夏の森。
早朝の静けさの中、静かにたき火の火を熾す。
湯を沸かしお茶の準備をしていると、
「ぶるる」(おはよう。ルーク)
と静かな声でユニコーンのライカが私に朝の挨拶をしてきた。
「ああ。おはよう」
と私に微笑みながら静かに返す。
そして、まだ寝ているもうひとりの同行者、フェンリルのコユキの方に目を向けた。
「ぶるる」(お寝坊さんだね)
と言ってライカが微笑む。
「ああ。もう少し寝かせておいてやろう。どうせ飯の匂いがしてきたら起きてくるだろう」
と私も微笑みながらそう答えた。
やがて湯が沸き、お茶を淹れる。
ひと口飲んで、
(…うちの村の緑茶もずいぶん美味くなったな)
と、最近になってずいぶんと品質が高くなってきた村の緑茶の味わいに目を細めた。
思えば、私がここ辺境の地、クルシュテット男爵領の領主になって10年。
あの何も無かった寒村が今では町と呼んでよいほどの規模に成長している。
(きっとこの状況は誰の目にも奇跡と映るんだろうな)
と思うと、自然と顔がほころんだ。
(みんなのおかげだ)
と思い、ひとりひとりの顔を思い浮かべる。
男手ひとつで私を育ててくれた父、騎士団のみんな。
家を支えてくれているメイドや執事に、愛しい子供達。
そして、最愛の人。
みんなが私に力をくれた。
もちろんともに働いてくれる村人もそうだ。
田畑を耕し、糸を紡いでこの村を支えてくれている。
鉄を打ち、酒を造ることもそうだ。
感謝しかない。
私がそんなことを思い、感慨にふけっていると、
「…くぅーん…」(…おはよー…)
という声が私の後から聞こえた。
声の主、まるで子犬のようなフェンリルの子、コユキを抱きかかえて、
「おはよう。今日は早起きだな」
と言いながら撫でてやる。
ここでもまた、
(コユキはここ10年で大きくなったよな…。最初は両手のひらに乗せられていたのが、今や子犬サイズだ…)
と感慨にふけっていると、コユキが、
「…くぅん」(…ご飯)
と言いながら私に頭をこすりつけてきた。
「ははは。そうだな。飯にしよう」
と言ってさっそく荷物から材料を取り出す。
ベーコンを切り、野菜を切ってスープを作った。
煮込んでいる間にチーズを挟んだパンをスキレットの上に乗せて軽く焼く。
たちまちいい匂いがして、それまで静かだった森に朝の活気が漲ってきた。
「さぁ。できたぞ。スープは熱いから気を付けてな」
と言ってコユキにポトフとパンを出してやる。
私は鍋から直接だ。
「いただきます」
の声がそろった。
コユキがはぐはぐとパンにかじりつく。
私はライカにニンジンをあげつつ、ゆっくりとスープをすすった。
のんびりとした雰囲気でみんなそれぞれに朝食を進める。
そして、
「きゃん」(おいしいね)
「ぶるる」(うん。村のニンジン最高)
「ははは。そうか、それはよかった。今度農家のみんなのところにお礼を言いに行こうな」
と話ながら食事を楽しみ、やがてみんなが笑顔で食事を終えた。
後始末をして荷物を整える。
そして、
「さて。行こうか」
と声を掛けると、
「きゃん!」
「ひひん!」
と元気な返事が返って来た。
さっそくコユキを特製の鞍についている専用席に乗せてあげる。
そして、私もライカに跨った。
「魔獣を見つけるのは任せたぞ」
と2人に声を掛けると、
「きゃん!」(まかせて!)
「ひひん!」(うん、頑張るね!)
とやる気の漲った声が返ってきた。
苔むした木が生い茂る森の中をライカは苦も無く進んで行く。
コユキも鼻をくんくんさせてどうやら臭いで魔獣を探ってくれているようだ。
(ライカはずいぶんたくましくなったな。頼もしいものだ。最初の頃は人見知りでもっとモジモジしていたんだが…。今ではすっかりいいお姉ちゃんだ。それに索敵もずいぶん上手になった。おかげで、私ひとりだったら何日もかかるような狩りがほぼ1日で終わるようになったんだからありがたいことだ…)
と思いながらライカを撫でついでにコユキを撫でてやる。
すると2人はまた嬉しそうに鳴いてさらにやる気を見せてくれた。
しばらく歩き、ライカが脚を止める。
すると、コユキが、
「きゃん!」(トンカツ!)
と言った。
私は一瞬疑問符を浮かべたが、すぐにコユキの意図に気が付き、
「ん?ああ、もしかしてイノシシがいるってことか?」
と、その少しひねった言い方の正解を訊ねる。
「きゃん!」(うん!)
と嬉しそうに答えるコユキに笑いかけながら、
「じゃぁ、帰ったらエリーにお願いしないとな」
と言うと、コユキは目を輝かせながら、
「きゃん!」(エリーのトンカツは最強!)
とさらに嬉しそうな表情でそう言った。
「ははは。じゃぁ、美味しいお肉がたっぷり取れるよう丁寧に狩らんとな」
と笑って言いつついったんライカから降りる。
そして、そこからは慎重に「トンカツ」の気配を追っていった。
やがて空気が重くなる。
どうやら目的のヤツの縄張りの中に入ったらしい。
徐々に張り詰める空気の中、私は油断なく構え、周囲を警戒しながら進んだ。
やがて、それらしい痕跡を見つける。
(割と…いや、けっこうデカいな…)
と思いつつ、私はその痕跡を追って行った。
追うことしばし。
イノシシが泥浴びをする場所、ヌタ場に出る。
私はそのヌタ場を見て、私はヤツが確実に大物だということを認識した。
そして、
(かなりデカいがライカは背負って帰れるだろうか…)
と妙なことを心配する。
すると、そんな私の考えを読んだのか、ライカが、
「ぶるる!」
とやる気のあるような声を上げ、暗に大丈夫だということを伝えてくれた。
「そうか、そうか。ありがとうな」
と言って、ライカを撫でてやる。
そして、ついでにと言ってはなんだが、コユキのことも撫でてやると、私はさっそくそのヌタ場から続く痕跡を追ってさらに森の奥を目指した。
藪を抜け林に出る。
人の手が入っていないにしては割と開けた林の中を進んで行くと、やがて、やや離れたところにあるちょっとした窪地に2メートルはあろうかという大きなイノシシがうずくまっているのが見えてきた。
(おお…なかなかの大物だな…)
と思いつつ、ライカとコユキをその場に残して静かに近づいていく。
気取られないように慎重に、しかして、素早く。
この10年で狩りにもずいぶんと慣れてきた。
(そろそろ騎士団のベテラン連中からも免許皆伝をもらえるかもしれんな…)
と心の中で冗談を言いつつ、イノシシに近づいていく。
そして、十分仕留められる間合いに入ると、そこで一気に魔力を練り上げた。
ビクンとしてイノシシがこちらに気付く。
そして、睨み合いが始まった。
私はそこで、ふっと気を緩めてわざと隙を作る。
すると、その隙を見たイノシシが、
「ブモォッ!」
と声を上げながら私に向かって突進してきた。
私もその突進に合わせて軽く駆けだす。
そして、私はイノシシとぶつかるかという刹那、ひらりと半身になってその突進をギリギリでかわした。
すれ違いざま、腰を落とし、刀を横に薙ぐ。
すると、イノシシの後脚がスパっと斬り落とされ、バランスを崩したイノシシはつんのめりそのまま木に衝突してしまった。
(ふぅ…。わりと上手くいったな)
と思いつつ、気絶しているイノシシのもとに近づいていって首元にトドメを刺す。
すると、コユキを乗せたライカがすぐに近寄って来て、
「ひひん!」(おつかれさま!)
と言いながら頬ずりをしてきた。
同じように、
「きゃん!」(おつかれさま!)
と言ってくれるコユキのことも撫でてやる。
そして、
「じゃぁ、さっそく解体して帰ろうか」
と言うとさっそくロープや剣鉈を取り出して、イノシシの解体に取り掛かった。
「きゃん!」(ハツ!)
と言って、堂々とつまみ食いの申請を出してきたコユキに、
「つまみ食いをすると、マーサに叱られるぞ?」
と言って、却下を申し渡す。
しかし結局は、
「くぅーん…」
と鳴いてしょぼくれるコユキの可愛らしさに負け、
「…ひと口だけだぞ?」
と言ってとれたてのハツを一切れ渡してしまった。
「きゃん!」(ありがとう!ルーク!)
と言って、嬉しそうにハツを食べるコユキを微笑んで見つつ、解体作業を続ける。
この10年でこういう作業もずいぶん上手になった。
もちろん、ベテランからすればまだまだなんだろうが、最初の頃に比べれば雲泥の差だ。
私はそんな自分の変化を思って苦笑いを浮かべる。
そして、てきぱきと解体を終え、肉を切り出すと、
「
服や体に着いた魔獣の血が消えていく。
私はその様子を見ながら、
「相変わらず便利なお洗濯魔法だよな…」
と、教会が神の奇跡、清浄なる魔力の源と呼んでいる神聖魔法のことを洗濯機いらずというような扱いでそう表した。
「ふぅ…」
と息を吐き、腰の辺りをトントンと叩く。
そして、さっそく切り出した肉をたんまりライカに積ませてもらうと、
「よし。帰ろうか」
と2人に声を掛けた。
大量の肉を背負い、私やコユキを乗せているにも関わらずライカは行きと変わらない速度でずんずん進んでいく。
そんなライカを頼もしく思っていると、ライカとコユキが、
「ひひん」(美味しいトンカツ作ってもらえるといいね)
「きゃん!」(うん!楽しみ!)
「ひひん」(うふふ。じゃぁ、私は帰ったらキャロットケーキをお願いしよっかな?)
「きゃん!」(あ。それも美味しそう!)
「ひひん!」(あはは。コユキ食いしん坊さんだ!)
「きゃん…」(えへへ…)
「ひひん」(うふふ。楽しみだね)
「きゃん!」(うん!早く帰りたいね)
と楽しそうにおしゃべりをし始めた。
私はそんな様子を微笑ましく思い目を細める。
そして、そんな2人を軽く撫でてやりながら、おそらく今日も台所でメイドのマーサと一緒に料理を作ったり子供らの世話をしてくれたりしているだろう最愛の人、エリーのことを思った。
(明日には帰るからな)
と心の中でつぶやく。
するとまた自然と顔がほころんだ。
緑の濃い葉を夏の陽がキラキラと照らしている。
どこかで小鳥が、「ピチチ」と鳴いた。
穏やかな風が吹く。
その風に乗って、どこかから花の香が漂ってきた。
ふと、
(エリーに花でも摘んでいってやろうか?)
と思いつく。
(いや、いくらなんでもキザだろうか?)
とも思ったが、
(感謝を伝えるのにキザもなにもないな)
と思い直し、コユキに、
「コユキ。帰りに花を摘んで帰りたいんだ。花畑の匂いがしたら教えてくれ」
と頼んだ。
「きゃん!」(わかった!)
と言って、コユキは快くその頼みを聞いてくれる。
そこにライカが、
「ぶるる」(エリーが好きなのはあの白いお花だからね)
と言葉を添えてくれた。
「ありがとう」
と2人に声を掛ける。
名も知らぬ、白く小さい地味な花。
しかし楚々とし美しい。
そんな花の姿にエリーの楚々とした美しさを重ね合わせていると、
「ぶるる」(うふふ。エリー喜んでくれるといいね)
とライカが言った。
私は少し照れつつも、
「ああ。そうだな」
と答える。
すると、コユキがさっそく、
「きゃん!」(あっち!あのお花の匂い)
と言ってその花がある方向を教えてくれた。
「よし。行こうか」
と声を掛ける。
「きゃん!」
「ひひん!」
と言って、ライカが軽く駆けだした。
夏の陽がきらめき、私たちを照らす。
そのきらめきを縫って私たちは楽しみながらも、あの温かい我が家を思い、家路を急いだ。