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侵入者に気を付けよう

 天子キリコは元々は日本人の小学生であった。

 歳はももこと同じ12歳。

 ただ、ももことは違い、日本での生活の中で、幾度となく他人が争ったり自分に襲い掛かってくる姿をその目で見てきた。

 そしてそれは天子としてこの世界に転生してからも変わらなかった。


 アレスとサーシャが剣を抜き、静かに部屋を出て行った。

 二人が普段キリコに見せる表情や雰囲気とは全く違った。

 敵の気配を察知して、それを排除しに行く。

 キリコには容易に想像がついた。

 天子である自分を良く思わない勢力などに襲われることも少なくない。

 こんな場面は慣れている。慣れてはいるのだが、じくりとしたものがキリコの胸中にあふれ出した。



「キ、キリコちゃん……? どないしたん? アレス兄ちゃんとサーシャ姉ちゃん、どこ行ったん?」



 一方ももこは剣呑な雰囲気を感じながらも、想像力が追いついていなかった。

 争いとは無縁の生活の中で暮らし、そういった物語も読んでこなかったももこには、無理な話であった。


 キリコの胸中に渦巻く感情は様々なものがあった。


 一つは後悔。

 もう一つは恐怖であった。



「ももこ……黙って……話の続きは後にしましょう……」


「え……うん、別にええけど……」



 この国の最高権力者である天子として転生して以来、自分を抑制するものは何もなくなった。

 それどころか全てが思い通りになり、全ての人間が自分にかしずくのだ。キリコは面白くて仕方がなかった。

 そして暇を持て余してはこの国を見て回った。

 後ろにはいつもカノンナが控えていた。

 そのカノンナにいつもうるさく言われていたことがあった。



「はひー、天子様、また千里眼をお使いになられているですか……お願いですからせめて外出中だけでもご自身の周囲を警戒してくださいです……」


「ふん、護衛はあなたの役目でしょう? この前も誘拐しようとした不届き者から私を守ったでしょう」


「は、はひ~~~、それはそうなのですが……天子様はこの国で最も大切なお方です。もしものことがあっては取り返しがつかないです……お願いです、天子様……ご自身のため、この国の為に何卒です~……」


「ふん、考えておく」



 キリコの千里眼はこの国の全てを見通すことができる。

 しかし、便利である反面、使い辛い面もあった。

 右を向けば左が見えないのと同じように、千里眼もそうであったからだ。

 キリコは邪神復活の噂を聞いてからは邪神教を。そしてももこがこの世界にやってきたときからは、時間さえあればずっとももこのことを千里眼で見ていた。

 見ている間は他のことが一切見えなくなるのだ。


 誰かに襲われても必ず傍にいる者が守ってくれる。


 カノンナの忠告を聞いていれば、今回の敵の接近も事前に知りえたかもしれない。



「…………キリコちゃん、震えとるで……? どうしたん? 大丈夫?」


「うるさい! …………黙って」



 慣れているということは、大丈夫という意味ではない。

 日常的に暴力を受けていた光景が、キリコの脳内にフラッシュバックする。

 アレスとサーシャが部屋を出て行ってしばらく経ったが、扉の向こうからは物音一つ聞こえない。

 それが一層キリコを不安にさせる。



「…………」


「…………」



 二人の間に沈黙が続いた。

 カノンナが笑顔で扉を開けて入ってくる姿を脳裏に思い描きながら、キリコはこの不安に耐えていた。

 ももこはキリコが何かに怯えていることは分かったが、それ以上のことは当然分からない。

 言われたように黙っていることしかできなかった。


 そうしている内に、扉がカチャリと音を立てて、ほんの少しだけ開いた。

 静かな部屋に響いたその音に二人は顔を上げて反応した。

 アレスたちが帰ってきたのだと、ももこが笑顔で扉に駆け出そうとする。



「だめよ! 待ちなさいももこ!」



 それまで椅子に座っていたキリコが、急いで立ち上がりももこの腕をつかんだ。

 そして乱暴に引っ張ると自分の後ろに下がらせた。



「キ、キリコちゃん!?」


「ももこ……下がってなさい……」



 キリコには分かっていた。

 カノンナやアレスたちであれば、扉を開ける前に声をかける。

 それをせずに無言で扉を開けたということは──



「ホホホ……あらあらさすがに聡いわね……天・子・ちゃん。ふふ」



 ゆっくりと開いた扉から、大きなマスクをつけた大男が姿をのぞかせた。

 筋骨隆々の体にテムジャと同じくらいの背格好だが、なよっとしたその出で立ちは男らしいテムジャとは正反対だとももこは思った。

 紫色の髪の毛は大きなターバンでまとめられて後ろに流している。耳には宝石のようにキラキラと光るピアスが輝いていた。


 上はピンク色のタンクトップを着ており下は普通のボトムだがブーツの端にもこもこがついている。

 ももこたちからは見えないが、尻のあたりからはキツネのような尻尾を模したアクセサリーをつけていた。

 そして大男の体格には似合わない、日本刀のような細く美しい剣がその手に握られていた。



「やぁっと会えたわね……あらん? 後ろにいるその子は誰かしらん? 情報にないわね……天子ちゃんのお友達かしらん?」



 大男は扉を閉め、マスクを外し床に落とした。

 真っ赤な口紅を塗っている口が、にんまりと口角を上げた。



「無礼な……ここをどこだと心得るか?」


「あ~ら、こわ~い。そんな無理して偉そうな喋り方しなくたっていいじゃなぁ~い。ここは普通のパン屋さん……でしょ?」


「私を天子と知っての行い……万死に値するな」



 キリコは努めて冷静に、静かな声で受け答えをしているが、後ろにいるももこにはキリコの手が震えているのが良く見えた。

 キリコの様子と大男が持つ剣を見て、さすがのももこも目の前の大男が敵なのだと分かった。

 だが、そう思いながらも、自分に危害を加えようとしている存在を本当の意味で分かっていなかった。



「天子ちゃんったら、強がりばっかり……自分の置かれてる状況、分かってるでしょ? ふふ」


「な、なぁ、キリ……天子様、このお姉さん、天子様の知り合い……なん……?」


「……そんなわけがないでしょ」


「んまぁ! まぁまぁまぁ!! ちょっとちょっと! あなた、今何て言ったのかしらん!?」



 ドタドタと大きな音を立てながら、大男は剣を鞘にしまい天子の後ろにいるももこの元に駆け寄って両手を取った。

 突然の出来事でももこはあっけにとられてしまっている。



「え……て、天子様の知り合いなん? って……」


「その前! その前よぉ!」


「お、お姉さん……?」


「あああああああああああああああああんっっっ!!!!」



 ももこにお姉さんと言われたと同時に、頬に手を添えながら大男は体をのけぞらせた。



「やだもう! 綺麗なお姉さんだなんて、そんなこと言われたのは生まれて初めてよぉぉぉぉ!!!!」


「え、いや……ウチ綺麗って言うてな──」


「あなたお名前は!?」


「え……ウ、ウチ……ももこ……」


「ももこ……かわいいお名前ね。天子ちゃんのお友達ね?」



 ももこは友達と言ってしまっていいのかとキリコの方を見るが、キリコは俯いたままももこ達の方へは見向きもしない。



「う、うん……そう……かな。ウチ、天子様のお友達……やねん」


「やっぱりそうなのねぇ~。天子ちゃんだって同じ年頃のお友達くらいほしいわよねぇ。あ、アタシはミースルっていうの」


「みつる?」


「ミースルよ、ミースル」


「み、みつる? ん?」


「まだ発音がおぼつかないのかしら? かぁわいいわぁ。そのままでいいわ」


「ミツルお姉さんは……えっと、天子様の知り合い……なん?」



 気を良くしたミースルに、もしかしたらという期待を込めて、ももこは再び同じ質問をしてみた。

 しかし、ミースルはももこの質問にゆっくりと顔を横に振った。



「今、知り合ったばかりよん……アタシは天子ちゃんを攫いにきたの」


「え……攫いに……?」


「そうよん。とある人のお願いでね。ふふ、ももこには悪いけど、お友達ということで天子ちゃんと一緒に来てもらおうかしらん?」


「ももこは関係ない! 攫うのであれば私だけでよかろう!」


「ふふ、天子ちゃんもお友達想いなのねぇ。でもそのお願いは、き・け・な・い。だぁいじょうぶよぉ、傷付けたりはしないわん」



 それまでももこと目線を合わせるためにしゃがんでいたミースルが立ち上がった。

 キリコと向き合う。

 満面の笑みを浮かべているがその目だけは笑っていない。



「カノンナや黒装束……アレスにサーシャは……」


「眠ってるわん。騎士と正面からやりあったらアタシのお肌に傷がついちゃうかもしれないじゃない」



 ゆっくりと、ミースルはキリコとの距離を詰めていく。

 キリコはカノンナ達の無事を聞いて両目を閉じた。

 安心したと同時にこの場を打開できる可能性も絶たれた。

 もう逃げられないことを悟ったのだ。



「大人しくしてちょうだいねん。天・子・ちゃん」


『ももこ……ごめんね』


『キリコ……ちゃん』

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