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幕間 心と体を鍛えよう

 ももこが天子と共に攫われてしまう前日のことであった。

 大僧正をはじめとする邪神教徒達で結成された「ももこ様お助け隊」は、森を出てミャーミャが見える丘へと辿り着いていた。

 時間は正午。お助け隊は一刻も早く天子のいるポポニャン神聖国の首都へ向かわなければならない。

 しかしその足取りを止めて、今は丘の上からミャーミャを眺めていた。

 もちろんただ眺めているわけではない。

 大僧正の命令によって情報収集部隊をミャーミャに放ち、帰ってくるのを待っていたのだ。

 急いでいるときこそ、冷静な判断で動く。大僧正はそういう男であった。

 ミャーミャを睨む大僧正の後ろで、乾いた音が鳴り響いた。



「あおおおおーーーんっっ!! ももこ様ぁ!! ワンモアっ!」


「いくぞっ! きえええぇぇぇい!!」



 ミャーミャから戻ってくる部隊が気がかりで、大僧正はその音にも声にも気が付いてはいなかった。

 白装束達の間ではフードを残して装束を脱ぎ、上半身裸の状態で気を練り、分厚い角材で背中や胸板を打たれ、それに耐えるという奇妙な遊びが流行っていた。

 いや、遊びなどではない。

 やっている本人達は真剣であった。



「大僧正、そろそろ戻ってくるとは思いますがテントの中でお待ちください」



 背中越しに声をかけられた大僧正は振り返りもせずに答える。



「……いや、ここでいい。私とてお前達と同じ、一刻も早くももこ様をお迎えに上がりたいのだ」


「大僧正……いえ、だからこそです。大僧正は我々を導いてくださらねばなりません。休めるときにはきちんと休んでいただかないと」



 大僧正は、いい部下を持ったなと思った。

 上の意見に逆らわず、自分の意見を押し殺して「はい」と言うことは容易い。

 そうではなく細かな部分でも忠言をくれる。そういう部下は大僧正にとって理想で、とてもありがたいものだった。

 それができるのも全員が心の中にももこを据えて一丸となっているからだと、大僧正は感じていた。


 少し肩に力が入り過ぎていたのかもしれない。

 素直にそう思えた大僧正は力を抜いて振り返った。



「すまないな……ではお言葉に甘え……て……お、お前」


「そうですか。それは良かったです。ささ、大僧正。こちらへ」



 彼は上半身裸であった。

 胸板は真赤に腫れあがり、角材で打った痕がいくつも残っていた。



「そ、その傷はなんだ? ……私よりもお前が休んだ方がいいのではないのか……?」


「いえ、むしろ気分が良いくらいです。大僧正もどうですか?」



 大僧正は改めて辺りを見渡した。

 休んでいると思っていた白装束達のほとんどが、互いを角材で打ち合っている。

 ももこが心配で何の音か気にも留めなかったのだが、ようやく音の正体に気が付いたのであった。



「な、なんだ? 何が起こっている? ……皆、何の為にやっているのだ?」


「ももこ様のことを思えばこそです」


「…………ほう? ももこ様の?」



 ももこの名前が出てしまっては聞かざるを得ない。

 一見意味のないような行動も、信者たちにしてみれば大きな意味があるのだろう。

 それと大僧正は単純に興味があった。

 ももこと、この行為に一体何の関係があるのか。



「私達は一刻も早く、ももこ様をお救いせねばなりません」


「ふむ、そうだな」


「しかし大僧正の仰る情報収集も確かに必要であり大切です」


「理解してくれて何よりだ」


「しかし頭では理解できてもお救いしたい気持ちは抑えられません」


「道理だな」


「気持ちを鎮める為にお互いを角材で打ち合っております」


「…………」



 大僧正の眉間に深い皺が寄った。



「……まだあります」


「まだあるのか」


「というか、ここからが本当の理由です」


「そうか。できればそちらを先に聞きたかったが」



 大僧正の眉間の皺がなくなった。



「ももこ様は今、非常にお辛い思いをされております」


「そうだな……それは間違いなかろう」


「考えたくはありませんが、痛い思いをされているかもしれません」


「……否定はできないな。お前の言う通りだ」


「ですからお互いを角材で打ち合っております」



 再び大僧正の眉間に深い皺が寄った。

 しばらく考え込んだ後、大僧正は爽やか笑顔の白装束を見る。

 やはり胸板のみみず腫れが痛々しい。



「あー……いや、うーん、なんとなくは分かった。分かったがお前は説明が下手すぎるな……」


「申し訳ございません」



 たまにある、部下の意味不明の報告、理解不能の書置き。

 仕事をしていて「1+1は2なのでよろしく」という単純な引継ぎがあったとする。

 翌朝になって引き継がれた者に「1+1はいくつか?」と聞いてみると「4階です」と自信満々な顔つきで明後日の方向の返事が返ってくるような怪奇現象。

 上に立つ者は想像力がなければならないのだ。

 拙い報告しかできない部下や、意味不明な書置きしか残せない、むしろ書置きすらできない部下を怒る必要はもちろんある。

 しかし毎度全員を怒っていてはキリがない。


 大僧正はこうした報告には慣れていたし、想像力もあった。



「つまり、早くももこ様を救出したいという逸る気持ちを抑えるためと、辛い境遇のももこ様のお気持ちに寄り添いたい一心から、互いに角材で打ち合っているということだな?」


「はい、その通りです。そして打ち合っていれば分かるのですが体も鍛えられますし、邪な気持ちが鎮まり精神統一にもなります」


「邪な気持ち……だと? まさかお前……ももこ様に……」


「物の例えです」


「……そうか」


「そうです。……大僧正もされてみれば分かります。是非」


「う、うーむ……そうは言ってもな……」



 逸る気持ちを抑えるため。

 ももこの気持ちに寄り添うため。

 そして体と精神を鍛えるため。


 確かに信者たちの中でも一二を争う程に焦っているのは大僧正であろう。ももこの気持ちに寄り添うことも望むところである。その上、体と精神を鍛えられる。

 そう考えた時、大僧正は自分に断る理由がないことに気が付いた。



「おーいみんな! 大僧正もされるそうだ! 角材を持ってきてくれ!」


「おいおい、まだ私はやると言ってはおらんぞ」



 拒絶の意思をはっきりと示す間もなく、ワラワラと信者たちが大僧正の周囲に集まってきた。



「さすがは大僧正!」


「おお、大僧正もされるのか? 我々では到達できない領域にまで行かれるのか?」


「え、なになに? 大僧正もするんですか?」


「いやいや、お前達。ちょっと待ちなさい。ちょ、脱がすんじゃない」



 信者達に囲まれた大僧正は、あれよあれよという間に装束を脱がされ、上半身を晒してしまった。

 困惑する大僧正の背中に、何の合図もなく、突然角材が打ち込まれた。

 心の準備などできているはずもなく、大僧正は前方へ飛ばされ倒れ込んだ。


 何かの恨みがこもっていたのか。

 それとも単純に大僧正への期待が高かったのか。

 とにかく今日一番の大きな音が青空にこだました。



「ああああああおおおおおおおっっ!! あおっ!! あおっ!! だ、誰だぁぁ……せめて一言……うおおおぉぉぉぉ……」



 全員がフードを被り、角材を手にしている。

 最早、誰が大僧正に渾身の一撃を打ち込んだのかは分からない。

 全員が首を横に振っている。



「大丈夫ですか? 大僧正」


「だ、大丈夫なわけが……」


「しかし、ももこ様はそれ以上に痛い思いをされておられるやもしれません」


「ぐ……ぬぅ」



 そう言われると、さすがの大僧正も返す言葉が見つからない。



「一刻も早く、ももこ様をお探ししなければなりませんが、我々は失敗することはできないのです。焦らずに着実に、しかしながら心にはいつもももこ様を!」


「言われずとも分かっておる……当然のことだ……しかし尻にしてくれないか? ……年寄り扱いも困るが、この歳でこの痛み、明日に響く」



 そう言うと大僧正は起き上がり膝に手をついた。上半身を地面と平行にさせると尻をぷりっと突き出す。

 もちろん下半身には装束を身につけている。

 白装束達の中から「意外に素直じゃねーか」という呟きがはっきりと聞こえたが、聞かなかったことにする。

 それもまた上司としての器量である。



「よいか? 絶対に叩く前に一声かけるように! 絶対だぞ!?」


「はいはい。分かっておりますとも。ではいちにのさんで板を振り下ろしますので、大僧正はももこ様を思う気持ちで心を満たしてくださいますか」


「それは心配いらぬ。いつだって心はももこ様でいっぱいだ。さぁ、心の準備はいい。やるがよい!」



 上司と言えど、当たり前だがやはり人間なのだ。

 理不尽な目にあうのは部下だけではない。

 上司は部下からの理不尽な要望に晒されることも少なくない。

 責任が伴ってしまう分、上司の方がしんどいことの方が多いかもしれない。


 しかしこの理不尽な状況の中であっても、大僧正は白装束達が言うような「ももこへの思い」を見出そうとしていた。

 ただ単に痛いだけにしか思えない行為であるが、ももこのことを思えば確かになんでもない。

 焦る気持ちを抑えるためには、なるほどいい方法かもしれない。


 そうやって無理矢理に自分を納得させ、心の準備を整えた。



「大僧正、参ります! いち、にの……さんっ!!」




「ももこ様ぁぁぁぁぁおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ! ぐへっ!」




 打たれた衝撃で、大僧正は地面にうつ伏せになってしまった。

 乾いた音が一つ。そしてメキャっという音が一つ。二つの音が重なるように聞こえた。

 一つは大僧正の要望どおり尻へ角材が打ち込まれた音。

 そしてもう一つは遠慮なしのフルパワーで振り下ろされた角材が背中に打ちつけられ、真っ二つに折れてしまった音だった。

 真上からまっすぐに背中に打ち込まれたため、支えきれずに地面に倒れこむ形になってしまった。




「がはっ! ひゅー……ひゅー……け、けふっ! ……お前……達……背中は……やめろと……」


「あ? あ、そうだったのですか? 申し訳ございません、てっきりお尻は追加なのだとばかり……」


「ば……馬鹿……」


「あ、あの……これは一体、何をされておられるのですか?」



 全員が上半身裸で木の板を持って大僧正を囲んでいるその光景を、ミャーミャの街から戻ってきた普段着姿の情報収集部隊が訝しげに眺めていた。



「重大な情報を得て戻ってまいりましたが……大僧正……大丈夫ですか?」



 大僧正の背中は赤く腫れあがり、角材の角で背中が切れ血が滲んでいる。

 地面に寝そべって浅く短い呼吸を繰り返していた。



「何があったのかは分かりませんが、報告は後ほど……のほうがよろしいでしょうか?」



 上司への報告は絶対に必要であるが、その報告のタイミングはとても難しいのだ。

 タイミングによって結果が変わることも多々あるし、同じ報告内容なのに褒められもすれば怒られもする。



「ひゅーひゅー……いい……聞かせて……くれ……誰か……テントへ……運んでくれ……」



 こうして大僧正は白装束達に担がれてテントへ運ばれていった。

 情報収集部隊もその後をついていった。


 ももこを救う上で、誰も傷付いてはいけない。

 そう大僧正は言った。

 争いで傷付いたわけではないが、さっそく負傷を負ってしまったのであった。

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