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第93話 黒沼

 「ただいま〜」


 短い期間だったが累と同棲している間はすぐに“おかえり”と言う言葉が返ってきてくれて、心がポカポカしていたことを思い出す。

 やはり一人は寂しいが。今のこの欠陥人間の私がそばにいても累にとっては害でしかない。2人は離れるべきなのだ。


お湯を沸かしてカップスープを飲む。パスタの入ったこのスープはお気に入りだった。

(今頃、隣では2人で宅飲み中か。いつか私も愛花達と一緒に楽しく飲める日が来るんだろうか)

 少しの寂しさを誤魔化すようにテレビをつけて映画を見始める。これは累と一緒に見ようと約束していたものだが、もうその機会は訪れないから見てしまおうと思ったのだ。

 主人公が犯人を追い詰めていくミステリー。小説が原作らしいがなかなか引き込まれる。

(え…ここがこうで…あ!あの時の伏線をここで!?)

 集中して見終えた頃にはあまりの面白さに興奮した。

(こう言う時。一緒に感想を語り合える人がいないのは寂しいな)

 身勝手にもそう思ってしまった。こんな思考をする人間だから神様が罰を与えて私から愛を奪ったのだろうか。


「だったら自業自得かな」


 残りのスープを飲み干すとゴミ箱に入れてシャワーを浴びてからベッドに潜り込んだ。温もりのない布団は寂しくて、でもそれも自分が決断したことなのだからと納得をさせて眠りについた。


 休業の2週間はあっという間に過ぎ去り、職場復帰初日の挨拶も無事終えた後、隣のデスクの愛花がコソコソと私に耳打ちした。


「黒沼さんだけど結菜が入院してからしばらく経った後本社に戻ったよ。これで平穏な日常に戻れるね」


「そっかあ。黒沼さんには悪いことしちゃったな。振り回しちゃって」


 私は育ちのいい微笑みを浮かべた黒沼を思い出した。だけど彼にも何の感情も沸々かない。


「ねえ、何か悩み事があったらいつでも言ってね。私。力になるから」


「うん。ありがとう…」


 私は愛花に微笑んだが本当は心では笑えていなかった。ただ条件反射のように微笑みが出てきただけで、そこに感情はなかった。

(ああ。こんなに親切にしてくれるのに、私はどうして感情が持てないんだろう。いつまでこの状態が続くのかな、お医者様はなんとも言えないと言っていたけど…どうなんだろう) 

 ぼーっと考えていたけれどハッとする。今日は初日。バリバリ仕事をこなさないといつまでたても帰れなくなる。

 その後はひたすら仕事に没頭していたが、お昼になり愛花とランチすることになった。前々から退院祝いにランチを奢りたいと言ってもらっていたので、今日はお弁当ではなく近くのタイ料理のお店に来ていた。


「んん〜この生春巻き美味しい!結菜も食べてみなよ」


「どれどれ…!本当だ!美味しい」


 味覚はしっかり残っていたので美味しいものを食べて幸せに感じることができるのは唯一の救いだった。


「でもありがとう。退院祝いなんて気を遣わなくてよかったのに」


「ふふ。いいの。私がしたいんだから。あ!これも美味しい。一口どうぞ」


「ありがとう!じゃあこっちもお裾分け」


 2人で美味しく料理を食べているとなぜか黒沼が現れた。


「黒沼さん?どうしたんですか」


「いや。引き継ぎが終わってないところがあったから会社に寄った帰りに見かけて。相席いいかな?」


「どーぞ。嫌だって言っても同席するつもりなんでしょう」


 愛花は嫌そうにしながらも鞄を避けて黒沼の座る席を作ってあげた。


「俺は飲み物だけにしておくよ。それより聞いたよ。結菜ちゃん、今大変なんだってね」


「大変って?」


「恋愛とか親愛感情が誰にも持てなくなってるって聞いたよ。だったら俺にもチャンスがあるかと思って、ここに来た」


(限られたひとにしか話していないのに…もしかして部長かな)

 私は内心ため息をつく。こんなことなら仕事に支障が出たら困るからと念の為報告した自分の浅はかさを呪った。


「黒沼さんに恋することはあり得ません。はっきり言ってしまってすみません。でも事実ですので」


「いいよ。好きにならなくても。俺がそれ以上に愛を注げばいいだけの話だしね。どうかな?お試しで付き合ってみない?」


 内心イライラした。累と別れたばかりで少し気落ちしているところでしゃしゃり出てくるこの人が。

(今はそっとしておいて欲しいのに)

 だが無視するのは大人気ないのでさらっと嫌味に伝える。


「私デリカシーのない人とは生活できません。なので諦めてお帰りください」


「えーもう飲み物頼んでしまったよ?飲み終わるまではいさせて欲しいな」


(本当にちゃっかりしている)


「じゃあ、それが終わったら本当に帰ってくださいね」


 せっかくの退院祝いが台無しだった。黒沼は私のことをただのアクセサリー、財閥の後継者になるための道具としてしかみてくれていないことが滲み出ているので本気で嫌だった。

(早く頼んだもの来ないかな。それでさっさと飲んで帰っちゃえ)

 そう思いながら残った食事を黙々と食べ進めた。

 飲み物が出る頃には私も愛花も食事を終えていたので伝票を持って立ち上がる。


「私達仕事があるのでこれで、ジュースは奢りますのでもう来ないでくださいね」


 そう言って愛花はスタスタと歩き去った。私も冷たく黒沼を見ると、何も言わずに愛花を追って歩き去った。


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