目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
どっちを取るか考えよう

『ふん。そんなに驚かなくてもいいじゃない。転生してきているのが自分だけと思ったら大間違いよ』



 ももこは驚きのあまり、天子の言葉に一言も返せずにいた。

 数ヶ月ぶりに聞く日本語は、異世界に迷い込んでしまったももこにとって、もう二度と聞くことができないかもしれないと思っていた言葉だったからだ。



『まぁいいわ。それよりも、ももこ。あなたを呼んだのは他でもない、あなたの能力が欲しいからよ』



 いまだ混乱から立ち直れないももこをよそに、天子は話を続ける。

 腕を組み、ももこを見下ろし、高圧的な態度をとっている。



『ももこ、私に力を貸しなさい。そしてこの世界を支配するの』


『世界を……支配?』


『そうよ。それは邪神として転生してきたあなたの役目でもあるのよ』


『ちょ、ちょっと待って!』



 日本語を話す天子が力を貸せだの世界を支配するだの、一度に考えることが多すぎて、ももこにはとてもついていけなかった。

 ももこはとにかく、天子に会ったらどうしても聞きたかったことを口にする。



『みんなは? ……邪神教のみんなは治してくれるん? アレス兄ちゃんが天子様が治してくれるって言うてはった!』



 天子の眉がぴくりと動いた。

 そして少し間をおいてももこの質問に答える。



『……どうせ隠していてもそのうち分かることだし、隠して後でへそを曲げられても面倒だから言うわ。あなたの魅了はあなたが屋敷を出れば、すぐに効果を失うわ。もう邪神教の連中は元通りになっているわよ』


『そ……そっかぁ~……やっぱそうやったんやね、良かったぁ……ほんまに良かったぁ』


『ただし』



 天子の瞳がももこを射抜く。

 その冷たい視線に、ももこは少し萎縮してしまう。



『あなたが屋敷に戻れば同じことの繰り返しよ。だからこそ私の元に来て、私に力を貸しなさい』


『…………っ』



 屋敷にはもう戻ってはいけない。

 ももこは自身でそう誓っていたが、改めて他人に言われると胸の奥がズキッと痛くなるのだった。



『ウ、ウチ……力って……そんなんないよ? ウチが役に立てることなんか……なんもあらへんよ』


『ふん……私は天子としてこの世界に転生してきたの。あなたと同じ、日本からね』



 どさっという音を立てて、天子は椅子に腰を下ろした。

 大きな椅子であるため、足がつかずブラブラさせている。



『転生の際、私は天子の能力を授かったわ。千里眼の力よ。だから私はどれだけ離れた場所で起こった出来事も、誰かの声も、意識を集中すれば分かるわ。邪神転生の話を聞いてからは……ももこ、ずっとあなたを見ていたのよ』


『え……ウチの……こと?』


『隠しても無駄よ。あなたの能力、命令の力を私に貸しなさい。そして二人でこの国、そして世界を支配するのよ』



 ももこは隠していたわけではない。

 大僧正から邪神であると教えられた日に、ももこは命令の能力は二度と使わないと心に誓ったのだ。

 自分が役に立てることなどないというのは、ももこの本心であった。



『ウチ、もうお願いは使わへんって決めてるん……だから天子様の力には……』


『見ていたから知ってるわ。ふん、くだらない。あなたの力があれば何でも思い通りじゃない。何がそんなに気に食わないのかしら? 私には理解が出来ないわ』


『っっ! ウチは国とか世界とか、そんなん興味ない! それに誰かを支配したいなんてそんなこと考えたこともないもん! ウチは嫌や!』



 ももこにしては珍しく、怒りをあらわにして天子に言い返した。

 くだらないという天子の言葉が、邪神教信者に向けられたような気がしたからだ。



『幸せね……ももこ。ふん……日本でも随分幸せな生活を過ごしてきたのでしょうね……それに転生した今も……いいわ。そうね……じゃあ取引きしましょうか』


『……? 取引き?』


『そうよ』



 天子の目つきは相変わらず冷たい。

 冷たさはそのままに、口角をあげ笑みを浮かべてみせた。



『日本に帰れるかもしれない方法を私は知っているわ。邪神教には伝わっていないでしょうけどね。私に力を貸して世界を支配した暁にはそれをあなたに教えてあげる……ふふ、どうかしら?』


『え…………日本……に?』


『一日待ってあげるわ。今日はこの家に泊まりなさい。明日までゆっくり考えることね』



 日本に帰る方法がある。

 その言葉を聞いて、ももこの思考は完全に停止してしまった。

 ももこはこの世界にやってきてから、日本での生活を何度も何度も思い出していた。

 両親や友達のことを思い出さなかった日はない。

 そのたびに胸を痛め、そしてどうしようもないその気持ちを胸に秘めてきた。

 しかし帰ることをようやく諦めつつあったのだ。



『私はキリコよ。天子キリコ。これはあなたと同じ、日本での名前ね。あなたになら呼ぶことを許すわ。長い付き合いになるのだから。ふふ……』



 ももこはぼんやりと、床を眺めていた。

 放心状態といってもいい。

 そしてそんなももこには構わず、キリコは声を上げた。



「アレス! サーシャ!」



 その途端に、ドタドタと階段をかけ上がる音がし、扉の向こうで声がかかる。



「お呼びでしょうか、天子様」


「ももこは随分疲れた様子。明日にもう一度話すから、部屋に案内しなさい」


「畏まりました。失礼致します」



 そう言ってアレスは扉をゆっくりと開き部屋の中へと入ってきた。



「ももこ!」



 アレスを押し退けて、サーシャがももこにかけ寄った。

 後ろから見てもあきらかにももこの様子がおかしかったからだ。

 サーシャに肩を抱かれたももこは、ぐったりとしていた。



「あ……サーシャ姉ちゃん?」


「ど、どうしたの? ももこ!」


「サーシャ! 天子様の御前だぞ!」



 アレスに言われ、サーシャはハッとして天子の方へ視線をやった。

 作法も何もかもを忘れ、天子の前に出てきて声を上げてしまったのである。

 冷静なサーシャがこんなことをしてしまったのは初めてのことであった。



「構わぬ。……サーシャ」


「は、はい! 申し訳ございません!!」



 サーシャはももこの肩から手を放し、急いで両手で庇をつくった。



「余程ももこを気に入ってると見えるな」


「い……いえ、これは……」



 否定することも肯定することもできず、サーシャは口ごもる。

 隣で見ているアレスもハラハラしている。



「ふん……別に構わぬ。ただしサーシャ……」


「はっ!」


「詮索は無用とする……いいわね?」


「か、畏まりました……」



 天子の視線はアレスの方へ向いていた。



「分かっているわね? アレス」


「畏まりました……」



 命を受けたのはサーシャだけだからと言いながら、アレスがももこに聞く可能性もある。

 千里眼の力でそれは分かるのだが、防げるわけではない。

 キリコはアレスに釘を刺したのだ。



「連れて行きなさい!」



 こうしてももこは、サーシャに肩を借りながら、天子キリコの部屋を後にしたのだった。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?