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キリコちゃんとお話しよう

 ももことキリコはそれぞれミースルに荒縄で体を縛られてしまった。

 幼い少女二人が、大人に抵抗などできるはずもない。

 そして、命じられるままにミースルに先行して一階への階段を静かに降りた。



「アレス兄ちゃん! サーシャ姉ちゃん!」



 階段を降りた先にはアレスとサーシャが倒れていた。

 ももこはそれを見た瞬間に叫び駆け寄った。

 奥の部屋でカノンナや黒装束が倒れているのを見てキリコも歯噛みしていた。



「だーめーよ、ももこ。ほら立って? 今は急いでここをでなくっちゃん」


「で、でも……!」


「さっきも言ったとおり、眠ってるだけで命に別状はないわん。でーもー、ももこや天子ちゃんが言うこと聞かないなら……」



 ミースルの顔に影が差す。

 スッと、瞳の温度が冷たくなった。



「ふふ、言わなくても分かるわよねん? さぁ、立ちなさぁい」



 ミースルの瞳に背筋が寒くなったももこは、無言で立ち上がった。

 いくらももこでもここまでされて、何が起こっているか理解できないわけではない。



「ふふ、いい子ね。外に馬車が用意してあるの。それに乗ってもらうわん。あ、ダメよ、天子ちゃん。外にいる護衛部隊が助けてくれるだなんて思っちゃ……アタシがここに潜入していること、賢い天子ちゃんならその意味が理解できるでしょう?」


「…………」



 カノンナに普段から注意されていたように、千里眼の力を使って周囲の警戒をしていればこのような事態は防げた。

 しかし後悔してももう遅い。

 ももことキリコはそのまま馬車へと押し込まれてしまったのだった。









 馬車は一般的な商人や旅人が使うような布張りの馬車ではなく、身分の高い者が使う豪華な造りをしていた。

 木枠は黒塗りされており、様々な装飾が施されて高級感がある。乗り口は当然横にあり、足掛けのための階段も装備してあった。

 クッションが敷かれた客席にももことキリコは、向き合うように座らされ、ミースルは御者台に座った。


 馬車がゆっくりと動き出した。

 それを見計らっていたのか、キリコがポツリとももこに話しかける。



『ももこ……ごめんなさい……』


『え……』



 ももこは、まさかキリコから謝罪の言葉が出るとは思っていなかったので、返す言葉に困ってしまう。今にも泣き出しそうに見えるし、体が少し震えてもいる。



『こんなことになるなんて……いえ、好き放題してきたツケなのかも……とにかく、巻き込んで悪かったわね……』


『ううん、気にしやんでええよ? ウチ、大丈夫やで?』


『……ももこ、本当に幸せね。幸せで幸せで……本当に何も分かってない……』


『キリコちゃん?』



 ももこを見るキリコの瞳には、先ほど同じ言葉を言ったときのような冷たさはない。

 哀れみのような、羨望のような、それでいて大切な言葉を伝えようとする目だった。



『いい? 私たちは捕まったの。これから何をされるか分からないけど……殺されるかもしれない。いえ、殺されるのはまだマシかも……毎日拷問を受けて、相手の命令通りにしたくもないことをさせられて、体を弄ばれて……』


『…………』


『はは……これじゃあ日本にいたときと同じじゃない……馬鹿みたい……なんでこうなっちゃうかなぁ……』



 ボタリと、キリコの膝に涙が一粒零れ落ちた。

 キリコはももこに涙を見せまいと乱暴に目をこすってから、真っ直ぐにももこに向き直った。



『ももこ、あなたは逃げて』


『え……で、でも』


『大丈夫よ。私が必ず隙を作るからももこだけでも逃げて』


『キ、キリコちゃんも一緒に逃げようや? なんでウチだけなん?』


『あのミースルとかいう男……多分どっちかが犠牲にならないと逃げられない……だからあなたが逃げて』



 取り付く島もないキリコの態度に、ももこの眉がへの字になる。



『嫌や!!』


『ももこ?』


『ウチ、キリコちゃん見捨てて自分だけ逃げるなんてできひん! 絶対嫌!』



 ももこのその態度にキリコの眉もへの字になった。



『本っっ当に何も分かってない子ね! 分かる? このままじゃ二人とも死ぬ以上の苦しみを強いられるって言ってるの!』


『分かってるもん!』


『分かってない!』


『分かってる!』



 キリコが堪らずに立ち上がった。

 そしてももこの両肩を力強く掴んだ。

 涙が次々と零れるキリコの青緑色の瞳に、ももこはそれ以上言葉を発することができなくなってしまった。



『……分かってない……分かってないわ、ももこ……私は知ってるの。世の中にはね、自分ではどうしようもない他人の悪意っていうのがあるの。こっちの話なんて通じないし、意志なんて関係ないの……さっきのミースルだってそうよ。私は知ってるから耐えられる。でも、ももこは何も知らない……ももこには絶対に耐えられないわ。ももこ、逃げて……逃げて邪神教に帰りなさい……あなたは幸せなままでいいわ……連れ出して……ごめんなさい』



 言い切った後、ポスッと力なくキリコは元の席に座った。


 ももこはそんなキリコの姿を見て、分からなくなっていた。

 自分を犠牲にしてまで助けようとしてくれるその姿と、今まで聞いてきた天子の話と、なんだか違うような気がしたのだ。

 だからももこは率直に聞いてみた。



『……キリコちゃん、邪神教の人な、キリコちゃんのこと……その、あんま良く言うてへんかってん……家族を攫われたって……』


『……そう』


『キリコちゃん、それ、ほんまなん?』


『…………本当よ』



 じくりと、ももこの胸が痛んだ。

 信じたくなかったことが、真実だった。

 家族を攫われて辛い思いをしていた信者達がいた。ミモモだってそのひとりだ。



『…………でも、殺してはないわ』


『え……?』


『攫ってポポニャンのために無理矢理働かせているの。言い訳に聞こえるかもしれないけど……今隣の国と戦争が起こりそうなのよ……捕らえた人は皆それぞれ働かせてる……確かに酷いことだけど、殺したり死なせるようなことは絶対に禁じてるわ……』


『キリコちゃん……』


『わ、私だって……私だって自分が殺されたからって誰かを殺してやろうなんて思わないわよ……ふんっ』



 どうして無理矢理捕まえてまでそうさせなければいけないのか、それはももこには分からない。

 でもやっぱり、ももこが感じ取ったように、キリコはそこまで悪い人間ではなかったのだ。

 ももこはこんな状況ではあったが、それがとても嬉しかった。



『……命令すれば?』


『え? 命令って?』


『邪神の力よ。私に命令すればいいじゃない。邪神教の人、困ってるんでしょ? 解放して、おねがいって言えば済むことでしょう』


『それは……』



 ももこは決めたのだ。邪神の力は使わない。心に固く誓ったのだ。

 だが、キリコの言うことも正しい。

 ももこの気持ちは置いておいて、一言お願いすれば多くの人が救われるだろう。

 固く誓ったはずの想いが、少しだけ揺らいでいるのをももこは感じた。



『で、でも……ウチは……』


『ふふ、嘘よ。連れ去られてどうなるか分からない、こんな状態の私にお願いしたってできることとできないことがあるわ。ああ、これってもしかしてももこの能力の弱点かもしれないわね』


『キリコちゃん……』


『でも……ももこ、確かに人の気持ちを踏みにじりたくないっていうももこの気持ちも分かるわ。それでも、みんなが幸せになるなら……そして私みたいな、どうしようもない悪意に対してなら……あなたの力は使うべきだと私は思うの』


『キリコちゃんの悪意?』


『あなたを私の都合で無理矢理連れ出してきたでしょ。何よ、忘れたの? さっきパン屋で一人で生きていくって反抗してたじゃない』


『そ、それはキリコちゃんが──』



 反論しようと腰を浮かせたももこの体に、背中から押されるような負荷がかかった。車輪が軋んでけたたましい音が鳴り響き、ももこはたまらずに、キリコのほうへと体を投げ出されてしまった。



『ももこ! きゃっ!』


『あぐっ!』



 馬車が、突然停止したのだ。

 客席でももことキリコは揉みくちゃになってしまっていた。

 自分に覆いかぶさるももこの体をどけながら、キリコは進行方向の窓から状況を確認しようと顔をのぞかせた。



『な、何? 一体何が起こったの?』


『あつつつつ……キ、キリコちゃん……』


『あいつ……誰? 黒装束にあんな奴いなかったけど……』



 馬車の進行方向に、大きな剣が突き立てられていた。

 その剣の向こうに、ボロボロの黒いTシャツに腹巻を巻いている大男がいた。



『てっちゃん!! てっちゃんや!!』


『なによ、ももこの知り合いなの!?』



 ミースルが自身の剣を構えながらゆっくりと御者台を降りた。



「わーーーーはっはっは! どうやら間に合ったようじゃねぇか。おいお前。俺の友達を返してもらうぜ?」


「あらあら……生きのいい男子ね……ふふ、嫌いじゃないわん」



 ももこを助けんと馬車を停めた大男は、テムジャであった。

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