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お勉強をしよう

「厚生福利費が随分増えてしまったな……しかしそれは分かるのだが、消耗品費がな……間違えているのではないか? 前年に比べて異様に増えているが科目の振り間違いではないのか?」


「え! す、すみません、急いで確認してまいります!」


「ああ、それと仮払金も見直しておきなさい。放置したままになっているものがいくつかあるだろう」


「分かりました! 出来次第またご報告にあがります」



 資料を脇に抱えた白装束が、大僧正に一礼した後ぱたぱたと部屋を出て行った。

 そして入れ違いで別の白装束が部屋に入ってくる。



「大僧正、警備の配置の件ですが、本当に屋敷正面には配置しなくてもよいのですか?」


「ん、その件か。いや、大丈夫だろう。警備を増やせばももこ様が復活されたことを宣伝するようなもの。それに来るものは拒まぬ。いざとなれば我々が肉壁になればよいだけのこと。ももこ様に負担をおかけしたくはないが、最悪ももこ様のお力もある」


「かしこまりました。ではその様に致します」



 大僧正に意見を伺う為に白装束達が成していた列がようやく途切れた。

 もう来ないか、入り口の方を覗きこんでみる。

 誰もいないことを確認した大僧正は、ピンク色の回転椅子を座ったまま回し満面の笑みでももこの方へ向き直った。



『ヒラメちゃんて、ほんまに忙しいんやねぇ』


「ささ、ももこ様! 邪魔が入りましたが続きと参りましょう! えーどこからでしたかな」



 ここは屋敷の四階にある、ももこの部屋。

 邪神復活の儀式を始める前から邪神用に用意されていたのだが、まさか邪神が少女の姿で復活するとは誰も思っておらず、当初は黒一面で無骨な部屋であった。

 それをももこ用に女の子らしい可愛い部屋へとリフォームする為に突貫工事が行われたのだった。

 ピンク色の宝石が散りばめられたシャンデリアに、天蓋つきのベッドにはフリルの付いたベッドスカートがつけてある。

 薄いピンク色をした大きい円形のラグは手触りもいい。フリルの付いたカーテンもピンク色をしている。

 ドレッサーにキャビネット、机や椅子、壁紙に至るまで全てピンクを基調としたもので揃えられ、ももこは本当にお姫様になったような気分になっていた。


 ももこがこの世界にやってきてから十日が過ぎていた。


 大僧正から言葉を覚える為の教材を渡されたとき、ももこは特に拒むことはしなかった。

 意思疎通ができないことが苦痛であったからだ。

 入れ替わり立ち代りももこの部屋を訪れる教団員たちはとても優しく、ももこが独りになる瞬間はなかった。

 食べ物も、知らない食材ばかりで戸惑うこともあったがどれもおいしい。

 お姫様気分を味わえるのだって悪くはない。

 しかし──



『学校……もうずっと行ってへんなぁ……ウチ、おうちに帰りたい……』


「む……? ももこ様、いかがなされました?」


『なぁ、ヒラメちゃん……ここってほんまどこなん? ウチ、どうなってまうん? おうちには帰してくれへんのん? ウチお母はんとお父はんに会いたい……』



 思い出すのは両親や友達のこと。

 ももこは自分がどうなったかも、この場所がどこかも、未だに何も分かっていなかった。

 そうして時折、寂しそうな顔を見せるのだった。



「ももこ様……何かお辛いことがおありなのですな……くっ……我々がももこ様のお言葉さえ理解できればお力になれるものを……申し訳ございません。ますます意思疎通が重要になってまいりましたな」



 ももこがこの世界へやって来た次の日、大僧正は翻訳本でももこと意思疎通が図れるか再度試していた。

 しかし英語の理解できないももこにはやはり伝わらずに断念している。

 邪心教に古くから伝わる数々の書物にある邪神と、あまりにかけ離れたももこ。

 そしてその邪神と意思疎通を図るために書かれた翻訳本が通じないこと。

 大僧正はこれらを含めて、ある考えに辿り着いた。



(やはり初代邪神様と、ももこ様は別人なのだな……)



 「邪神復活」の儀式をし、それが成功したのだ。大僧正達は疑うことなく初代邪神が復活したものと思っていた。

 しかし現れたのは少女で、どうもこの世界のことがまるで分かっていない様子なのだ。

 復活したのならば早速指示を出してもおかしくはない。

 三百年前のことで初代邪神を見たものはいない。

 だが、別人であることは数日一緒に過ごせば誰にでも分かることであった。



(いやいや、別人であろうが同一人物であろうが関係のないこと……私はももこ様に忠誠を誓うのみ。それにももこ様は邪神特有の能力もお持ちになられている。迷うことなどない……いや、別人だからこそ我々が寄り添わねばならないのだ!)



 大僧正はそう心の中で誓いを立て、パンパンと手を叩いた。

 ももこの部屋の外で控えていた白装束が一礼して入室してくる。



「お呼びでしょうか?」


「ももこ様に何か甘くて温かいものを頼む。菓子もな。なぜだかは分からないのだが酷く落ち込んでいらっしゃる……おいたわしいことだ」


「畏まりました。実は既にご用意してありますので温めなおして参ります」


「おお、準備がいいではないか」


「我々はももこ様命ですから」



 大僧正はトントンと机を指で叩いてみせた。

 落ち込んで下を向いていたももこがそれに気付いて大僧正へ視線をやる。

 目に涙を溜めてしまっていた。



「なんと……本当においたわしい……ももこ様のそのようなお顔を見ると私まで泣けて参ります……うぅ」



 ここ数日で大僧正や白装束達の感情表現が大げさになっていた。

 それは何かの力ではない。

 言葉が通じないももこへ、自分の気持ちを伝える手段としてわざとやっていることだ。

 しかし、そうであったとしても、大僧正のそれは演技ではなかった。

 ポロリと一粒だけ、大僧正の瞳から涙が零れ落ちた。



『え、え、ヒラメちゃん? な、なんで? なんで泣いてるん!? なんか嫌なことがあったん?』



 ももこはすぐさま机の上に畳んであったハンカチを手にとり、大僧正の涙を拭ってやった。

 その優しさに触れ、大僧正はさらに涙を零す。



『も、ももこにゅー、かなちい……うち、かなちい』



 大僧正は、ももこと自分を交互に指差しながら、ももこに教えてもらった日本語で答えた。

 ももこに教えてもらった内容は全て記録し教団員全員が何度も反復して勉強をしていたのだ。

 全てはももこの為、ももこと会話がしたいが為の努力である。

 そして大僧正の言葉を受け、今度はももこの瞳から大粒の涙がポロポロと零れだした。



『ヒ……ヒラメ……ちゃ……う、う、うわぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーんっっ』



 ももこはとうとう大泣きしてしまった。

 優しい教団員に迷惑をかけまいと、なるべく我慢していたが、大僧正の優しい言葉に堰を切ったように涙が止まらなくなってしまったのだ。

 ももこは泣きながら大僧正の胸に飛び込んだ。


 少女が一人、知らない場所に連れてこられ、それを理解してくれる人間もいない。

 そんな中でももこが十日も頑張ってこられたのは、信者たちが優しかったからに他ならない。

 ももこは言葉も通じない怪しげなこの連中に、すっかり心を許してしまっていた。


 ももこに飛びつかれた大僧正は、抱きしめるわけにもいかず、慰めないわけにもいかず、両手をどこにやったらよいか分からないまま宙を彷徨わせていた。



「大僧正、お茶とお菓子を──あっ……」


「い、いや、これは違うのだ! 断じて禁は冒しておらんぞ!? イエスももこ様・ノータッチの合言葉は守っておる!」


「……分かっております。大僧正、ももこ様の頭を撫でられてはどうでしょうか?」


「なっ……!! そ、そんなことが許されるはずが──」


「しかし、ももこ様のこの御様子……甚だ無礼かもしれませんが、死んだ私の娘を思い出します……大僧正、ももこ様に必要なことです」


「そ……そ、そう……なのか?」


「はい」



 白装束に言われ、大僧正は恐る恐るももこの後頭部に手のひらを置いた。

 さらさらとした細い髪の感触に背中に電気が走ったようだ。

 そして意を決して優しく撫でてやった。



『うわぁーーーーーーーーん、ああああーーーーーーーーーん! ヒラメちゃん、ヒラメちゃーーーーーーーん!』


「お、おお……? も、もっと悲しまれているご様子だぞ!? 本当にこれでよいのか!?」


「……ふふ。はい、大僧正。そのまま続けてください」



 大声はいつしか嗚咽に変わり、大僧正の衣服に擦るように押し付けていた仕草は静かになった。

 それでも大僧正は言われた通り、ももこを撫で続けた。



「ももこ様、お菓子が出来上がっております。お早くお召しあがりになられないと冷めてしまいますよ?」



 白装束がももこの近くへお菓子を乗せた皿を近づける。

 ようやくももこが顔を上げた。

 目が腫れあがり、鼻水までたらしてしまっている。

 目の前にあるお菓子を見つけ、しばらくお菓子を凝視した後、突然ももこの目つきが変わった。

 ももこは大僧正から離れ、自分の席に座りなおした。



『ウチ、お勉強頑張る! 頑張って言葉覚えてヒラメちゃんらにお礼が言いたい!! ヒラメちゃん、ほんまにありがとうな。白い人もほんまにありがとう! ウチはよ言葉覚えるからごめんけど教えてほしい!』


「あらあら……ふふ。良かったですね、大僧正。ももこ様、少しは元気が出たご様子ですよ?」


「ああ……尊いな……よし! お茶とお菓子は適当なところへ置いておいてくれ。ももこ様が頑張るのであれば私達はそれ以上に頑張らなければ!」


「はい、畏まりました」



 ももこが元いた世界のことを思い出さない日はない。

 しかし大僧正達の裏表のない優しさに触れ、自分を大切にしてくれる人に感謝を伝えたくてたまらなくなった。

 ももこは今、この世界の言葉を覚ようと本気で思ったのだった。

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