商業都市ミャーミャの中心にはこの地方を治める伯爵の豪邸が建っていた。
伯爵の名を、オコオコ・プンプン・ニャン三世という。
オコオコ・プンプン・ニャン三世は天帝よりこの地の統治を任され、商業都市を建設し、ポポニャン神聖国に莫大な利益をもたらした男であった。
名前の最後にある「ニャン」とは、ポポニャン神聖国に多大な功績をもたらした者に与えられる称号である。
オコオコ・プンプン・ニャン三世は、周囲の者から敬意を込めてオコニャン伯と呼ばれていた。
ポポニャン神聖国内で、英雄的な存在であるオコニャン伯であったが、黒い噂も絶えなかった。
その噂の一つとして、現在ポポニャン神聖国と戦争になりかけている隣の国、バウワン王国と通じているのではないかというものがある。
ポポニャン神聖国とバウワン王国は昔から争いが絶えず、仲が悪かった。
現在、何度目になるか分からない交戦状態に突入しようとしている、非常に不安定な状態である。
当然、ポポニャン神聖国はオコニャン伯の噂の真偽を調べていた。
しかし、調べても調べても噂以上のものは出てこなかった。
それこそ、キリコが千里眼を使って調べていればすぐにでも分かったかもしれない。
だが天子キリコが商業都市ミャーミャに来ていたのは単にももこと会う為であった。
そしてそれが災いとなってしまった。
ももこと別れたキリコがミースルに連れてこられたのは、オコニャン伯の屋敷内にある私室であった。
「オコニャン伯……そなた、自分が何をしているのか分かっているのか?」
「これはこれは天子様。もちろん分かっておりますともニャン」
キリコは天子として、公務時の喋り方で努めて冷静に問いただした。
それに対してオコニャン伯はニマニマとした笑みを浮かべている。
ミースルに拉致され、乱暴にこの部屋に放り込まれ、キリコの背後には武装した兵士が四人、剣を抜き放った状態で待機している。
それでもキリコは相手を睨みながら続けた。
「これはポポニャンに対する重大な反逆である。オコニャン伯よ、無事で済むと思うな?」
「反逆……ほっほ。それは怖いですなぁ。天子様こそ、ご自分の立場をご理解召されているのですかニャン?」
ガチャっとわざとらしい音を立てて、背後の兵士が剣を構えなおした。
「……何が目的か?」
「ほっほっほ。それは天子様がお考えになられている通りかと……天子様の千里眼さえあれば、敵の情報も、味方の情報も全てが我が手中に……これからは我らの道具として働いてもらいますワン」
「……ワン?」
「おっと……ついつい。ほっほっほ」
「……貴様の味方とは誰のことか……やはりバウワン王国と繋がっていたのか。我が国の情報をバウワン王国に流していたな?」
「情報? ほほっ。それだけなら良かったのでしょうな。ここがどこで、私がどのような仕事をしているか考えれば分かりそうなこと」
キリコの顔色は、その言葉を聞いた瞬間にみるみる青くなっていった。
オコニャン伯はポポニャン神聖国の商業の中心であるこの街を治めている。相当の資金がバウワン王国へ流れていると見ていい。
そして青かった顔色は怒りで次第に赤くなっていく。
国民を犠牲にしてまで、戦争回避のためにやってきた色々なことが踏みにじられたのだ。
「き、貴様っっ!」
「天帝も天子も、その権力に胡坐をかいて贅沢三昧。我がバウワン王国に一矢報いようと罪のない国民を捕らえ各地で強制労働。それでは裏切られて当然だワン」
「……くっ」
キリコは言い返すことが出来なかった。
オコニャン伯の言うことは間違っていなかったからだ。
実際に各地で反乱の兆しもあったほどだ。
しかし、天帝もその側近もことごとく無能で当てにはできなかった。
オコニャン伯も含めバウワン王国へ通じている人間がいるかもしれないという情報もあり、キリコには強制労働を国民に強いて戦争の準備を整えるという形以外に手段が思いつかなかったのだった。
「地下牢へ連れて行け。千里眼の力、我がバウワン王国が正しく運用してやるワン」
こうしてキリコは兵士に手錠をかけられ、屋敷の地下へ幽閉されてしまったのだった。
「ももこ様、ミャーミャが見えてまいりました!」
首から拡声器をぶら下げ、右手を大僧正、左手をミモモと繋ぎながらももこは再びミャーミャに戻ってきた。
ももこを先導するのは護衛役のテムジャで、ももこの後ろには邪神教徒達が列を成してついてきていた。
ミャーミャからも邪神教徒達が見えていた。
白装束を身に纏った奇妙な行列が街を目掛けて歩いてきているのだ。
行列は即座に発見され町中が騒然となっていた。
「へへ、いいのかよ、ヒラムェチャルのおっさんよ。邪神教は世間には秘密じゃなかったのかよ?」
テムジャが振り向きながら大僧正に尋ねた。
「我らはももこ様の行かれる道についていき、お守りするのみよ。ももこ様が正面から天子を迎えに行くといえば従うまで。秘密などばれても構わんわ」
「ほうじゃの。おばぁはいつでもどんなときでも、ももこ様のおそばにおるでな。ももこ様は安心して自分の正しいと思ったことをすりゃええべ」
「うん! ヒラメちゃん、ミモモおばあちゃん、ほんまにありがとうなぁ!」
「まぁ、俺も正面突破には賛成だぜ。ももこ、俺様が守ってやるから安心しな」
「てっちゃんもありがとうね!」
「おう!」
平和な会話をしているうちに、どんどんミャーミャが近づいてきた。
突然森から謎の集団が現れたと、騒いでいるのがももこの耳にまで入ってきた。
そして先導していたテムジャが立ち止まり、大僧正がももこの前に立った。
ミャーミャから、三人の人影がこちらの方へ走ってくるのが見えたのだ。
そのうちの一人は大きな声を上げて手を振りながら走っている。
「ももこ~!」
「あ、ヒラメちゃん、ちょっとごめん! この声、サーシャ姉ちゃんや!」
「おっと、ももこ。俺よりも前に出るんじゃねぇぞ? しばらくは大人しく守られててくれや」
ミャーミャからやって来たのはアレスとサーシャとカノンナであった。
テムジャは三人を値踏みするように睨みを利かせていた。
「なんだてめぇら? うちの邪神様に何か用か?」
「お前に話すことは何もない。ももこを出してくれ」
「アレス!! バカ!!」
敵対心をむき出しにしてテムジャに食って掛かったアレスの後頭部を、サーシャが鉄製の鞘で殴打する。
かなりの勢いであり、騎士であるアレスも予想できない背後からの不意打ちであった。
アレスは目を回してその場にうつ伏せになって倒れてしまった。
そしてサーシャとカノンナはアレスを無視して即座に片膝を付いた。
「も、申し訳ありません。無礼な物言い、ご容赦ください……」
「なんだってんだ? 喧嘩しに来たんじゃねぇのか? てめぇら、聖天騎士団の人間じゃねぇのかよ?」
「待って待って、てっちゃん! サーシャ姉ちゃん達は悪い人ちゃうの!」
「ももこ……ありがとう。でも少し待って」
サーシャは必死になって自分達をかばおうとしているももこを見て救われる気持ちになった。
しかしそんなももこを制してサーシャは続けた。
「ももこ、私達はあなたとお話をする前に、邪神教の皆さんに筋を通さなければならないの。そうじゃないと、あなたと話す資格がないと私は思うの」
「サーシャ姉ちゃん……」
その言葉を聞いて、テムジャが大僧正のほうへ視線をやった。
そういうことならと、大僧正が静かにサーシャの前へ出てきた。
「聞こう」
「ありがとうございます。アレスのことは……申し訳ありません。実は天子様が誘拐されて、気が動転していたようです」
「それで?」
「もしやとは思いますが、あなた方は天子様をお救いに向かわれる途中ではありませんか?」
「そうだと言ったら?」
「…………お願いしたいことがあるのですが、まずはその前に聞いていただきたい──」
そう言うと、サーシャとカノンナは立ち上がった。
そして大僧正ら邪神教徒を真っ直ぐに見据え、一呼吸置いてから頭を下げた。
サーシャは邪神教徒全員に聞こえるよう、声を張り上げた。
「ももこを……邪神を誘拐したこと、申し訳ありませんでした! そして故意ではなかったとはいえ、こちらの不手際で危険な目にもあわせてしまいました。言葉だけの謝罪など、なんの意味もないかもしれません……しかし、まずは謝罪をさせてください!」
さらにカノンナもサーシャに続いた。
「皆さんが天子様に……よい感情を持たれていないことは分かっています。ももこちゃんのこともそうでしょうが、ご家族のことも……お願いします。天子様に直訴いたします……ですから……」
「我々も同行させてください!」
二人の悲痛な訴えに、返事をする者は誰もいなかった。
むしが良すぎると、邪神教徒達は考えていた。
しかし、ももこなら二つ返事で了承するであろうとも考えていたため、誰も言葉を発しなかったのだ。
その空気を察して、ため息混じりに大僧正が二人に語りかけた。
「お二人とも、面を上げられよ」
大僧正のその言葉を聞いても、二人とも頭を上げようとはしない。
「我らは邪神教信者。我々の意思は常にももこ様と共にある。ももこ様のお考えが我らの考えである」
それだけ言うと大僧正は振り返ってももこの方へ視線をやった。
そしてようやく発言を許可されたのだと、ももこがサーシャ達の前までやってきた。
「サーシャ姉ちゃん、カノンナさん……ウチ……ね、邪神教のみんなの気持ちを優先したいと思うん。ウチがうんって言うたら、多分みんなもそれに従ってくれると思う。でも、ウチ、邪神になるって決めたけど、それでも人の意思を無理矢理変えることはあかんと思ってるん。ウチ、できるだけしたくないもん」
「ももこ……」
ももこの言葉でようやく顔を上げだサーシャはうっすら涙目になっていた。
「ウチ、キリコちゃんを助けたい。それでみんなの家族のことで怒ろうって思ってる! その、友達やから……みんな怒ってるから。ウチ、みんなのその気持ち無視して、勝手にうんって言えへんの……ごめんね、サーシャ姉ちゃん」
「いいえ、ももこ……立派よ。ももこの言う通り。天子様はそれだけのことをしてるのですもの……」
「ヒラメちゃん」
「はい、ももこ様」
ももこの呼びかけに、大僧正は恭しく跪いた。
その肩は震えていた。
「ヒラメちゃんが邪神教のみんなを代表して決めて? みんなを無視してウチが決められへんもん。ウチ、みんなの言うことに従いたい!」
「あっつ!」
大僧正は、邪神教の全員の気持ちに配慮しているももこの神々しい姿に目を焼かれていた。
激しく光って見える後光が大僧正の目を刺す。
ももこは邪神であるが、極普通の子供なのだ。
普通の子供なら何も考えずに二つ返事をしても良さそうな場面で、一呼吸置き、自分よりも邪神教徒の気持ちを優先させたのだ。
大僧正を始めとする邪神教徒達にとって、ももこのその姿が神々しくないはずがなかった。
大僧正は焼かれた目の視力が下がり続けているのを感じながら、立ち上がりサーシャ達の方へ向き直った。
「ももこ様、有難きお言葉……では大僧正たる私が皆を代表して意見を述べるが、皆はそれでいいか?」
邪神教徒達は一様に頷いた。
大僧正のことを皆が信用している証であった。
「サーシャ殿、カノンナ殿、お気持ちは分かった。しかし事実は事実。我々は家族の無事の確認と、謝罪の言葉と、そして二度と同じ過ちを繰り返さないという約束を天子や天帝本人の口から聞くまで許す気にはなりません。そしてこの国をどうしたいのか、一国民としてそれを聞きたい」
「…………ごもっともです」
「…………はい」
「しかし、我等の代わりに、我等の信仰の象徴たるももこ様が話をつけてくださる。全てはももこ様のお心のままに。お二人が邪神教に入信すると言うのであれば、同行を認めよう」
「そ、それは……!」
「はひっ! 私、邪神教に入信します!」
「え、カノンナ!?」
カノンナの返事は早かった。
さすがのサーシャも戸惑う条件であったが、カノンナに迷いは一切なかった。
「私、天子様をお救いできるなら何でもしますっ! それに……ももこちゃんが邪神なら、私、信者になってもいいです」
「カノンナ……」
「よろしい。サーシャ殿はどうされるのか?」
サーシャとて聖天騎士団の一員で、天子キリコを救いたい気持ちはカノンナと同じである。
ももこが悩むサーシャを見て心配そうにしている。
サーシャは気絶しているアレスの後頭部を掴んで大僧正に返事をした。
「私も、私も邪神教に入信します! 気絶してるアレスも一緒に! 天子様を救いたい。それに私もアレスも、ももこのことが好きだから!」
その言葉を聞いて、大僧正は笑みをたたえながら力強く頷いた。
「なかなか将来有望な入信動機だ。よろしい、では三人とも同行を認めようじゃないか」
「やった! ヒラメちゃん、ありがとうなぁ!」
「いえ、全てはももこ様のお心のままに……」
こうして天子キリコを救わんとする邪神教徒達に、新たに聖天騎士団の三人が加わったのだった。