時です。どうやら私はそこで魔力というものに目覚めてしまったようです…。ただ、それがなぜなのか、どうしてそう思うのかは…今の所自分にもわかりません」
と父の目を真っすぐ見つめながらそう返した。
「…そうか…」
と言って、父が思案顔になる。
私もそれ以上何を言っていいのかわからずぼーっと天井を眺めた。
ややあって、
「…とりあえず今日は寝ていろ。なんとか策を考えてみる」
と言って父が部屋を出ていく。
私はそれに、ただ、
「すみません」
としか返すことが出来なかった。
ひとりになり、
(原因はどう考えてもあの時だよな…。魔力も落ち着くとか言っていたし…おそらく、一気に増えた魔力を制御できずにあんなことになってしまったんだろう…。しかし、それにしても…)
と自分のしでかしたことの重大性を考える。
(木刀で丸太を斬るなんて聞いたことがない。…おそらく魔法師団の連中でも無理なはずだ。いや、土台、ヒトには無理な話だ。うーん。エルフさん辺りならできる人間がいてもおかしくないかもしれんが、その辺の情報は王国じゃ手に入りづらいしな…)
と考え頭を悩ませていると、部屋の扉が叩かれ、
「失礼します」
と言ってミーニャが入って来た。
ミーニャが心配そうに私の方を覗き込み、
「お加減はいかがですか?」
と聞いてくる。
私はそれに、
「ああ。もう大丈夫だ」
と、なるべく優しい笑顔で答えた。
すると、ミーニャはたちまち笑顔になって、
「良かったです!あ、おしぼり替えますね」
と言って、私の額に乗っていたおしぼりを取って側に置いてあった桶の水で絞り直してまた私の額の上に乗せてくれた。
ひんやりとした感触が心地いい。
「いかがですか?」
と言うミーニャに、
「ああ、気持ちいいよ。ありがとう」
と返すと、ミーニャは嬉しそうにその猫のような尻尾を揺らしながら、
「良かったです!」
と言って私の横に座った。
そんなミーニャに、
「おいおい。ずっとつきっきりにならなくてもいいんだぞ」
と苦笑いで伝える。
しかしミーニャは、
「そういうわけにはいきません。なにせ私はルーク様のメイドですから!」
と元気いっぱいにそう答えた。
「ははは…。そうか、そうだったな」
とまた苦笑いで答える。
するとミーニャは嬉しそうに、
「はい!」
と答えてニコリと笑った。
そんなミーニャとしばらく世間話をする。
どうやらミーニャはこの家に引き取られて以来、剣から読み書き、料理に家事全般、いろんなことを勉強してきたようだ。
そのひとつひとつが楽しくて打ち込んでいるうちに両親の失った悲しみをいつの間にか乗り越えられていたらしい。
だから、父には感謝してもしきれないと言うことを言ってくれた。
そんなミーニャの言葉を嬉しく思いながら聞く。
(良かった。父上はひとつ領民の幸せを守ったのだな…)
そう思うと、領主としての責任の重さと同時にそこにはやりがいもあるのだと改めて認識させられたような気がした。
「そろそろお昼ですね。すぐに持ってきます」
と言って席を立つミーニャに、
「ありがとう」
と声を掛ける。
するとミーニャはまた嬉しそうに、
「とんでもございません。それがメイドの仕事ですから」
と答えて部屋を出て行った。
私はその様子を微笑ましく見送りつつ、重たい体を何とか引き起こす。
そして、首をひねり窓から外の景色を眺めてみた。
空は美しく晴れている。
(今日も村は長閑だな)
そう思うとなんだかそれまでの緊張がほんの少し和らいで体の力が抜けたような気がした。
翌朝。
ゆっくりと目覚める。
するとすぐにミーニャが朝食を運んできてくれた。
マッシュポテトにポーチドエッグ。
それにサラダが少々。
いかにも辺境らしい朝食を食い、
(これから、これをなんとかしなくてはいかんのだな…)
と考える。
焼き立てのパン、新鮮な果物、絞りたてのミルク。
そんなものを思い浮かべながら私は、その精一杯の朝食を美味しくいただいた。
(明日からはちゃんと起きてみんなと朝食の席を囲まねばな…)
とひとりの朝食を寂しく思いながら終える。
そして、今後のことを相談しようと思って父の執務室を訪ねた。
「失礼します」
と言って、部屋の扉をくぐる。
部屋に入るとすぐに父は執務机の席を立って、
「ちょうど良かった。私も話しておきたいことがあったんだ」
と言って、私をソファに座るよう促した。
また、
「失礼します」
と言ってソファに座ると父も正面に腰掛ける。
そして、お茶が出されると父はおもむろに口を開き、
「すまんがしばらくの間下がっていてくれ」
とバティスに席を外すよう命じた。
「かしこまりました」
と言ってバティスが下がっていく。
私はいったい何事だろうかと思って父が話し始めるのを待った。
父がひと口お茶を飲む。
私も合わせてお茶を飲み、
(…紅茶があるなら緑茶があっても不思議じゃないな…)
と変なことを考えつつ、父が口を開くのを待った。
そこへ父がおもむろに口を開く。
最初は、
「調子はどうだ?」
という軽い見舞いの言葉から始まった。
「ええ。もう大丈夫です」
と答える私に父はうなずき、
「良かった。しかし、しばらくは稽古は禁止だぞ?」
と、少し冗談めかして言う。
私はそれを苦笑いで受け止め、
「ええ。稽古の度に寝込んでいるようじゃ領主としての資質を疑われますからね」
と言うと、こちらも冗談でそう返した。
父が、
「ふっ」
と笑ってまたお茶を飲む。
そして、今度はやや真剣な表情で、
「どういう状態かはわからんが、剣が振れんのはまずい。強い弱いの問題じゃなくいざとなれば戦えるというのは領主としての覚悟の問題だからな」
と言った。
私もそれに真剣な表情で、
「たしかに。私自身もこのまままともに剣が触れない状況を何とかしたいと思っております。おそらく原因は魔力関連だと思いますが…」
と答えて父に視線を送る。
すると、父も私の目を見てうなずき、
「魔力うんぬんは私の専門外だ。しかし、心当たりはある」
と私からすれば意外な答えを返してきた。
「ほう。その心当たりとは?」
と、やや勢い込んでそう聞く。
その私の態度をおかしく思ったのか、父は軽くニヤリと笑うと、
「フェンリルだ」
と、ひと言そう答えた。