気が付けば、ももこは夕暮れが迫る森の中でテムジャに肩車をされていた。
邪神教本部の近くの森の中である。もうしばらくすれば屋敷に帰れる位置にいた。
テムジャに抱えられながら大僧正らと合流し、涙を流す信者達にもみくちゃにされたことは覚えている。
その後、ミャーミャの街を出て、待機していた邪神教徒達とも合流し、更にもみくちゃにされた。
それが嬉しくないわけではなかったのだが、ももこははっきりと覚えていなかった。
脳裏に、キリコの泣き顔が焼き付いて離れなかった。
だから助かったことを素直に喜ぶ気持ちにどうしてもなれなかったのだ。
救出劇から今までの出来事が全てぼやけてしまう程、ももこは深く傷ついていた。
キリコを救えなかった。
自分だけが助かってしまった。
もっとお話がしたかった。
今ももこが考えていることは、キリコのことだけであった。
「なんだ、ももこ……元気がねぇじゃねぇか。せっかく俺が助けてやったってのによぉ」
「テムジャの小僧、今回の功績は認めてやる……だが、ももこ様に失礼な態度を取ることは許さんぞ?」
「あん? なんだよ、ヒラムェチャルのおっさん。俺はももこの友達だがな、邪神教徒でもなんでもねぇんだぞ? それにおっさんは心配じゃねぇのか?」
ももこを救出した後もテムジャは邪神教徒達についてきていた。
テムジャは邪神教徒本部の場所も知っているので、今更秘密にするものもない。そして何よりも護衛を兼ねていたのだ。邪神教徒達からテムジャ同行に反発する声は挙がらなかった。
「……心配に決まっておる」
「んだよ……じゃあなんで元気がねぇのか聞きゃいいじゃねぇか……いい歳こいてるくせによぉ」
「やかましいわ! それにお前なんぞ邪神教に入れるわけがなかろうが!」
「ケッ! そんなもんこっちから願い下げだぜ。めんどくせぇ」
ももこは邪神教徒の為に屋敷を出て行ったのだ。
それを、流れでこうなったとはいえ、ももこの意思を確認することなく無理矢理連れ去ってきてしまったのだ。
大僧正や他の邪神教徒達は、元気のないももこに、うまく喋りかけることができずにいた。
こんなとき、ミモモがいてくれたらと誰もが思っていたし、大僧正は密かにミモモに対して嫉妬の炎を燃やしていた。
「大僧正! 屋敷が見えました!」
そうこうしているうちに、邪神教本部の屋敷が見えてきた。
先に走らせた連絡係のおかげで、邪神教徒全員が屋敷の前に揃っていた。
もちろん、ももこを迎えるためである。
先頭にはミモモの姿があった。
「ももこ様、ほら、ミモモばぁですぞ! みんなももこ様のお帰りをお待ちしておったのです!」
大僧正が話しかけても、ももこの表情は一向に優れない。
そして、ミモモたちが居ても立っても居られずに、ももこの元へと駆け寄ってきた。
「ももこ様ぁ! おばぁのせいで辛い目に合わせてしもうて……堪忍してけろ……ごめんなぁ、ももこ様ぁ……」
「…………」
「あんれ……ももこ様……」
邪神教徒達がももこを取り囲んでいる。誰もが沈んだ顔のももこの心配をし、オロオロとしている。
そうしてしばらくしてから、ももこはひゅっと息を吸い込んでから顔を上げた。
その表情は、落ち込んだものではなかった。
「……みんな……心配かけてごめんな……」
「ももこ様……!」
「心配しました! ですがお気になさらないでください!」
「そうです、ももこ様ぁー!」
「……それでな、お屋敷に入る前に聞いてほしいことがあるの……お屋敷に入ってしもたら……ほら、ウチの能力でまたみんながおかしなるかもしれんやん? だからその前に聞いて……」
シンと静まり返った。
聞いてほしいというももこの言葉を聞き漏らすわけにはいかない。
誰もがももこの次の句を静かに待った。
「ウチ、助けたい人がおるん……だからミャーミャに戻ろうと思う……」
その言葉を受けて、ももこを肩車していたテムジャがため息交じりに呟くように言った。
「……天子か?」
「…………うん」
それまで静かに聞いていた邪神教徒であったが、さすがにざわつき始めた。
それも当然で、天子キリコに恨みを持つ者も少なくないからだ。
「みな、静まりなさい。……まだももこ様のお言葉は終わっておらん! 最後まで聞きなさい!」
「ヒラメちゃん……ありがとうな……あんな、ウチ、うまいこと言えへんねんけどな、キリコちゃん……天子様の名前なんやけどな、めっちゃ苦しんでた……ウチには分からんけど、酷い目にたくさんあって、めっちゃ可哀想やった……」
「…………」
信者達はなおも黙ってももこの話を聞いていた。
真剣に耳を傾けていた。
「ウチ、みんなの話も聞いてたからもっと酷い人かと思ってたけど……でもキリコちゃん、そんなことする人にはどうしても思えんくてウチ聞いてみたん……そしたら、みんなの家族無事やって言ってた。国の為に働いてもらってるけど酷いことしてないって! それも悪く思ってるって……そう言ってたん! ウチ、それを信じたい……」
「……んで? ももこはどうしてぇんだよ」
「テムジャの小僧! 黙って聞いておれ!」
「ウチ……邪神になるっっ!」
「……!」
「ももこ様……!」
「ウチ、キリコちゃんと友達になりたい! それで、みんなの家族を返してくれるように頼んでみる。キリコちゃん、ほんまはめっちゃ優しいから大丈夫……ウチ、自分のことよりウチを大事に思ってくれたキリコちゃんを助けたい! そのためやったらウチ、みんなの為やったらウチ、邪神になってもいいっっっっ!!!!」
「も、ももこ……様……!」
興奮したももこの瞳が薄紫色に輝いていた。
それは紛れもなく、邪神の証であった。
「ヒラメちゃん……ミモモおばあちゃん……てっちゃん……白装束のみんな……ウチに力を貸してください!!」
ももこの声が森に響き渡った。
誰も声をあげようとしない。
柔らかな風が吹いた。
日が傾き、森の木々の隙間から夕日が差し込んでももこを照らす。
ももこは、涙を零した。
「みんな……ありがとうなぁ……」
ももこを取り囲む邪神教徒全員が、その場に片膝をつき、頭を垂れていた。
「「「「「ももこ様のお心のままに!!!!!!」」」」」
「ももこ様、我々はいつでも、どんなときでも、ももこ様のおそばに控えております! 力を貸すなど当然のことです!」
「あはは、ヒラメちゃん、涙と鼻水でぐじゅぐじゅやんかぁ」
「ももこ様もぉ、あんれぇ、さっきまでは沈んどると思ったのにぃ」
「ミモモおばあちゃん……ウチ、キリコちゃんに怒ってくるな! ミモモおばあちゃんの家族、絶対に返してもらうからな! そんでキリコちゃんに謝ってもらうねん! だから……」
「分かってるともぉ……ももこ様、今度はおばぁも一緒についていくべぇ」
「みんな……みんな、ありがとう……ほんまにありがとうな……! ウチ、みんなの為やったらなんでもする! 絶対みんなの家族取り返してくる……ウチの友達も、絶対死なさへん……!」
「ももこ様! ももこ様ぁ!」
「我々がついております!」
テムジャを除く全員が涙に濡れていた。
ももこの決心を聞いて、心を動かされない者などその場にはいなかった。
夕日に包まれながら、邪神教徒は再び心を一つにしていたのだった。
すべてはももこのために。
そしてももこはみんなのために。
テムジャの肩車でみんなを見下ろしていた、ももこの視線が下がった。
テムジャがももこを地面に降ろしたのだ。
「わーーーーーーーーはっはっは! ももこ、さすが俺様の友達だな! よし、これからも俺が守ってやる。おいヒラムェチャルのおっさんよ、気が変わったぜ! 俺様も邪神教に入ってやる」
「ふん、お断りだ」
「いいよな? ももこ」
「えへへ、ヒラメちゃんと仲良うできるんやったらええで」
涙を拭いながら、ももこは確信を持っていた。
自分一人の力では何もできないかもしれないが、邪神教徒全員が力を貸してくれるのであれば、できないことなどないのだと。