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みんなに謝ろう

 オコニャン伯は興奮し、顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた。

 それでも邪神の命令に逆らうことはできず、姿勢正しく整列していたのであるが、その姿はももこに恐怖心を植えつけるには十分すぎるものであった。

 ももこはここまで激昂し、声を荒げる大人の男を初めて見たかもしれない。

 親も、学校の教師も、怒ることはあった。

 しかし、ここまで威圧感を覚えたことはない。


 ももこの恐怖は、握っている手から大僧正とミモモに即座に伝わった。



「オコニャン伯……ももこ様を怖がらせるとは……許すまじ……」



 こめかみに青筋を立てた大僧正が、ももこの手を離し、オコニャン伯のもとへ向かおうとしたそのとき、ミモモが袖を掴んで引きとめた。


「大僧正、おばあが行くだ」


「いや、ここは大僧正として私が出なければ!」


「いんやいんや。ももこ様のお気持ちさ考えたら、ここは女のおばあがおさめたほうが、なんぼかええ。大僧正やテムジャが出たら、それこそ喧嘩になっちまうべ」


「いやいやいや、これ以上ミモモばあにいいところを見せられては私の立場が危うい!」



 大僧正を見据えるミモモの目つきが厳しいものになった。



「かぁっっ!」


「ぐっ……わ、分かった。ここはミモモばあに任せるとしよう」



 軽い威嚇であっさりと引き下がった大僧正を尻目に、ミモモはももこの頭を優しく撫でてからゆっくりとオコニャン伯の正面に立った。



「な、なんだババア! 私を誰だと思っているワンっっ! 誰か! 兵士はどうしたワンっ!」


「こんれはこれは、オコニャン伯様でありますかえ? この度は、ほんに無礼なことさ、しでかしてしもうて、申し訳ねえと思うとります」


「な、なにぃ? そ、それよりもなぜ体が言うことを聞かんのだワン! 貴様の仕業なのかワンっっ!!」


「へぇへぇ、そう興奮されんでも、ちゃぁんとおばあが解いてあげますだ。だけんど、それにはちょこっとお願いを聞いて欲しいと思うとりまして……」


「願い……だと?」


「へぇ、そのお願いさオコニャン伯様に聞いていただきたくって、無礼とは知りつつも──」


「もういいワン! その願いとやらを言えっ! 聞くだけなら聞いてやるからさっさとしろワン!」



 そこでミモモは後ろにいるももこと大僧正に目配せをした。

 大僧正が先導して、オコニャン伯の前にももこを連れてきた。



「なんだ……? その子供がどうしたワン!」


「へぇ、実はお願いは、この子のもんでして。怯えるといけねぇんで、オコニャン伯様、なぁるべく優しく聞いてやってくだせ」



 オコニャン伯はミモモとももこを交互に見やった。

 何やらよく分からないこの魔法のような力をミモモが解除できると言った。

 そしてそれは子供の願いを聞き届けることが条件であると言う。

 この力で兵士達が全滅した可能性もある。

 オコニャン伯は頭の中で瞬時に色々なものを天秤にかけた。


 最終的に、オコニャン伯はミモモに言われたように優しく、そして笑みを浮かべながらももこに尋ねた。



「お、お嬢さん、私に願いとは、一体どんなことなのかなぁ?」



 ももこの震えは止まっていた。

 そして一呼吸置いてから、薄紫の瞳を輝かせながら答えた。



「おじさん、今すぐキリコちゃん……天子様をここまで連れてきて。絶対傷付けたらあかんよ? 優しく連れてきて? それと……あんまりおっきい声出さんといて? キリコちゃん連れてきたらこのお屋敷の人全員連れて街の外で待ってて! 



 オコニャン伯の体がピクリと跳ねた。

 それは邪神の命令に体が反応した証拠であった。

 オコニャン伯はすぐさま走り出した。

 何かを叫ぼうとしているのか、口をパクパクさせたまま屋敷の奥へ姿を消してしまった。



 ももこの足元がふらついた。

 突然汗が噴出して眩暈がしたのだ。

 ももこの体を、大僧正とミモモがしっかりと支えてやった。



「ももこ様! ど、どうされましたか!? 体調が悪いのですか!? ま、まさか、邪神の力を使うとこうなるのですか!?」


「う、ううん……ごめんなヒラメちゃん……多分そんなんじゃないと思う……これが最後の命令やと思ったら……なんか急に力が抜けてしもうて」


「ももこ様……ほんによう頑張っただなぁ。ももこ様はほんに偉いだ……よぉしよし」


「ヒラメちゃん、ミモモおばあちゃん……ウチ、頑張れたんかなぁ……」


「ももこ様のお優しい気持ち、ヒラメは……ヒラメは感動いたしました! これからも邪神教一同、家族としてももこ様と楽しく暮らしていきたいと思ってます……」


「ももこ様は、おばあの誇りだよぉ? おばあの孫だべなぁ」



 大僧正もミモモも、優しい微笑を称えながらももこの労をねぎらってやった。

 ももこの瞳の色が、徐々に元の黒色に戻っていった。







 ももこ達の前で整列していた屋敷の人間が、オコニャン伯を先頭に次々に屋敷を出て行く。

 相変わらずオコニャン伯は声を出せないまま屋敷の外へ歩いていった。

 屋敷の人間が整列していた場所に、一人取り残されるように立っている者がいた。


 聖天騎士団の三人が駆けつけて片膝をついた。



「天子様! ご無事で何よりです!」


「天子様……申し訳ございません……我々というものがありながら……」


「ふ、ふぇ……ふぇぇぇぇぇ……て、て、天子様ぁぁぁぁぁ……」



 天子キリコは無事だった。

 ももこ達が駆けつけたのが早かったということもあったのだろうが、特に目立った外傷もなかった。

 ももこはその姿を見て、心底安堵していた。



「あなたたち……いや、お前達、大儀であった。私は無事だ。地下牢に入れられて……ずっと千里眼の力を使わされていたが他には何もされてはいないわ。それより、戻り次第オコニャン伯討伐隊を編成し──」


「キリコちゃん……」



 聞き覚えのある声に、キリコは三人から視線を切って顔を上げた。

 キリコは、三人の後ろに控えているのは聖天騎士団の率いる兵士だと思って特に気にしていなかった。

 まさかももこが助けに来てくれるとは思っていなかったし、それどころか無事を願っていたのだ。


 言葉を返せずに驚いた表情をしているキリコの元へ、涙を浮かべたももこが歩み寄ってきた。



「ももこ……ま、まさか、ももこが助けてくれたの……でも、嘘、じゃあ後ろの人たちは──」


「うん! ウチの家族っ!」



 キリコの瞳から涙が零れた。そして顔を隠し、その場に蹲ってしまった。



「キリコちゃん!? どうしたん? どっか痛いの!?」


「天子様!?」


「アレス、ここはももこに任せましょう?」


「はひ……そうですね。ももこちゃん、天子様はどっこも痛くないと思いますよ?」


「え……カノンナさん……そうなん?」


「はひ! 天子様に伺ってみてあげてください。きっとももこちゃんが来てくれて、うれ──」


「カノンナっっっ!!!!!!」


「は、はひぃーーーーーーーーーーー!!」



 キリコに怒鳴られて、カノンナは飛び上がってサーシャの後ろに隠れてしまった。

 今の怒鳴り声を聞いて、アレスもキリコの体に異常がないのだと安心した。



「キリコ……ちゃん?」


『…………ももこ』



 キリコの口から出た言葉は、日本語だった。

 周囲には聞かれたくない会話をしようとしているのだと察して、ももこも日本語を使うことにした。



『キリコちゃん、大丈夫?』


『……ごめんなさい』


『え? な、なんで謝るん?』


『ももこ、邪神の力を使って助けに来たんでしょ? オコニャンの様子がおかしいと思ってた……』


『……うん』



 キリコはももこのその答えを聞いて、息が詰まるように苦しくなってしまった。

 そして顔を上げてももこの方を真っ直ぐに見つめた。



『キリコちゃん……』



 下唇を噛み、頬が引きつり、次から次へと零れてしまう涙のせいで瞼が閉じないよう、必死になってももこを見つめていた。



『も、も、ももこぉ……ご、ごめん……ごめんなさい……わた、私のせいで、あんなに嫌がってたのに……嫌がってたのに……ももこ、邪神に……ももこ……う、うわああああぁぁぁぁんっ!』



 泣き叫ぶキリコに、聖天騎士団の三人も、邪神教徒達も驚きを隠せなかった。

 天子であるキリコが、人前で泣き出すとは誰も思っていなかった。

 ももこは、わんわんと泣いているキリコを見て、自分も泣いていることに気が付いた。

 そして、大僧正やミモモが自分にしてくれたように、キリコを優しく撫でながら胸に抱いてやった。



『大丈夫、キリコちゃん。ウチ、キリコちゃんと友達やもん。キリコちゃんのためやったらウチ、ええの』


『でもっ! でもっ! ももこぉ……』


『キリコちゃんも、みんなが幸せになるんやったら邪神の能力使ったほうがええって言うてくれたやん? それにウチにはいつも邪神教のみんながいてくれるし』


『ももこ……ももこ……ごめん……!』



 ももこはキリコが泣き止むまで、しばらくの間ずっと頭を撫で続けてやった。


 キリコがようやく落ち着いて、ぽつりぽつりと喋り始めた。

 ももこ以外には聞かれたくないのか、それは相変わらず日本語だった。



『ももこが無事でよかった……ずっと千里眼を使わされてて、ももこのことが見れなかった……』


『うん……』


『私のせいでももこが傷付いてたらどうしようって、ずっと不安だった……』


『うん……』


『本当はももこに助けに来てほしかった……』


『ウチ、来たよ……』


『私……ずっと一人だった』


『これからはウチがおるよ……』


『私、本当は最初から……ももこと……その……と、と』


『ウチら、もう友達やんか……キリコちゃん』



 ももこは抱きしめていた腕を解いて優しくキリコの頬に手を添えて、再び見詰め合った。



『あはは、キリコちゃん。おめめ、ぷりぷりに腫れてる』


『ももこだって……』


『遅くなってごめんな、キリコちゃん。怖かったやんな?』


『うん……でも、ももこも怖かったでしょ……?』


『えへへ』



 ももこはキリコの手を引いて二人で立ち上がった。

 驚いた表情のままの聖天騎士団の三人と、微笑ましいものを見るような表情の邪神教徒達が二人を待っていてくれた。

 ももこは、キリコのほうへ向き直った。



『キリコちゃん、ウチ、キリコちゃんを助けにきたけど、怒りにも来てんで?』


『え……怒りに……? あ……うん。みんなの家族のこと……ね?』



 ももこは静かに見守っている邪神教徒達に目配せをしながらキリコに質問を重ねた。



『そう! キリコちゃん、もう一回教えてほしいんやけどね、みんなの家族ってなんで連れて行ったんやっけ? ほんまに無事なんやんな?』


『ええ……もちろんよ。あのね……前にも言ったけど、もしかしたら隣のバウワン王国と戦争になるかもしれないの……それで、それに備えて、色々資源を蓄えたり、食糧を用意したり……人手が足りなかったの……でも、この国にはオコニャンみたいなスパイがたくさんいて、表立って行動できなかったの……みんなの家族はもちろん無事よ……働いてもらってるけど、酷いことはしてないわ……』


『そしたらキリコちゃん、それ、みんなに言うて謝ろう? ウチも一緒に謝るし。そんでみんなに家族と会わせてあげて? な?』



 キリコは黙り込んでしまった。

 俯き、再び涙が零れてきた。



『キリコちゃん?』


『ごめんなさい……私……何て言っていいのか……もちろん、家族に会わせてあげることはできるわ……そうする。でも、今私が言ったこと、みんなには、国民には関係のないことだもの……天帝であるお父様も、もちろん私も、それに権力のある大人はみんな、わがままばかりでみんなを苦しめてきたの……戦争になるかもしれない今だって、真剣に動こうとしない。何とかしなきゃって思いついて国民に働いてもらってるけど、私はみんなから見たらただの人攫いだもの……謝っても許してくれない……絶対に……』


『キリコちゃん……でもな、ウチ、許してもらえへんかったとしても、謝らなあかんと思う!』



 ももこは珍しく厳しい口調でキリコに言い放った。



『ウチ、戦争とかよく分からんけど……それでもみんなにちゃんと事情を説明したらみんな分かってくれると思うから!』


『……ももこを呼んだのだって……友達になりたかったのと……それとももこの能力で戦争をせずに済むかもしれないって思ったからよ……』


『うん! キリコちゃんがそう望むなら、ウチも一緒に考える! ウチ、キリコちゃんのためにも、邪神教のみんなのためにも頑張る! ウチ、もう邪神やもん!』


『ももこ……』


『まずはみんなに謝って、それでみんなにお願いしよ?』


『で、でも、ももこ……私……私は』



 震えるキリコの手を、ももこが強く握り締める。

 キリコは怖かった。

 謝っても許されない。

 また暴力を振るわれて、殺されてしまうかもしれない。

 キリコは何よりも大人が怖かった。

 大人をどうしても信用出来なかった。

 キリコは手の震えが止められなかった。



『また……また、殺されちゃうかもしれない……謝れば、謝っただけ殴ら……れる……』



 日本に生きていたとき、キリコが酷い目にあって殺されてこちらにやってきたことを、ももこは思い出した。

 当時の記憶がフラッシュバックしているのか、キリコの呼吸が浅く、速くなっていた。


 キリコの顔を覗き込むももこの瞳の色が、強く薄紫に輝いた。



『キリコちゃん、キリコちゃんやみんなのためにウチは邪神になったよ。大丈夫、ウチが隣におるから。キリコちゃんのこと、傷付けるような人がおったら、ウチがこの力で守ってあげる。……友達やもん!!!!』



 キリコはももこの言葉を聞いて、自分を見つめる真っ直ぐな瞳の奥を覗いて、何かが変わったような気がした。

 自分ではどうすることもできなかった、心の奥の何かが溶けていくような。

 そして、ももこになら甘えられるし、ももこの言葉に従ってみようと思えたのだ。


 キリコはももこの言葉に小さく頷いた。

 早まる鼓動も、流れる汗も、震える体も我慢して、邪神教徒達の方に顔を向けた。



「み……皆の者……あ、いえ、み、みなさん……ご存知かと思いますが……私はキリコと申します。この国で、その……天子をしています」


「天子様、一体何を……」


「しっ! アレス!」



 邪神教徒達はキリコの言葉を黙って聞いていた。



「その……私は……み、みなさんに……その、謝らなければいけません!」



 キリコの手を握る、ももこの力が更に強くなった。



「えっと、その……あの………………ごめんなさいっっっっっ!!!!!!!!」



 勢いよく、キリコは邪神教徒達に向かって深く頭を下げた。



「私は、今この場でみなさんに殺されてもおかしくない程のことをしてしまいました!! ごめんなさいっ! もう二度と同じ過ちは犯しません! ……でも、みなさんのご家族は無事です! すぐにでも会えます! それだけはお約束します! 本当に……本当に……ごめんなさいっっっっ!」



 床にキリコの涙が落ちる。

 いたたまれなくなったももこも一緒になって頭を下げていた。


 キリコの謝罪を最後に静寂がその場に訪れた。

 邪神教徒がどんな表情で自分を見ているのか、頭を下げて床を見つめるキリコには分からなかった。

 その静寂はキリコにとって、実際よりもとても長く感じられていた。


 静まり返ったその場で靴音が響いた。

 誰かがキリコのほうへ歩いてくる。

 やっぱり、また殴られるかもしれない。突き飛ばされて踏みつけられるかもしれない。

 今まで受けてきた仕打ちがキリコの脳内を過ぎった。

 キリコは死刑執行を待つような感覚に襲われていた。

 でも今はももこが隣にいてくれる。その思いでなんとか耐えていたのだった。



「面を上げられよ。天子キリコ」



 キリコの肩に手を置いて、優しく話しかけてきたのは大僧正であった。



「キリコ殿の謝罪、邪神教徒一同、受け取りました。もう一度聞くがみなの家族は無事なのだね? そして、二度としないという言葉、約束できるかね?」


「……は、はい! 無事です。千里眼で分かります……二度としないと約束します! そ、それとみなさんのご家族を攫った理由ですけど……」


「うんにゃ、もうええ。もうさっき聞いたからの。キリコちゃんや、もうええんだよぉ?」



 ミモモは優しい笑みを浮かべながら、キリコの頭を撫でてやった。



「ミモモおばあちゃん!」



 ももこは、ミモモに抱きついた。

 自分の友達の謝罪を受け入れ、許してくれた大僧正とミモモに、甘えたくなってしまったのだ。



「そうですな、ミモモばあ。隣国と戦争とは……話を聞く限り、恐らくキリコ殿は一人で頑張られていたのであろうな」



 大僧正とミモモの言葉に、許しが得られた安堵の気持ちもあったが、キリコは自分が説明もしていないことを知っていたかのように喋る二人を不思議に思った。



「え、ちょ、隣国と戦争って私、一言も言ってませんけど……」


「えーっと…………」


「ど、どうしたのよ、ももこ」



 ももこは視線を彷徨わせて、キリコに言うべきかどうか少し考えた後、申し訳なさそうに答えた。



「えへへ……あ、あんな、キリコちゃん……邪神教のみんな……日本語分かるねん……えへへ」


「………………え」



 キリコの顔が、見る見る赤くなっていく。



「えーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」



 こうしてももこ率いる邪神教徒達によるキリコ救出作戦は無事成功したのであった。

 これを機に、世間に邪神教の存在が広く知れ渡ることとなるのだった。

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