壁に激突してしまったイカ頭さんですが、あれだけの勢いでぶつかったにも関わらず、壁に穴はあきませんでした。
い、意外と頑丈なようです。
子供たちがうずくまって動けないイカ頭さんのほうへ駆け寄っていきました。
「おらぁ! 立てよダメ親父!」
「だめおやじー!」
「こ、こら……」
なんという子供たちでしょうか。あんまりです……
二人してイカ頭さんの頭部と腹部にスタンピングを……こ、これ以上は見ていられません。
「なんだこりゃ?」
イカ頭さんを壁に投げつけた奥様が、床に落ちている封筒を拾い上げました。
恐らくイカ頭さんを投げたときに懐から落ちたものでしょう。
奥様が中を取り出すと現金二万円と、明細書が入っていました。
「た……退職金だと……? それもたった二万円……お、おいっ! てめぇ! これはどういうことだ! 本当に会社を辞めやがったのか!」
「あいたた、こ、こら、やめなさい、いたた!」
「あいたたじゃねぇっっっ! あんたたち、ちょっとやめなさい! お母ちゃんは今からこのロクデナシと大事な話があります!」
子供とイカ頭さんへの言葉遣いがずいぶん違うような気がしますが、子供たちは奥様の言うことは聞くようで、すぐに攻撃を中止しました。
「おいこら、これは一体どういうことなんだよ……明日からの生活はどうすんだよ!」
「そ、それはその……な、なんとかするさ……貧しさに負けちゃダメだよ……」
奥様の張り手が、イカ頭さんの顔面に沈みました。
ビンタというにはぬるく、ドムっという鈍い音がしました。
軟骨が折れたのではないでしょうか。
鼻血を噴出しながらイカ頭さんは後頭部から床へ倒れました。
「何とかするなら今すぐしやがれ! 貧しいのはてめぇのせいだろうがっっ! ろくな給料ももらえない上にクビだと? 本っっ当に何やらせてもダメだな! てめぇは!」
奥様は仰向けに倒れているイカ頭さんに馬乗りになり、握り締めた触手で更に追い討ちをかけようとしています。
拳が振り下ろされる瞬間、奥様の触手に手をかけてそれを止めた別の触手がありました。
「にゅ……」
チェリーちゃん……
「な……なんだいアンタ? どこの子だい?」
「チェリー……ちゃん……す、すまな……いね……」
チェリーちゃんは馬乗りになっている奥様をどかせると、イカ頭さんに肩を貸して立ち上がらせました。
そしてそのまま、玄関のほうへ泳いでいきます。
「ど、どこへ行くんだい! 待ちなっ!」
チェリーちゃんは制止しようとした奥様を一瞥し、触手で一刺ししました。
その瞬間、奥様の意識は途絶え、プカリと力なく浮かび上がりました。
「お母ちゃん!」
「おかあちゃん!」
チェリーちゃんはイカ頭さんに肩を貸したまま泳ぎました。
イカ頭さんの家を出て、崖を上り、街とは反対の方向へ泳ぎました。
それまで無言だったイカ頭さんが、独り言のようにつぶやきました。
「夢に見てたんだ……親子四人が……仲良く、平和に……暮らす家庭を……貧しくたっていいんだ……お互いに労わり合う……そんな家庭を……いつかは分かってくれると……夢見てたんだ……」
「にゅ」
「私は……私は……私なりに彼女たちを愛していたんだ……彼女たちを守るために、今まで必死で……本当に必死で仕事をしてきたけど……私はやっぱりみんなが言うように……ダメな男だったんだ……何が足りなかったんだ……」
イカ頭さんはきっと泣いているのでしょう。
チェリーちゃんは一言だけ返事をすると、そのまま暗闇のほうへ泳ぎ続けました。
イカ頭さんの涙は海水に溶けていきました。