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大事な人を取り返そう

 御者台から降りたミースルを確認し、テムジャは路面に突き刺した大剣を乱暴に抜き放った。

 ミースルは腰から下げた細剣を抜いて殺気を放った。



「天子ちゃんのお友達かしらん? ごめんなさいねぇ、アタシ今、お仕事中で急いでるのよぉ」


「俺は別に天子の友達じゃねぇから、天子はそのまま連れて行きゃいいんじゃねぇか? 俺の友達はももこだ」


「へぇ……正直な男子ね」


「うるせぇよ。考えるのが面倒なだけだ。ももこを解放する気がねぇならさっさとかかって来い。俺もそのほうが分かりやすくていいぜ」



 馬車の中から二人の様子を伺っていたももこの目には、ミースルの巨体が突然消えたように見えた。

 ミースルとテムジャの間には、五メートルほどの距離があったにもかかわらず、ももこが気付いたときにはミースルの鋭い突きがテムジャの喉元を目掛けて放たれた後だった。

 剣と剣がぶつかり合う甲高い音が遅れて鳴った。

 風のような速度で放たれた突きを、テムジャは大剣をもって正確に受け止めていた。


 初撃が弾かれたと見るや否や、ミースルはその場でステップを踏み、巨体を回転させながらなぎ払いを繰り出す。

 テムジャの胴を薙ごうと放たれた二撃目も剣戟の音と共に易々と大剣で弾かれる。

 弾かれた勢いを利用してステップを踏んで逆回転。更に三撃目はテムジャの死角でもある、真下から突き上げるような斬撃を放つ。



「クルクルと器用な野郎だな……っと!」



 テムジャはそれを最小限の動きでかわしてみせた。



「アタシの武道は螺旋が基本……っよ!」



 テムジャにかわされて空を彷徨っていた刀を切り返し、そのまま振り下ろす。斬撃は瞬時に袈裟切りに切り替わってテムジャに襲い掛かった。

 しかし一際大きな剣戟音を響かせて、双方の動きがようやく停止した。

 テムジャが大剣の柄で、袈裟切りを受け止めていた。



「剣筋を見もせずに受け止めるなんて……やるじゃない……必殺の一撃だったのに。ちょっとばかり悔しいわん」


「とろすぎて欠伸が出るぜ。いいからさっさとももこを返しな」



 テムジャから発せられた殺気を感じ取り、ミースルは身を翻しながら一足飛びに大きく後退し、テムジャの間合いから脱出を図った。



「あなた……傭兵のテムジャね? 聞きしに勝る……と言いたいところだけど、欠伸が出る割に攻撃はしてこないのね」


「お前は暗殺者のミースルか? 聞いたほどじゃねぇな」


「ふふ……それはご挨拶ね。……で・も! 防いでるだけじゃ勝てないわよん?」



 テムジャには余裕があった。

 それほどまでにテムジャの武は優れている。

 だが、ミースルの言うように一向に攻撃しようとするそぶりを一切見せない。

 今も大剣を構えることなく、肩に預けているだけであった。



「ももこが嫌がるんだとよ。傷付くのも傷付けるのも。お前、運が良かったな! 俺様と対峙して命が助かるんだからよぉ」



 酒場で大僧正ら邪神教徒達を待っていた協力者とは、他でもないテムジャであった。

 大僧正から事情を聞き、ももこを助けるために酒場を飛び出したのだ。

 もちろんテムジャに続いて大僧正らも出てきているが、基礎体力の違うテムジャが先に現場に辿り着き、馬車を発見した上で先回りしたのだった。

 酒場を出る際に、テムジャは大僧正から口酸っぱく言い聞かされていた。


 他でもない、ももこの為に、誰かを傷付けることは許されないし、自身が傷付くことも許されない。


 そしてテムジャ自身、ももこと約束したのだ。



「もう終わりか? しっかりしろや! こっちは稽古をつけてやってんだぜ? 俺はもう誰とも喧嘩するつもりはねぇからな。わーーーはっはっは!」


「…………ちっ」



 もう喧嘩をしない。それがももことの約束である。しかしその事情を知らないミースルにとってはプライドを傷付けるに十分な言葉であった。ましてや、稽古をつけてやるなどと、格下に見るにも程がある。

 ミースルは奥歯を噛み締め、再びテムジャとの間合いを詰めた。



「……えっ!?」



 ミースルが得意とする間合いの外からの鋭い刺突が、空を切る。

 直前までテムジャの姿を捉えていたはずなのに、いつの間にか姿を見失ってしまった。

 目の前にいたはずなのに──そう考えた瞬間、ミースルに影が落ちた。

 テムジャは地面に刺した大剣を跳び箱のように利用して空中にいた。

 ミースルの刺突が届いた頃には、刺した大剣ごと高く飛んでいたのだ。



「おーい、ももこ!! 前の席から動くなよ!」



 テムジャはミースルを飛び越え、馬車の方へ走り出した。

 遅れて気付いたミースルが体勢を切り返しテムジャを追い始める。



「さ、させないわ!」


「ぬぅぅぅおらああああ!!!!」



 テムジャは馬車の真横を通り抜けるように走り、そして持っていた大剣を掬い上げるように振り上げた。

 テムジャの豪腕によって繰り出された剣閃は馬車の後部座席を後部車輪ごと綺麗に切り飛ばす。木片が飛び散り、後部車輪を失った馬車が傾く。客席がむき出しになり、馬車が傾いた衝撃でももことキリコが飛び出してきた。

 テムジャはそれを見逃さない。

 すぐさまももこの首根っこを掴み、脇に抱えるように抱き上げ、急いで馬車から距離を取った。

 テムジャがももこを抱き上げた場所にミースルの剣が振り下ろされた。



「ちっ!」


「あぶねぇあぶねぇ。ももこは返してもらうぜ」


「キ、キリコちゃん!」


「ももこ……! 逃げて!」



 テムジャは当然、ももこしか助けていない。

 キリコは地面に倒れたまま、今は駆け付けたミースルの後ろにいた。



「天子はてめぇの好きにしろや。俺様はももこを取り返せりゃなんでもいい」


「……その子、何者なの?」


「はん、ただの友達だっつってんだろ」


「キリコちゃん! てっちゃん、キリコちゃんも助けて!」


「ももこ……ももこっ!」


「キリ……? なんだ? 天子のことか? そんな余裕ねぇよ。ヒラムェチャルのおっさんが泣きながら待ってるぜ?」



 ミースルは動かなかった。いや、動けなかったと言うべきかもしれない。

 テムジャとの実力の差を思い知らされたことも一つ、そしてそもそもの目的である天子キリコは未だに手中にあったためである。



「おいミースル。追いかけてくるんじゃねぇぞ。追いかけてきやがったら……その時はどうなっても知らねぇぜ?」


「……やめておくわん」


「や、やだ……キリコちゃん! キリコちゃん!」


「ももこ、喋るんじゃねぇ。舌噛むぞ。それじゃあな! アバヨ!」


「キリコちゃん! キリコちゃーーーーーーーーんっっっ!」



 ももこは見た。

 ものすごい速度で遠ざかっていくキリコの泣き顔と、ももこに向けて微かに動いた唇が、確かに言ったのだ。



「たす……けて……」



 こうして邪神教は無事、ももこを取り戻したのであった。

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