信者達がももこの部屋の前で泣き崩れている最中、ミモモの呼びかけに応じて、カチャリと扉の鍵が開く音がした。
その音を聞いて、全員が静まり返った。
扉がほんの数センチだけ開いた。
「ももこ様、ありがとねぇ。んだば、おばぁとおやつの時間にするべぇ」
「ミ、ミモモばぁ!」
不安で押しつぶされそうな表情をして、大僧正はミモモに呼びかけた。
「だぁいじょうぶだべぇ、大僧正。ここはおばぁに任せて、皆はここで待っててけろぉ」
ミモモは笑顔でそう応えると、一人でももこの部屋へ入っていった。
大僧正はミモモの背中を見送ることしかできない自分がとても歯痒かったが、どうすることもできない。
もはや祈るしかなかった。
「た、頼みました……ミモモばぁ!」
ももこの部屋に入った瞬間、ミモモの表情が一瞬だけ曇った。
カーテンを閉め切った室内は暗く、部屋の中央にももこがポツンと立っていたのだ。
表情までは読み取れなかったが、ももこの体は小刻みに震えていた。
ミモモは柔らかい笑顔を作り、優しく語りかける。
「あんれまぁ、ももこ様ぁ。こっただ暗い部屋ぁ気分が滅入るべぇ? さぁ、こっちに来なせぇ」
ミモモはももこの手を引いてカーテンを開ける。
暗い部屋が一気に明るくなった。
ミモモはももこの腫れあがった目を見て、いたたまれない気持ちになる。
しかしそんななかでも、ももこはミモモに椅子を引いてやった。
こんな状況でも自身の足を気にかけてくれるももこに対して、ミモモは胸が締め付けられる思いであった。
「ももこ様や、今日はこっちで食べよう」
そう言ってミモモが腰を下ろしたのはももこのベッドであった。
ミモモは自分の隣をポンポンと叩いてももこに座るように促した。
「さぁ、ももこ様」
ももこは言われるまま、ミモモの隣にポスっと腰を下ろした。
俯いて一言も喋らない。
ミモモはベッドにニャンニャの実を乗せた皿を置いてから、隣にいるももこの肩に背中から手を伸ばす。
そうして、自身の胸に、ももこの頭を引き寄せた。
「ももこ様は、ほんに皆のことが好きなんだべなぁ? だからとっても……悲しかったんだべなぁ?」
「──────」
日の光が二人を包み込んでいる。
ミモモは優しく、ゆっくりとももこの頭を撫で続けた。
「ももこ様はの、おばぁにとっては孫みたいなもんだべ……ももこ様は邪神様かもしんねぇが、おばぁにとってはめんこい孫だぁ」
「────っぐ、ひぐぅ……ぐっ……」
「よぉしよし、怖かっただなぁ。よぉしよぉし」
「ひっく、ひぅ! ミ、ミモモおばあちゃんも、ウチのおねがい、聞いて、無理してここに居てくれるん? 孫って言うてくれるんも、全部、全部、ウチが無理矢理ぃぃ……うううぅぅ……」
ももこはミモモに力いっぱいしがみついた。
失いたくない、ここに居てほしい。そんな気持ちでいっぱいになりながら、ミモモの胸に顔をうずめていた。
「んだぁよ。おばぁはももこ様のお願いを聞いたで、ここに住まわしてもろうとるんだべよぉ?」
ももこはミモモの言葉に顔を上げた。
やっぱりそうだったのかという気持ちが表情に出ていた。
しかしももこを見るミモモの表情は、相変わらず穏やかで優しいものであった。
「邪神様の能力なんか、関係ねぇだ。おばぁは邪神様と違う、ももこ様の『お願い』を聞いただよ? それに、邪神様じゃなかったとしても、おばぁはももこ様のお願いなら、なぁ~んでも聞くだよぉ?」
「ミモモおばあちゃん……」
「じゃあももこ様もおばぁのお願い、聞いてくれるだか?」
「ミモモおばあちゃんの……お願い?」
こぼれるももこの涙を、ミモモは指ですくってやった。
「ももこ様が元の世界っちゅーところに帰れるかどうかは、おばぁには分からんけんども、それまではおばぁと一緒にいてくれるだか? おばぁのおねがいだよ?」
「うん……うん……! ウチもミモモおばあちゃんと一緒にいたい……!」
「ほぉら、またおばぁと一緒。ももこ様、一緒だぁ! あはは」
「おばあちゃん、おばあちゃん……!」
ミモモは自身に甘えるももこの肩を力強く抱きしめ、そして強めに頭を撫でてやった。
ミモモにとって、ももこはもう一人の孫のようで、本当に愛おしくてたまらなかった。
その思いが邪神の能力のおかげだとは、ミモモ自身が思いたくなかった。
そしてももこを抱きしめながら、ミモモは続けた。
「日を追うごとに、ももこ様が愛おしくなっていくだ……それは大僧正がゆうとった、邪神様の能力の一つかもしんねぇだが……ももこ様、おばぁは思うだよ」
「…………」
「自分の気持ちさ曲げられて、好きでもない人を好きにさせられちまったら……おばぁだったらこの屋敷を出て行くだよぉ? だって、邪神様の魅了っつう能力は、この屋敷の中だけのことなんだべ? 皆も同じだと思うんだけんどなぁ?」
「…………あっ」
「おばぁが大好きなももこ様を、もっと好きにさせてくれる。とっても素敵な能力だと、おばぁは思うんだけどなぁ?」
ももこは泣いた。
わんわんと泣いた。
ミモモはそんなももこの頭を黙って撫で続けてやった。
どのくらいの時間が経ったのかは分からないが、ようやくももこの泣き声がおさまってきた頃、ミモモが優しくももこに語りかけた。
「さぁ、ももこ様や。ニャンニャの実を食べよう? おばぁが剥いてきたんだべ? 食べたら元気でるよぉ~?」
「うん、ウチ、ミモモおばあちゃんと食べる!」
「食べたら大僧正達にもお顔を見せてあげようねぇ? 皆、ももこ様を心配してるだよ?」
「…………うん!」
「大僧正……ミモモさんはうまくやってますかね……」
「うむ……今はミモモばぁを信じるしかあるまい……ももこ様はミモモばぁを信頼していらっしゃる。正直に言うと私は嫉妬している」
「正直すぎると思いますがお気持ちは分かります」
大僧正をはじめ、白装束達はももこの部屋の前でミモモを待っていた。
ももこがまた元気な顔を見せてくれると信じ、誰もその場を離れようとはしなかった。
そうして三十分程経った時、ようやく扉がゆっくりと開かれた。
そこには目を赤く腫らしてはいるが、はにかんだ顔のももこが立っていた。
ミモモが後ろから両肩をしっかりと持っている。
ももこの顔が見られて、安心感に満たされる一同であったが、誰も声を発しない。
全員、ももこの言葉を待っていたのだ。
「ももこ様、大丈夫だべ? おばぁがついてるよぉ」
「う、うん……」
ミモモにそう言われ、ももこは両手のひらを重ね、そして頭を下げた。
「み、み、みんな……ごめんなさいっっっ!!!!」
その光景に、大僧正をはじめ白装束達は度肝を抜かれてしまった。
自分たちが謝罪せねばならないのに、逆にももこが頭を下げたのだ。
それも邪神であるももこが、である。
「ウ、ウチ、みんなの気持ちも考えんと……じ、自分のことばっかりで……えっと……そうじゃなくて……ウ、ウチ、えっと……」
伝えたいけれどうまく伝えられない。
先程までの驚きの気持ちは白装束達の中から消え去っていた。
必死になって自分の気持ちを伝えようとするももこの姿が尊くて仕方がなかったのだ。
「ウチ、みんなのことが大好き……ウチ、ここでみんなといることが楽しい……でも正直、邪神のことはまだ分からへん……もしかしたらみんなが思ってるようなウチにはなられへんかもしれん……でも、でも……ウチ、みんなと一緒にいたい! ウチ、こんな能力がなくても、みんなに好きって言ってもらえるように頑張りたいっっっ!!!!」
場が静まり返った。
大僧正が呆けたような顔でももこを見ている。
伝わったのかどうかももこは不安になったが、肩を抱いてくれるミモモの手が、大丈夫だと言ってくれている。
大僧正の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
それも次々と溢れ出している。
白装束達のフードが濡れている。
それも全員だ。
一斉であった。
その場にいたももこを除いた全員が、一斉に床に跪いた。
全員が声を上げ大泣きしていた。
「ももこ様ぁ! ももこ様ぁぁぁぁ!」
「俺たちはももこ様が大好きです! 一緒に居させていただきたいとお願いしたいのは俺達ですっっ!」
「よかったぁぁぁ……ももこ様、本当によかったああああああああああ!」
「みんな……ごめんな? ほんまにごめんなぁ?」
目に涙を浮かべてその光景を見ていたももこに、大僧正が歩み寄った。
涙と鼻水でくしゃくしゃになっている。
「ももこ様……もったいないお言葉……ありがとうございます……私は……私は……本当に申し訳ございませんでした!!」
「ヒラメちゃん……傷付けてごめんなぁ……ウチ、邪神にはなれへんかもしれんけど……それでもここに居ってもええ?」
「先程も申し上げました通り、ももこ様はももこ様のままでいてくださっていいのです。我らには邪神ではなく、ももこ様が必要です……私もももこ様のことが大好きです!!」
「ヒラメちゃん……」
「さぁさ、大僧正。ももこ様も。たぁくさん泣いて、もうお疲れだべ? ももこ様はおばぁがついてるからぁ、今からお昼寝しようなぁ? 大僧正も、続きは明日にしたらどうだべ?」
ももこと大僧正の会話にミモモが割って入る。
確かにこの場にいる全員が、もう一生分泣いたかと思う程に泣いており、体力が残っている者などいなかった。
恐らく一番泣いたのはももこであろう。
大僧正はミモモの言葉に従うことにした。
「ミモモばぁ、引き続きももこ様のことをよろしくお願いいたします」
「へぇへぇ。さぁ、ももこ様。今日はもうゆ~っくりしようだなぁ」
「……うん! ありがとうなぁ、ミモモおばあちゃん」
そうしてももこは再び自室へ戻っていったのだった。
「…………皆の者……そのままでいい。私の意見を聞いてくれ……」
ももこが扉を閉めてしばらく経ってから、扉の方を向いたまま大僧正が白装束達に語りかけた。
大僧正の背中が語っている。
何か重大な決意をしたと。
白装束達はそれを察し、次々と立ち上がった。
「全てはももこ様の望むように……私は今の今までそう思っていた……だが、本当にそれでいいのかっっっ!?」
びりびりとした空気が白装束達の肌を刺す。
大僧正の心からの叫びであった。
「違う……違うのだ……! 私はももこ様を愛おしく思っている。本当に心からももこ様の身を案じ、心から平穏を願っている。だからこそ……だからこそなのだっっ!! 我々はももこ様のお望み通りではダメだ……ももこ様の望まれる以上を……我々が考えて行動せねばならぬっっっ!」
「大僧正……」
「ももこ様が望まれないことであっても心を鬼にせねばならない時もあるだろう……ももこ様はお優しいお方である。我らに気を遣い、本心とは違うことを申されることもあるだろう……考えるのだっっっ! ももこ様にとって本当にいい結果をっっっ!! 皆で心を一つにし、ももこ様にとっての幸せを実現して差し上げるのだ!」
その言葉は白装束達の心に刺さった。
まるで自身の気持ちを代弁してくれているかのような、その言葉は白装束達の体を熱く滾らせる。
「これより邪神教の第一の目的を『ももこ様が元の世界へ帰還できる方法を探すこと』とするっっっっ! 争いを好まれないももこ様が、誰かの不幸で心を痛められるももこ様が、ご帰還のその日まで『安らかに日々を過ごせるように最善を尽くす』これを第二の目的とするっっっ!!!! もちろん今進めている行方不明者の捜索などは続行する。意義はあるか!?」
熱い涙を零しながらの演説が終わり、静寂が場を支配する。
誰かがパチンと手を叩いた。
それは次々と重なり合い、そして万雷の拍手へと変わっていった。
大僧正の言葉。
それは邪神教全員の意見となったのだ。
ももこを元の世界へ帰す。
手掛かりは全くなかった。
邪神教に伝わる数々の書物にも載っていない。
初代邪神は「光の中へ消えていった」とされているが、帰ったという記述はなかった。
あるのはただ、邪神復活の方法だけである。
しかし大僧正は決めたのだ。
たとえ世界中を探すことになったとしても、必ずももこを無事に元の世界へ送り届けることを。
愛しいももこを失ってしまえば自分達は生きる目的を見失ってしまうかもしれない。
だか、それ以上にももこの幸せを願っているのだ。
それでいい、それしかない、とその場の誰もが思っていた。
そして大僧正をはじめ信者達は、お互いに抱きしめ合い決意を固めた。
そんな中、ももこの部屋の扉が静かに開いた。
「しぃーーーーーーーっっっ! 馬鹿タレ! ももこ様が起きてしまうべっ!」
そう言われ、その場の全員が両手を口に当てて抜き足差し足でその場を去っていったのだった。